駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

危機を呼ぶ政府

2010年09月25日 | 政治経済
 K氏憤慨。
 タガが外れている。こんなことではいかん。どこにリーダーが居るのか、誰が手綱を取っているのか。これでは政府が危機を招いていることになる。
 誰が尖閣列島事件を分析評価して、対応を決めているのだ。
 最低のタイミングで船長を釈放してしまった。遅すぎて早すぎた。しかも沖縄地検の判断によるもので、政府はそれを諒としただけだとしゃあしゃあと言い抜ける。責任逃れどころか責任放棄をしている。沖縄地検は日中関係に配慮したと発表しているではないか。沖縄地検は日本政府の外務省なのか。なんでも責任を末端に押し付けないでいただきたい。
 わしゃ知らんなどと無邪気ぶらないで欲しい。知らんふりが通るわけがない。普段のあなたは邪気に満ちているではないか。
 司法は独立、検察の判断を尊重と原理原則氏はおっしゃるが、この場合それは規則しかも細則に過ぎない。まさか前外務大臣がマジでそんなことを考えているのではないだろうな。
 これが極めて政治的な事件なのは火の目を見るよりも明らかだ。国益を守るとはどういうことか分かっているのだろうか、自己益を守るのとは違う。
 中国の陰謀言いがかり・・そんなことは頭の中で考えればよろしい。アメリカの御意向を聞かなければだと、判断が遅れ鈍りずれる。
 小火を大火にしないことが外務省のそして政府の仕事でしょうが。こんな見え見えの猿芝居に引っかかって、猿芝居を打った方も引っ込みが付かず火が大きくなっているではないか。
 外務省が外を見ないで内を見ていてどうするのか。
 世論で政治をするのは間違いの元、世論を真っ当な方向に説いて導くのが政治の仕事だ。 どうも、菅はあ菅なあ。
 なんだか悪い夢を見ているようで、頭が痛くなってきた。駅前内科の先生、頭痛薬をくだされ。
 
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切り返しに備える

2010年09月24日 | 診療
 定期的に診療している患者さんは千人近いだろう。患者さんが定期的に診察を受ける医者はせいぜい二人だろう。後期高齢者で医者巡りをしていると冗談交じりに言われる人でも四、五人もの医者に定期的に診てもらっている人は少ないと思う。当院だけの患者さんも結構居るようなので、医者対患者の比は一対五百くらいのものだろう。
 半年ほど通ってもらえば、性格、仕事、家族構成など概ね把握できる。そして非常に大切なことだがイメージが脳裏に残るようになるので、体重60kgの人なら2kg変化すれば一目でわかるようになる。1kgでも気が付くことがある。機嫌のよしあしも大体分かる。
 ところが、医者でなくても患者さんの中にはなかなか観察眼の鋭い人が居て、「ちっとも夏瘦しないね」などと言うと「先生、太りましたね」。と逆襲してくる。確かに研修医に御馳走したり旅行に行ったりで2kg近く太ったのだ。「よくわかったねえ」。と答えながら、内心焦る。こちらがそれとなく観察している時に患者さんも医者の顔を見ているわけだ。おまけに患者さんは二人程度の懸かりつけ医なのに、こちらはその五百倍もの人を気に懸けているのでハンディも大きい。
 まあ、長く人間をやっている患者さんも多く、都合悪い話題をはぐらかしたり切り返したりしてくるので、土俵にばったり倒れて土を付けないように、こちらも日頃頭と口の鍛錬を怠たらないようにしている。
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城下町

2010年09月23日 | 
 伊賀上野城の天守閣は昭和初期に地元の衆議院議員川崎克が私財を投じて復興したもので、戦国時代のものではないけれども、川崎克の提唱した文化産業の城として面目を施しているようで、周辺には城下町の風情が漂っている。
 伊賀上野と言えば伊賀流忍者からの連想で山の中のような印象を持っていたが、実際に歩いてみると、山の中というわけではなく、盆地の小じんまりした落ち着いた街だった。盆地と言っても周りの山々にさほどの標高はなく、小京都と呼ばれる町のひとつであるのも宣なるかなと思えた。四百年前にどんな町だったかわからないが、松尾芭蕉のような天才というか異能の人が生まれたにしては変哲のない土地にも感じた。
 日本にいくつくらい城壁を残す城下町があるか知らないが、城下町を歩くと歴史というものが五十年や百年で消えるようなものではなく、数百年も千年も綿々とどこかに流れているのを感じる。歴史は町の佇まいだけでなく住んでいる人達の言葉使いや物腰中に生きているようだ。区画整理がされていても、新興住宅地とは違う空気が微かに流れている。一般に年をとると知覚は鈍るものだが、歴史感覚は鋭敏になるらしい。
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人間の能力

2010年09月22日 | 小考
 人間の脳は、計算力ではコンピュータに雲泥の差を付けられたが、今のところ別種の能力でその面目を保っている。
 コンピュータは文章の裏の意味を理解できない。しかし人間は違う。
 「ご結婚されていますか?」。と聞かれコンピュータは何の疑問もなく「いいえ」。と答えるだろう。ところが未婚の人間は、喜々として無邪気に「いいえ」。とは答えない。ほとんどの人はなぜそんなことを聞くのだろうと思いながら、秘かな期待を持ってあるいは不愉快を隠しながら「いいえ」。と答えるだろう。
 大阪特捜部の前田恒彦容疑者が逮捕された。前代未聞の事件だ。許されない悪事であるが、なぜそれが外に漏れたのか、その経緯が明らかにされることを望みたい。あれほど村木さんを悪者扱いにした全国紙Aが、なぜ十全の反省を見せることなく、しれっと一面でこの事件を報道しているのだろうか。まさか拡声器というわけではあるまい。闇に隠れた膿の一部が出たことは有意義だが、簡単にやはりそうかとは納得できない思いがする。
 地道に根っこまで掘り下げて、粘り強く報道して頂きたい。同時に特捜部の尻馬に乗って、推定無罪の人達を叩いてきた報道機関と背後の力を白日の下に晒して欲しいと思う。
 「結婚されていますか?」。と聞かれて無邪気に「いいえ」と答えるようでは魑魅魍魎の徘徊する世の中で、一人一人が自分をそして隣人を生かして生きて行くことは難しい。人間の能力を生かし、情報を読み解いていくことの大切さを痛感する。 
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アインシュタインの思考の飛躍

2010年09月22日 | 

 アインシュタインは二十世紀で最も有名な科学者であるが、おそらくジャンルを超えても、最も有名な人物の一人だろう。それは庶民的な性格?と革命的で難解な理論なのに、なんだか一般人にもわかったような気がする相対性という命名によると思われる。
 アインシュタインに纏わる本は枚挙に暇がないが、先頃出版された吉田伸夫氏による「思考の飛躍」は今までのどの本とも異なり、私のような一般人にもアインシュタインの驚くべき斬新な問題解決法を追体験させてくれる素晴らしい解説書だ。勿論、追体験と言ってもその程度は読者の科学的力量により左右されるので、私の場合はほんの少しなのだが。
 恐らくアインシュタインも我が意を得ていると思う。晩年はご職業はと聞かれて「写真のモデルだ」。と答えたアインシュタイン、心の何処かで皮相で騒ぐ世間に少々うんざりしていたと思われるからだ。出自や私生活を記録することも意味のあることではあるが、私の人生は物理学にあると考えていたアインシュタインにとって「思考と飛躍」は確かにそうなんだと頷く部分がある本だと思う。
 英語圏にはサイモンシンやブライアングリーンを始め優れたサイエンスライターがかなりいるようだが、日本には優れたサイエンスライターが少なかった。吉田伸夫氏は恐らく日本のサイエンスライターの旗頭として活躍されていかれるだろう。期待している。
 評論や評価も大切だと思うが、やはり考えることなくして科学は理解できない。どのようなレベルであれ、考えさせる説明が科学の解説だと思う。本当は「思考の飛躍」は二部に分けてもう少し詳しく図や式を用いて書いて欲しかった気もする。忙しい現代人ではあるが、一日五頁しか読めなくても、最後まで読みたくなる解説書が良い解説書だと思う。たとえ、現代の物理学が審美眼で判定されるようなデッドロックに乗り上げていようとも、あるいはだからこそ。

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