駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大して恐くない恐竜、本当に恐いのは

2015年02月28日 | 町医者診言

す        

 恐竜がなぜ滅んだか?。大隕石による気候変動という説が主流のようだが、今恐竜が日本に甦ってもさほど恐くはない。恐竜よりも恐いのは狭量の方だろう。遂に衣を脱ぎ捨て、恐いものなしのような安倍首相だが、冷静になって三十分も考えれば、今のところまずまずの経済状況を楯に、お抱え報道陣を横に、戦争を出来る国に遮二無二舵を切ろうとしているこの方は、どうも危ないと半数以上の人は気が付くだろう。

 取り敢えず、己の既得権確保を優先し、権力に追随する人達も内心は本当にこれでいいのだろうかと思い始めているのではないか。この十日ばかりの間に、首相の足下に舞い上がった火の粉は、その前触れかもしれない。

 民間には優れた分析者と知恵のある人や公平無私の勇気がある人達が数多い。しかるに、そういう人達は狭量な御用官式見解に妨げられ、真っ当な評価と取り扱いを受けていないように見える。異論を蛇蝎のごとく排除敵対視する狭量の恐ろしさを感じる。国民の理解は情報を公開してこそ得られると、首相に申し上げたい。粛々というのは考えの異なる国民の声にも耳を傾けながら慎重にゆっくり進めることを形容する言葉と思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

階段から落ちる人

2015年02月27日 | 人生

         

 二月も今日を入れてあと二日。三月から春が始まると決まっているわけではないが、今年は殊の外寒かったので待ち遠しい。北国の人の春を待つ気持ちが少し分かる気がしている。           

 かいだんは恐ろしいと言っても四谷怪談ではなく、いつもの階段のことだ。もう何万回と上り下りして暗がりでも大丈夫のはずの階段を踏み外して転落する人が後を絶たない。毎年二千人以上の人がこれで命を落としている。転落で骨折して寝たきりになった人は一万人を下らないだろう。寝たきりは死への序章だから、本当に階段は恐ろしいと言わねばならない。

 往診に行くと暗くて細い階段を登らされ、二階の三畳や四畳半へ案内されることもある。中には寝たきりといっても伝い歩きは可能な婆さんも居て、トイレだけは一階まで行っていると聞かされ、危ないなあと思うのだが、そういうことを言い出しにくい作りのお宅であるのが常だ。

 年寄りは一階にというのが世間の知恵と思うのだが、二三十年前は年寄りでなかったわけで、住み慣れた二階の王国?を去りがたく、一階に下りるのを頑なに拒否される爺さん婆さんも居られる。この頃来ないなあと思うと、しばしば転落骨折して長期入院を余儀なくされている。杖歩行でも歩けるようになれば運が良く、寝たきりで帰ってこられる人も多い。運が悪い方は帰ってこれず終わりになってしまわれる。

 階段転落事故の前には殆ど予兆がある。しかしながら、爺さんは頑固で婆さんは聞き分けがないことがしばしばで、簡単に下に降りてくれない。頑固で聞き分けがないのは認知症の始まりなのだが、同情の余地もある。喩え六畳でも住み慣れた空間は去りがたいのだ。

 昔の人は偉い、老いては子に従え、は歴史が教える知恵だろう。勿論、言うほど簡単なことではないらしい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカンスナイパーを観る

2015年02月26日 | 映画

            

 三月を目の前に逃げる二月はもうお終い。それにしても暖かい。

 介護保険審査の帰り、時間があったので「アメリカンスナイパー」を観た。特別の予備知識もなく、ゴルゴサーティーンやジャッカルの日のようなスリリングな面白さを期待したからだ。

 予測は外れ、戦争映画だった。戦争というのは殺しあいで、スナイパーも人殺しだった。いろいろな見方があるだろうが、殺されるイラク兵にもアメリカ兵と同じ家族と人生があり、これでは憎しみの連鎖が続くばかりと感じた。悪と決めつけ敵対するから殺してもいい、ましてたくさん殺せば英雄というのは私には首肯しがたい。 

 石川五右衛門が指摘したように盗人の種は尽きず、そして争いも尽きない世界の現実が映し出されていた。俺は悪くない彼奴が悪いと、そんなに簡単に言えるだろうかと思うのだが、短絡思考嗜好は度し難い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気、ほろ苦いひとつの現実

2015年02月25日 | 医療

                              

 万病と言われるが、万はないと思う。勿論、間違いなく千以上の病気がある。まあ、実際には同じ病気でも個体差があるから、病態としては遙かに万を越えるだろう。

 中で死に至る病ではないが、痺れ感、眩暈感、耳鳴り・・といった自覚症状が主な病態は多彩で、患者本人を悩ませなかなか辛いようだ。残念ながら、こうした病態には良い治療法がないことが多く、治りにくいため勢いしつこい訴えとなり、医者も悩まされる。

 Nさんは私と同年配の男性、数年前心筋梗塞で入院、幸い一命を取り留め、そちらの方の経過は良いのだが、退院後味覚に異常が出て悩んでおられる。よいと言われる薬を試してみたのだが、なかなか良くならない。半年に一度の心臓検診でも訴えてみたが、専門でないということだろう、よく分からないと対応して貰えない。

 ある日新聞の診療欄に、某総合病院の部長が味覚異常の最先端治療をしていると書いていた。切り抜きを持って受診したNさん、紹介状を所望、勇んで遙々新幹線に乗って出かけた。

 「どうでしたか?」。

 「ダメダメ、碌に話も聞いてくれない」。

 数行の返事には年齢的なもので、改善は難しいと認めてある。私はすぐ成る程と思ったが、わざわざ期待して出かけたNさんはがっかり憤懣やりかたないようである。Nさんには申し訳ないが、このことによってNさんのしつこい訴えが減ったので、私としては有り難いといってはなんだが、毎回同じ訴えを聞く悩ましさが軽減されて負担が減った。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何が起きているかよく分からない

2015年02月24日 | 世の中

               

 この数日は暖かく梅が咲いている。通りの梅を携帯で撮ってみた。「今日は暖かいですね」、「でも未だ一二回寒い日があるでしょうね」と、患者さんと話している

 介護報酬が引き下げられた。介護現場の労働環境の改善は難しく、むしろ厳しくなるだろう。弱者に暖かいようには見えない。弱い者が十分な獲物の分け前に与るのは難しそうだ。下手な不平を言えばもっと困ることになる気配が漂っている。

 与那国島では住民投票の結果を受けて、沖縄では県知事投票の結果を退けて、安倍政権の意向が通されようとしている。自衛隊では制服組が台頭して、背広組に取って代わろうとしている。

 こうした動きを伝える殆どのマスコミの表現は穏やかで淡々としている。睨みが効いて自主規制があるのかもしれない。勿論、ジャーナリスト魂は残っていて、隠し味は付いているのだが、眼光紙背の人は少なく気付かれないようだ。

 いずれにしても、変わりつつある世の中の動向は、国内に居てはどうもよく分からない。一体何が起きているのかと改めて周りを見回したい気がするが、求めて国外の視点や国内の中小弱者の視点を検討しようとする人は少ないようだ。

 なんだかアラカルトのないレストランに入ったようで、当店はこれですというコースはデフレ脱却の前菜に目を眩まされて、ちょっとこれはというメインディッシュが出てきそうで当惑している。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする