駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

近雷

2008年08月30日 | 自然
 今年は雷が多い。近雷などという言葉があるかどうか知らない。遠くでゴロゴロの遠雷は、季節の変わり目を感じさせ、それなりに情緒があるが、ピカっと光って数秒後のバシーンという近雷は心胆寒からしめる大音響と停電の危険性で歓迎しない。ほんの数秒でも停電すると、電子機器の設定がずれたり、デスクトップコンピュータが異常終了になったりして困る。夕方の近雷だと、雨だけなら来るお客さんが二の足を踏んで閑古鳥が鳴き、職員と顔を見合わせて患者さん来ないねえと言うことになる。
 普通、雷の翌日は天気が良いものだが、今回は晴れ上がらず曇天が続き、夜になると又雷と土砂降りを繰り返している。何だか変だなとは思うのだが、その先は気象学者でないのでよくわからない。与太郎のやることならともかく、自然現象ではいい加減にしろと言っても駄目だし、果たして今晩はどうかな。
 夜、雷の一閃で浮かび上がる町並みや山並みの美しさは格別だが、隣近所への来訪はご辞退申し上げる。 
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野茂を推薦

2008年08月29日 | スポーツ
 星野君以外に居ないじゃないかというのが渡辺氏の認識のようだ。知名度と人気?ではそうかもしれない。しかし、それで勝てるほど真剣勝負は甘くないのが示されたのではないか。星野人気はかなりマスコミによって演出されたもので、彼はなかなかの役者だ。肝心の野球力は野球評論家がオフレコで語れば、さほど高い評価は受けない気がする。厳しいが結果が全てだ。
 マスコミに携わる人は、世間を賑やかす人や人気の出そうな人を担ぎ出す習性を持っている。それがマスコミが生き延びる道だからだ。
 もし本当にWBCで勝とうというなら、統率者と知恵者の組み合わせが必要だろう。野茂ではどうだろうか。彼は開拓者で実績を残し、燃え尽きるまで頑張り、有終の美を求めなかった人だ。信頼され人を引っ張る力があると思う。賢いコーチと組み合わせれば、納得の行く試合をするだろう。
 星野さんが失敗したら次のチャンスを与えられて頑張ればよいと言ったようだ。確かにそのとおりかもしれない。しかし、次のチャンスが巡ってくるのは十年後としたものだ。多くの人は次を目指して頑張りながら刀折れ、矢尽きて倒れる。うまくいった人の言葉が残りやすいから、再挑戦すればよいと簡単に言う。もし、無念の声が聞こえれば蝉時雨どころではなかろう。世界ではあってはならないことが起き、何十年の努力が灰燼に帰している。真の勇者は寡黙で謙虚だと聞く。
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魔女かもしれない

2008年08月28日 | 人物、女
 「青柳いずみこ」と言う人が居るらしい。見たことも聞いたことも、もちろん触ったことも無いのだが、独特の雰囲気を持つ文章を書かれる。
 自分は活字中毒、以前は重症と思っていたがブログを見るようになって中等症と判明、で5分、10分の空き時間でもつい活字を追ってしまう。本屋さんが送ってくる出版社の波とか図書とかいった新刊書紹介エッセイ集は格好の活字提供材だ。
 図書にいずみこさんが、ちょっと馴れ馴れしいがそう呼びたくなる、読書感想エッセイを書いておられる。これが不思議な味わいなのだ。まず最後まで読める、しかも楽しく面白く。活字中毒だからエッセイの読み方は独断と偏見、題名と著者を一睨みだけ、数行で止める、とばし読むそして最後まで丁寧に目を通すに分かれる。かの大先生のようにそれ以外の扱いはないのでご安心を。
 いずみこさんの文章は女性でないと書けない、しかもマゾ違った魔女っ気がないと難しい。それと楽器をやられる、どうもピアノのプロらしい。これも効いている。最後にどこか江戸っ子を感ずる。たおやかな女性的な味わいに江戸っ子のあしらいは矛盾しているようだが、そこがひょっとしてちょい魔女かなと思わせるところだ。
 私が編集者なら芸術新潮にエッセイの連載をお願いする。原稿は宅急便で届くはず。
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ロンパリ現象

2008年08月27日 | 診療
 ロンパリとはロンドンとパリの略ですが、二都物語ではありません。誰が言い出したのか、やぶにらみ(斜視)のしゃれた?表現です。もちろん、ロンドン、ベルリンと離れ過ぎていては医療の対象ですが、僅かな斜視はなかなか色っぽく、どきりとさせられることもあります、たいてい美女が見つめたのは隣の男でがっかりさせられるのですが。
 医療の世界にロンパリ診断と呼ばれる現象があります。肺癌や胃癌の勉強会で「先生、凄いね、よくこんな早期の病変見付けたね」。「いや、ロンパリ」。「何だ、やぶにらみか」。ということが時々あります。
 胸部写真で異常陰影を肺癌かと思いCT検査をしたら肺炎の跡で、横に小豆大の早期肺癌が見付かった。あるいは胃透視で胃ポリープを見つけ胃カメラの検査をしたら奥に硬貨大の早期胃癌が見つかったというようことは珍しくなく、これを我々はやぶにらみ診断と言ったりしています。視線(検査)の方向と見ていた物(見つかった病気)が違っているところから流用されるようになったと思いますが、やぶ医が胃炎と睨んだのが実は早期胃癌と云う怪我の功名から来た可能性もあります。 
 似たような現象に痛む場所が通常と違っており、診断に手こずる場合があります。例えば胆石胆嚢炎は普通は鳩尾から右季肋部が痛むのですが、左季肋部が痛むと訴えたり、回盲部が痛いと訴える患者さんが時々おられます。痛む場所によって、考える病気の順序が違いますので、診断が遅れることがあります。しかしまあ、手遅れになることは経験のある医者ならまずありません。
 医療の現場では図らずもこうしたことがあるのですが、交渉や勝負では、意図的なロンパリもあるようですので油断めさるなと申し上げましょう。
 
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丸の内の変貌

2008年08月27日 | 
 年に数回上京する。仕事がらみのことが多いので、さほど歩き回る時間はないが、東京駅周辺はよく見て回る。この5,6年で、ちょっと時間がある時、出歩くのは八重洲から丸の内側に変わった。オアゾ丸善から新丸ビル、丸ビル、東京フォーラムまで地下街があり。地上へ出て足を伸ばせば有楽町まで近代的なビルと瀟洒な店が続く。
 先日の会合には外国からの参加者もあり、何人かと少し話をした。妻が東京の印象を聞くとカルフォルニアからのご夫婦は異口同音に「ビューティフル」。と言う。20年前ならちょっと違和感があっただろうが、今はそうかもしれないと首肯できる。
 富士山は美しいがそれは遠景。山肌は決して美しいとは言えない。市街地の美しさは富士山とは違い、眺めてよりも歩き回って感じ取られるもののようだ。おそらくビューティフルの印象に清潔感の占める割合が大きいのではと思う。イーストリバーに映るニューヨークの街並みや凱旋門へ続くシャンゼリゼ通りは見渡せば美しいけれど、歩き回れば清潔な東京がビューティフルなのかもしれない。
 例えば、確かに丸の内の清潔で整った近代的な街並みは美しい。しかるに21世紀に皇居が垣間見える紛れもない東京に出現したこの和のかけらもない街並みに、果たして我々が遠い昔から受け継いできた感性が生きているのだろうか。と妙なことを思った。
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