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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

電車で席を譲られる

2025年04月13日 | 人生
          


 一昨日の朝、若い男性に電車で席を譲られた。勿論、有り難く座ったのだが、そんなに爺さんに見えたのだろうかとちょっぴり残念だった。後期高齢者になってから年に一二度席を譲られる。暦年齢より若く見られるつもりでいるが、どこか座りたそうな雰囲気を漂わせているのだろうか。
 見た目は四、五歳若そうに見えると思っているが、年を取ってきたという自覚はある。まだ仕事は十分できると思うし思われている?ので、今の脳力体力を保つように、色々工夫してゆきたい。
 一つ心掛けていることは家内を大切にすることだ。もう五十年以上一緒に生きてきた。今だにというか今の方は口喧嘩は多い感じもするが、感謝というか大切な連れ添いという気持ちは強くなった気がする。助け合って若さを保ちたい。
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春眠暁を覚える。

2025年03月05日 | 人生
             


 弥生、春三月になった。昨日一昨日は寒かったが日曜日は暖かく四月の陽気だった。
 春眠暁を覚えずと言う。若い時、壮年まではちょっと疲れていると十時間くらい眠れた。高齢者になるとよく眠っても高々八時間くらいのものだ。たいていは六時間で目が覚めてしまう。孟浩然は51歳で亡くなっているから、高齢になると春眠暁を覚えるのを知らなかったのかもしれない。
 春宵値千金、これは今でも分かるけれども、何と言っても青壮年に向けた言葉と感じる。しかし果たして、この感覚が今の人に分かるだろうか?
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まやかされない

2025年03月01日 | 人生
            


 ゼレンスキーを独裁者などと言っていないと嘯いて口を拭うトランプほどでなくても、世の中には虚言が渦巻いてる。
 しばしば荒らげた声と猫なぜ声で語られる。それに押されたりまやかされてはなるまい。言葉でなく行為を見つめよと教えているのは政治家でも哲学者でも文学者でもなく、車椅子の科学者だ。
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上を向いて歩こう

2025年01月27日 | 人生
         


 今朝は寒かった。一月末だから当たり前だが、先週暖かかったので特別冷たく感じる。
 独立したのが四十半ばだった。それから三十四年になる。四年前から午前中しか働いていないのだが、今では患者さんより私の方が年上のことが多くなった。七十過ぎると明け方尿に起きる人が増える、それは老化の兆候で昔は知識として説明していたのだが、今では実体験として話している。半世紀前は冬寒い明け方尿に起きて、脳出血ということが時々あった。今は高血圧は治療している人が増えたしトイレもさほど寒くないようで、そうしたことを殆ど経験しなくなったのは喜ばしい。
 歩く時は足元を見ずにできるだけ上を向くように努力している。涙がこぼれるわけではなく猫背にならないようにだ。僅かだが背中が曲がってきた。若く見られるのだが、実体験として老化を語れるようになってしまった。同い年のトランプに負けづ頑張りたい。
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大晦日

2024年12月31日 | 人生
         


 大晦日という言葉には何とも言えない特別な響きがある。外国語にはない訳せないのではないか。もう紅白もほとんど見なくなり年越しそばを食べるくらいだが、大晦日の何とも言えない静けさが好きだ。知らないうちに過ぎた日を振り返る。
 一時自分探しの旅に出るなどということが流行ったようだが、旅に出て自分が見つかるだろうか、世界は見つかっても自分は見つからないような気がする。お父さんと呼ばれて父になりじいじと呼ばれて爺さんになった。先生と呼ばれてまさか自分のことと思いながら医師になった。自分というものはそうしてできてきたように感じる。
 保守的と言われるかもしれないが家族家庭の中に自分と大晦日があるように振り返る。
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