無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

天童市 さたけ

2016-07-29 08:58:13 | 食べ物

 

このブログでは、一日の写真のUPの枚数が100枚と決められている。奈良の旅行の写真のUPには3日もかかった。特に最後の日は100枚に満たないのに弾かれた。しかもUPした写真の一枚が上下真っ二つに分かれているのもあった。春日大社の怪しい写真ではなかったし、それでも何らかの写真を載せたくない力が加わっているのかなと思った。思えば、奈良に行きたかったのは、古田武彦著の「邪馬台国はなかった」に感化されてだろう。彼は、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 」が、奈良の吉野で読まれた歌では無いと説いた。三笠の山の方角に月は出ないと、授業中に高校の教え子達に言われたのが切っ掛けだそうだ。その三笠の山に、今回春日神社の奥で訪れることが出来た。この山に対する奈良の人々の思いも伝わった。それを否と叫ぶのは、真に勇気が行った事だと思う。

結局、奈良の旅は6つに分けて載せることになった。時々思い出してはコメントを付け加えるので、完成では無い。「見るだけで 行った気になる 奈良の旅」と、今回一緒に行けなかった仲間達へ土産話と、自分の記録でもある。

それから写真では伝わらないが、各名所で(特に東大寺)では、日本人に混じって中韓の団体と欧米の個人客が多かったことを付け加えたい。特に中韓の人々は声が大きい。いやいや我々も「日本人に見えるけど、何を喋っているのか判らない」人間達になっていたと思う。

さて、日常が始まった。山形市へ建築士会の合同役員会に出向く。最上川の水は驚くほど少なくなっていた。つい、この間の増水で、ストロー現象で水が流されたのかと思う程だった。

村山市の道の駅で休憩をする。水田の緑が震えるほど美しかった。

この横の線は何だろう。

天童市のさたけでラーメンを食べる。店に行き着くのに手間取ったが、昔ながらのちょっと鶏ガラの香りのする、とても美味しいラーメンだった。

会議が始まった。会場のパレスグランデールは、改装工事中で9月まで掛かるそうだ。ちょっと不便。

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奈良・1日目

2016-07-25 22:21:18 | 

十数年ぶりに、全国女性建築士連絡協議会・奈良大会に参加する。日本海側のJRが不便になって以来、奈良に行くには山形空港から伊丹空港経由で奈良に向かうのが速い。寝坊してはならずと早めに山形空港へ着く。誰もいなかった。少し不安になる。

山形空港は、神町空港と呼ばれていた50年以上も昔に訪れた事がある。建物の記憶はない。「おいしい山形空港」を撮そうとカメラを取り出したら、シャッターが降りなかった。カードが入っていない。パソコンに着けたままだった。これがアクシデントの1回目。買おうと思ったが、空港の売店にもなく、伊丹でようやく手に入れる。

飛行機は4列の小さな機体だった。せっかく窓際の席をゲットするものの、雲の上を飛行するだけで何も見えない。密かに富士山が見えないかなと期待したが、ルートが新潟経由だった。綿飴のような雲を突き抜けると大阪の町が見えた。あれは大阪城ではあるまいか。

伊丹にはすんなりと降りた。羽田並みの大きさを想像していたが、さほど大きくはない。この伊丹空港と大阪国際空港の関わりを聞いていたので、複雑な気持ちになる。ただし、やはり街中の便利な足だと思う。

外は暑かった。リムジンバスで奈良へと向かう。時間にゆとりはなく、昼食はコンビニで買いバスの中で食べた。

奈良に近づくにつれ、家々の間にこんな建物が出現する。これは平城京跡だと思う。

近鉄奈良駅前でバスを降りる。会場の奈良女子大までは、徒歩で進む。素敵な小道を歩いたのだが、帰りも同じ道だと思い、撮して来なかった。帰りはタクシー移動だったのに。

奈良女子大は、108年前に創立された女性の教育者を育てる日本でも古い学校だそうだ。

その講堂が会場だった。

受付を済ませる。

前日に委員長代理で前乗りしていたHさんが、前の方の席を確保してくれていた。(この椅子は座っているのが辛かった。皆さんお尻が痛いと嘆いていた。)

 連合会会長

開会式が始まった。

来賓の挨拶が始まる。

基調講演の岐阜大学名誉教授の渡辺先生のお話は面白かった。最初に舞台に現れた時、手塚治虫氏かと思った。講演は「日本の暮らし・豊かな生活文化の再発見」で、日本の住宅の段階的成長の中で、窓を開けない日本人が増えてきていること。畳の文化は消えてしまうのか、逆に海外で家の中は靴を脱ぎ、床に座る生活が広がっている。和室に学ぶべき知恵が詰まっていることが順を追って紹介された。

これからの住宅には、季節感を取り戻す必要があること、住宅に限らず食生活にも日本の複雑な季節感が必要であること。また水道、電気、ガスで激変した住宅の次は、必ず新たな進化の時代を迎えるであろうと3つの課題を挙げられた。

パネルディスカッションは同じく「日本の暮らし 豊かな生活文化の再発見」と題し、進められた。ここでもキーワードは「床」だった。洋式の部屋は家具があることで成り立つ。和室は多目的で使い方が固定されていない。曖昧さが魅力の一つでもある。

介護の面で、畳を無くしバリアフリーを進めてきたが、あえて畳の上での布団の生活は、個人の体力の向上に繋がる。椅子やベッドの生活は楽ではあるけれど、体力は落ちていくと湯川氏はリハビリの施設運営の上からの助言だった。

久しぶりの全建女だが、内容もレベルアップしている。コーディネータの女性委員長の無理矢理の采配に、受けて立つパネラーもさすがである。

 

次に、被災地からの現状報告として、岩手県(内陸地震)、宮城県(東日本大震災の津波)、福島県(放射能)、茨城県(水害)と熊本県(地震)の発表があった。熊本県を除いては準備の時間があったので、冊子になった報告書を見ながらの発表に耳を傾けたが、熊本県はそのゆとりが無く、それでも画像を示しながらの報告となった。

4名の発表者が自分の地区と応急判定、建築士が地震の被害者と向き合う様子が語られたが、建築士自身が被災していることと、今まで地震を体験した事がなかった為に、最初に何をしたら良いのか、まったく要領が掴めなかったことが話された。

ただ、東日本大震災を経験した福島県に、被害の様子などを視察し建築士会通しで意見交換を行っていた為に、救いの手を福島に求めた。すぐに福島は動き、ネットワークの重要性に気がついた。

連携が取れて、なんとか動くことが出来た。ただ、度重なる余震で、未だに車の中の生活をしている人もいる。応急判定の赤黄青のシールに、住民への説明がうまく伝わらない様子も見えた。

いつでも、どこでも災害はやってくることを、覚悟し準備することが必要だ。

さて、時間は押し気味だったが無事に終了し、タクシーに便乗して懇親会の会場、JR奈良駅近くのホテル日航奈良に向かう。今回の私達の宿泊先のホテルも近かったので、一度チェックインし、身軽になって出かけた。懇親会はすでに始まっていた。

男性達の懇親会とは違い、女性達はまず最初に食べるものがなくなる。手分けして料理をかき集め、テーブルをゲットする。

まずは腹ごしらえである。

せんとくんが現れる。

くまモン募金箱を抱えた委員長も現れる。

今回の準備をしてくれた近畿ブロックの会員達。拍手!!

お開きの後、お腹はいっぱいだが、時間が早い。よし2次会に行こうと歩き出した。

駅前の贔屓屋と言う居酒屋に入る。

杉の香りがした。

上も下も表面張力している「もっきり」にどっきり。こうして1日目は更けていった。

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奈良・二日目・分科会

2016-07-25 22:18:26 | 

2日目の分科会会場は、奈良公園の中にある奈良春日国際フォーラム甍(いらか)だった。

玄関脇の石庭には、鬼瓦などのオブジェが並んでいる。

甍の名前の通り、屋根が素敵だった。

目の前には、奈良公園が広がっている。

山形美女達におびえる子鹿。

分科会は8つに分かれる。私のE分科会は「景観まちづくり」で、2階だった。

コメンテーターは石川県。およそ35人が集まっている。ちょっと会場が広すぎ。

石川県七尾町のまちづくりに建築士会が関わる様子が伝えられた。

住民達の結束は祭りに紹介される。

2度の大きな火災で、街並みが変わったことと、歴史が紹介される。

ここに嫁ぐのも大変なようだ。親と別れの水杯を交わす。

その結婚式の1週間だけ飾られるのれん。一生に1週間だけだそうだ。

七尾市には古い町屋が残っている。その子供達を中心に行っている。これは大人の部。

同じ北前船の湊町なのに、町屋の建て方が違う。七尾市も同様北陸では、屋根が平入りである。隣とは殆どくっついている状態で、火災よけのウダツも付いている。この平入りは雪の為らしい。

発表後、質問と意見交換会が行われた。手ぶらで聞くだけの参加も自由だが、もし発言する機会があるなら、自分たちの資料を持っていくことをお薦めする。聞いた話の記憶は消えるが、資料があると内容を思い出す。

ちなみに、私も急遽資料をこしらえて参加した。行政主導のゆるい規制の金山町100年運動。

民間が主導し協議会を作った規制の強い天童市の街並み。出発時の22日の0時頃、プリンターをビコビコしたのだが、途中でトナーが切れて焦った。仕方がないのでコピーする。持っていった数は22枚、35人には全然足りない。事前に人数を確認するべきだったのだが、忙しい女性委員会に問い合わする力がなかった。以前は個人情報法がなくて、名簿のような物が手に入った気がしたのだが。

分科会が終わり、全体会は能舞台のある会場で行われた。桧の香りが漂っていた。

各分科会の発表。

最後に、全建女の場で集められたクマモン募金(小銭が多いので、重たいようだ)が、委員長から熊本県の委員長へ手渡される。熊本の委員長さんは、挨拶の途中から涙声に変わって、女性建築士の繋がりって良いなと思った。

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奈良・二日目・斑鳩の里

2016-07-25 21:51:43 | 

分科会を終え、大人の修学旅行が始まった。これは奈良建築士会が準備してくれたエクスカーションである。10コースある中で9番目の斑鳩の里めぐりに応募した。

車窓から見えるのは、山形の高速道路ではお馴染みの(とは言っても山形のはカモシカだが)鹿に注意の交通標識が見えた。

遠くに見えたのは、奈良郡山市の公園の城。

法起寺は車窓から

駐車場に入ったので降りる準備をしたら、方向回転しただけの法輪寺。これも車窓から。

集落の家並みは綺麗だ。

昼食会場に入る。

長屋門を改造したカフェ

吉野杉のベンチ

お洒落な昼食。左の冷えた三輪そうめんが美味しかった。

宮大工の西岡常一の祖父が建てたと言う住宅。屋根のむくりが素晴らしい。格子も4種類を使っている。残念ながら見学は出来なかった。

ボランティアの案内人が到着し、見学が始まった。

土塀は、五層に分かれているが、一番下の一層目は幅が1mほどあると言う。一層毎に造られていく。五層と言うのは珍しいのだそうだ。

本物を観ると、奥州藤原の里のセットが悲しくなる。

案内を務めてくれた方は、昔建築の仕事にも就いたことのある方で、詳しかった。ボランティア以外に有償でも案内を行っているとかで、私達の為に図面を用意してくれたり、本当に有り難かった。

5人くらいの班に分かれての見学だ。

 

尼寺

多分、これは吉田五十八設計の中宮寺(RC造である。)弥勒菩薩が国宝になっている。良いお顔をされていたが、撮影は禁止。

そこの回廊から見える夢殿。夢殿にも行けなかった。

宝林だけご覧遊ばせ。

東大門に向かう。

ともかく、屋根瓦の見本市のようである。

法隆寺には横から入る。

暑い。蝉の声が聞いた事のない鳴き方をしていた。

本来なら、こちらを通って法隆寺に入る参道だ。

残念ながら東大門は修理中である。ともかく、修理中の神社仏閣が多い。

五重塔は、大きい感じがする。

この回廊も国宝

金堂。飛鳥時代の様式で一番古い。この中には火事で焼失された、あの有名な壁画が描かれている。その修復には多くの画家が携わったが、どの部分を描くかで権力争いもあったらしい。その中に若い頃の平山郁夫もいたと言う。

五重塔と金堂から大講堂を見る。

本来なら、この建物内には一般の人々は入る事が叶わなかった。その為この石の上に立ち、参拝したと言う。石は左右2箇所にあった。

建物の様式は、飛鳥天平白鳳と、年号では無い分け方で分けられているらしい。どちらが古いかを見定めるのが屋根に使われた木端の造りに現れていると言う。

金堂の飾りに見える龍などは、実は添え柱として屋根を支えている。

古い時代の垂木は一重で、年代が下る毎に二重三重と豪華になっていく。

ここが一番良い撮影ポイントだよと教えて頂いた。

この反った梁が力学的に有効。束が無い。柱はエンタシス。新しく通路をL型に手直しした所の梁は、そりが無かった。

仏教では格子とは呼ばずに連子と呼ぶ。見えなくする為ではなく、格子部分よりも空間が広く風通しに用いられた。しかも面白い事に連子部分の材料を後で繋ぐのではなく、一枚板をくりぬいて用いられている。金堂の扉も同じ造りになっていた。昔の職人のすごさがわかる。

宝物殿に行く。案内人は、建築に携わっているなら、仏像では無く「玉虫厨子」を良く見た方が良い。建物は年代毎に作り替えたり修理して様式が変わることが多いが、この厨子は本来の建築様式そのままの状態で残っているからだと言う。

もう、我々の文化財の範囲はそこそこ何百年であるが、千年を超えないと認められない奈良の人の話である。

法隆寺を出て、参道沿いの土産物屋に寄る。

両側に土産物屋が並んでいるが、他の地域と違い、商売っ気も薄く鷹揚なのが奈良の人の気質らしい。

この中央が本来の参道である。皇室の方しか通れないかと思っていたら、一般人でも平気のようだ。

法隆寺 i センターで、西岡常一の道具を見る。

センターを出て、バスは近鉄王子駅に着き、解散となる。あら、法隆寺駅でも良かったのに。

暑い二日目だった。宮城県の女性建築士と合同で夕食会場に入る。この大人数を受け付けた有り難い居酒屋である。

居酒屋の最初の店員さんは、地酒の事は何も判らなかった。

次に入ってきた店員さんは「楯の川や十四代がゴロゴロしている山形県人」を前に、奈良の地酒はあまり褒めた物が無いと正直に言う。取り立ててすすめるなら、この酒だそうだ。

色々と教えてくれる。こうして二日目は過ぎていった。

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奈良三日目・東大寺

2016-07-25 20:40:03 | 

3日目はフライトまでの時間、午前中に出来る市内観光をした。この建物は旧JR奈良駅。保存され、観光案内所やカフェとして使用されている。

このモニュメントの赤い柱は木材だった。背割りしていないのに、割れが少ない。

駅前ロータリー

観光バスに乗る。一日がかりのツアーで、午前中で降りる事が出来る。ガイドさんは、室井滋似の優しい女性だった。ただアクセントに関西訛りがある。

最初は東大寺だった。駐車場から境内に入った頃から、獣臭い。鹿のせいだ。これは大きな南大門。

 

池に船が浮かべてあった。

中門。

門を抜け入場チケットを手に入れて回廊をあるくと、金堂(大仏殿)が見えた。

この回廊の梁は、真っ直ぐである。

参道の中央の黒い敷石はインドから、横に中国、朝鮮と続いて広い部分が日本の石だそうだ。

唐破風の下の中央に、窓がある。これは中門から大仏様のお顔が見えるようになっている。

灯籠で、これにも灯が点るそうだ。

一番美しく見える場所だそうだ。

大仏様の左横に座っておられる虚空蔵菩薩。知恵の仏様

左後方の広目天。

右後方の多聞天。

大仏様右側の如意輪観音。慈愛の仏様。虚空蔵菩薩と併せて、自分に足りない部分を拝むと良いそうだ。

右からの大仏様。正式な名前があるそうで、盧舎那仏坐像と呼ぶ。・・・・読めない。

大仏殿の中の土産屋と、大仏殿の架構。隅だけ斜材が入っている。

大仏さんの裏にも、面白い物が並んでいる。これは柱材。建立当時の模型もあったが、現在と比べて敷地も広く、建物も両側に五重塔があった。焼き討ちにあったり、落雷での火事もあったらしい。現在は五重塔は一棟もない。

大仏さんの鼻の穴と同じ大きさ(直径40cm)で、穴くぐりをすると、幸せになると言う。挑戦している強者がいた。

こちらは戻りの回廊の土産屋さん。

五重塔は九輪だけ。

東大寺ミュージアム。

ミュージアムの看板の前の鹿

鹿のいる辺りには煎餅屋がある。煎餅を買った人間は、必ず大勢の鹿に襲われるストーリーが出来ている。

それがこれだ。近寄られても、触っても臭い。ただ、だんだん鼻が慣れてくるのが不思議だ。彼らは煎餅が主食では無く、広大な奈良公園の芝生の清掃係である。人間が芝刈りを行う事はないと言う。

 

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奈良三日目・春日大社

2016-07-25 18:19:12 | 

春日大社に移動する。私達は観光バスを使ったが、地図を見ると歩いていけない距離では無い。

春日大社では、式年造替が行われていた。伊勢神宮は式年遷宮(新しい社を造って移る)だが、ここは同じ場所に造り替えることである。

その造替に必要な浄財出者達の名前が並んでいる。

春日大社では、灯籠の数が三千基以上もあると言う。現在も増え続けている。2月の節分、8月14-15日の年3回、この全ての灯籠に灯が点る神事が行われる。

神が白鹿に乗って現れたそうだ。

さぁ、もうじきだ。

石灯籠の他に、吊り下げられた灯籠の数も多い。

春日大社には、山藤が多い。巫女さんの頭にも藤の花が飾っている。

鹿がおみくじを咥えている。仲良しになった姉妹に見せてもらった。

おねえちゃんは、大吉だよ。

お社(中には第1殿から第4殿まである。)には一般人は入れない。しかも撮影不可である。

この辺りはパワースポットらしく、カメラが写らない現象が多いと言う。

左側には大きな杉のご神木が立っていた。そのご神木の前に奉納された宮家の方々のお名前が並んでいる。1つの宮家の名前がないことは、随分前から問題になっていた。この宮家は、天皇陛下の生前・・・の噂が流れると、神武天皇陵に参拝した。愛子親王は生まれて初めての参拝だと言う。この宮家は、自分の立場がなんたるか、仕事もする気が無いように見える。

写真は、何のアクシデントも無く写った。

灯籠は1基づつ個性がある。

 

御蓋山浮雲峰遙拝所

春日大社に限らず、神社のご神体は鏡である。ここは山そのものが神として崇められている。目の前の山には一般人は勿論のこと、限られた人間が禊ぎを行った後で無いと入山できない。八百万の神しかり、日本人の宗教観は、このあたりにあると思われる。

本宮は造替の真っ最中の為、神様は御仮殿に移されているので、拝んでも駄目だという。

御仮殿に向かう途中、屋根から神木が突き抜けているのを見た。

その下の部分。これは建物が出来てから木が生えたのでは無く、逆なのだと言う。木にとって嬉しいのか悲しいのか。

屋根瓦の隅に桃があった。

普段は灯籠に火は点っていない。それを再現した藤波之屋。

色々見たい所はあったのだが、通り過ぎるだけ。

日本人は、赤く塗られた柱よりも、この生地色の方がなじむ。

帰りは別のルートを通る。

鹿煎餅を貰って手に取ると、すぐに鹿が近寄ってくる。可愛いけど汚くて臭い。神のお使いの鹿に襲われる。

暑い・・・・。

次に移動する。これは奈良県庁舎。入り口にせんとくんがいるのだと言うが。

 

 

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奈良3日目・興福寺(最終)

2016-07-25 18:08:06 | 

最終目的地の興福寺に着く。ここの時間の大半は、この国宝館で終わった。あの有名な阿修羅像を始め、とにかく国宝が多いのだとか。

国宝館の後ろに見える若草色の山は、その色の通りの若草山である。春の野焼きでも有名だが、三つの峰があり三笠山とも呼ばれている。

勿論、内部は撮影禁止なので、売店で写真集を買ってくる。

これは、享保2年(1717)の大火で焼け落ちた中金堂の再建を行っている。完成は平成30年の予定。ともかく檀家のいない寺は、予算を確保するのが難しい。阿修羅像などを他の国や美術館に貸し出しする事で資金を稼いでいるのだそうだ。

私達は、ここでバスと分かれた。砂利の中をケースを曳きづり歩くのは大変だ。  暑い。

東金堂に入るのもチケットが必要なので、遠くから眺めるだけにする。

南円堂を見る。

長い下り坂を下りて、昼食の柿の葉寿司を買いに行く。 暑い。

このアーケードの先に店はあると言う。

この店の奥で、食べるつもりだったのだが、人数が多いので席が足りなく、持ち帰りになった。またバスの中だ。

近鉄奈良駅のすぐ傍だった。我々が歩いたのは一日7000歩は超えていると言う。(最終的には2日続けて、平均1万歩/日近くなった。) 暑い。

歩き回るのも疲れたので、甘い物の店に入る。店先で色々試食して、かき氷の看板に引きつけられて奥に入る。

宇治金時

抹茶ラテ。冷たい物の横に、暖かい番茶が付いた。これは有り難い。

しばし、足を休める。

バスの中で昼食を済ませ、少しの惰眠の後に、伊丹空港に着いた。

空港内で、買い忘れたお土産を詰め込む。

羽田空港同様、山形行きはゲートの最後尾だった。グダグダ動く。

JALの小さな飛行機。

帰りも雲の上だった。新潟の村上上空から内陸に入る。山形空港にすんなり降りるのかと思いきや、グルグルと上空を旋回する。風の向きが悪いのか、予定よりも時間が掛かった。

解散式を終えて、それぞれ帰途につく。

私はその後、腹ごしらえをしようと出向く先々で、本日終了の憂き目を味わう。

やっと有り付けたのは、新庄市に入ってからだった。食べ終わると夜の8時は過ぎていた。

奈良で食べた麺類は、三輪そうめんだけだったなと思い出した。

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光丘文庫(詳しい説明は後ほど)

2016-07-21 00:16:55 | 酒田

光丘文庫が7月31日で閉館になる。見学はその日まで。蔵書は中町情報プラザに移動するが、建物の使用は中止となる。原因は建物と地盤の耐震に問題があるのが白日になった。それもそうだろう。この日和山は、人工の山なのだから。

本間光丘が、農民の冬の失業対策の為に、米俵に砂を入れて運ばせ日和山を築く。一俵毎に賃金を払ったようである。酒田の町を防砂と防風で守る為なのだが、通常は殿様(酒井藩)が年貢でそのような対策を行うが、本間家は身銭を切って酒田の為に行った。「本間様にはおよびもせぬがせめてなりたや殿様に」と呼ばれる由縁でもある。

館長は、私達の為に、船石に水を流してくれた。この丸い石も取り囲む岩も、共に鳥海山から持ってきた石である。

実はこの流す水のせいで水道料が爆発的に跳ね上がり大問題になったとか。今日は私達の為に流してくれるのだそうだ。

この光丘文庫の近くで育った者にとって、ここは勉強するのに打って付けの場所だった。

貴賓室らしき部屋に誘導される。これは本間光丘氏の画ではないか。

昭和天皇が東宮の頃に座られた椅子。勿論、文化財である。ちなみに、この建物の中にある殆どの家具が、文化財指定されている。そこに、我々が普通に座る。いいのか!!

光丘文庫の青写真。

光丘文庫、建築中の写真。上棟式と出ているが、玄関の唐破風は出来ている。

図書室の中を通って、一般の人では行けない所へ進む。

一見、蔵のような造りになっており、現在では空調もはいり書籍の管理は万全である。

私は一度、総合文化センター内の図書館の立ち入り禁止区域の蔵書室に入った事があるが、ちょっとカビ臭かった。

ここは、防虫剤の匂いは少しするものの、空気は綺麗だ。本に大敵なのは虫と湿気らしい。

1階から3階まで、本の山である。しかも、とんでもない価値のある本がうなっているのだ。

ちなみに、この簡単に出来ている本棚も、実は文化財である。

これは背表紙のない和本。和紙に墨で書かれている。これを分類するには、本のタイトルを記した和紙を、本と本の間に差し込む。

印刷された物は、何とか読むことが出来そうだが、手描きの楷書でない物は、日本人でありながら読めないと言う不甲斐なさ。

この棚は、中国語で書かれた書物である。同じ物が中国に残っているのかは分からない。もしかすると無い可能性もある。

これも、中国の書物だ。

この箱は、200を超える掛け軸。

大きな掛け軸はこちら。

今回は私達の為に、昭和天皇陛下の御歌を侍従長が書き写された軸を飾っていただいた。素晴らしい!山形県の県民歌になっているアレである。見せない。←意地悪

第一の蔵庫を通り抜け、3階に出る。ここは一度訪れたことのある場所だ。

このダンボールには、私が耳で聞いただけ、幻の「伊藤家文書」が、ズラーッと並んでいた。こんなに多いのか。私は数冊だと思っていた。同じ伊藤家文書でも、保存されていた地域によって違いがあるとか。その他にも具体的に世の中を表した文書が数多く残っていると言う。それはプライバシーも何も無く、全て起きた出来事が綴られていると言う。

古文書が収納されている場所とは違い、室温も高い。それほど大事でも無い蔵書なのかと言うと、ヘレンケラー関連の点字の本がある。

日本で点字の本の制作の風潮が出来た10年も前に、この光丘文庫は建築された。その際、点字図書館の構想はあり、点字専用の図書室も設置された珍しい図書館だそうだ。

歴史もさることながら、光丘文庫で一番古い蔵書は何かととの問に、夢殿の「大般若経」があり、我々の為に飾ってくれたと言われて見ないわけにはいかない。

あまりに無造作に飾ってあり、ガラスケースの中ではあったが、盗まれたらどうするのの心配が先に立った。

その物の写真は撮ってきたが、載せない。←意地悪。

読めない。

現在朝の連続ドラマの「とと姉ちゃん」の暮らしの手帖の初版本

これは、大川周明がフランスで手に入れたナポレオンの人生だそうだ。

明治の酒田大地震を描いた物。この絵は建物の崩壊だが、他の絵はエグかった。

建物を見に行った筈が、怒濤の書籍に魂を奪われてしまった。光丘文庫の蔵書は半端な数ではない。しかも実に貴重な本がきちんと残されている。

「所蔵してある物ならば、いつでも市民に無料で見せますよ。」のスタンスで図書館側は市民に接している。しかし、なかなか想いは伝わらない。

私だって本は好きだが、人生100年を6回位かけて読んでも、読み切れない程の本の数だった。驚くほどだ。これは新しい図書館に引っ越ししても伝わらないだろうな。この蔵書の数々を、ガラス戸越しにでも、市民に伝えて欲しいと思った。全部の書籍の価値は、何でも鑑定団でも計算できない天文学的数値になると思う。何故、酒田にあるのだろうと不思議にも思った。酒田の人間は読書好きか、勉強好きなのだろう。好奇心が強いのは隠しようもない。

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よしのや

2016-07-20 23:19:13 | 建築・都市・港

建築士会女性部の見学会で、日和山公園近くの割烹よしのやに行く。

まずは、この日付(しかも設定が狂っているし)が、付いた画像でごめんなさい。

建築されたのが昭和24年。元々よしのやは、日和山公園側から店に出入りしていたらしい。最初は食べ物を販売する店を出していたようだが、料亭へと変身する。大工職人達が楽しんで造っただろうなと思える建物になっている。外壁は杉皮だった。昭和24-25年と言えば、ようやく建築士が世の中に出てきた時期でもある。

ここは、料亭の中でも一番良い部屋である。2階で日和山公園が一望出来る。

公園の千石船や広場を通り越して、酒田港が見える絶好の眺めなのだが、無粋な電柱(電話)が邪魔をして,千石船は見えなかった。

春の花見の頃に、公園からこの「よしのや」を見上げると、羨ましいなと一般市民は思う。この部屋の予約はリッチな常連さんの為にある。

そんな部屋を、新緑の美しい時期に安い会費で昼食&顔合わせ会を行う私達。

しかも無粋に写真は撮るし。

美味しい。

和食なのに、トマトと高野豆腐がドッキングで違和感がない。美味しい。

主食は蕎麦だった。デザートに水羊羹がつく。

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海軍カレー

2016-07-20 23:11:25 | 食べ物

17日の酒田北港に接岸した護衛艦「いせ」は、私が単独で出かけて「すんごく良かった!」と家族に伝えたら、護衛艦を見るよりも買ってきたグッズ(ヘリコプターは動く、喋る、走る、だが飛ばない。)を見て、翌日に家族は北港に走った。お土産に買ってきたのは「よこすか海軍カレー」と、あとは内緒。

グッズは売れに売れて、取り分け海軍カレーは前日に売り切れて、翌日取り寄せしたものの、数が足りなくて、お一人様1コ限りになったそうだ。それを私は横取りする。うふ

それでも行列は「かき氷」の店だったらしい。

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「1本足」飯田丸五階櫓を緊急工事

2016-07-18 22:02:34 | 建築・都市・港

「1本足」飯田丸五階櫓を緊急工事 

熊本日日新聞で、熊本城飯田丸五階櫓の緊急工事の模様を取り上げていた。飯田丸五階櫓とは、あの一本足石垣で辛うじて崩壊を免れている櫓だ。

詳しくは熊本日日新聞のHPにて

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護衛艦

2016-07-17 21:28:39 | 建築・都市・港

7月17日と18日、酒田北港小湊埠頭では、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いせ」と、イージス艦「みょうこう」が入港している。

いつもは簡単にレンズの中に収まってくれる護衛艦なのに、岸壁の一番後ろに下がって、ようやく写るほどの大きさだった。

普段、見慣れているイージス艦も大きいなと思っていたら、ヘリコプター搭載護衛艦は桁違いの大きさだった。「いせ」は、ヘリコプターが発着艦する甲板が航空母艦のように艦首から艦尾まで通じている「ひゅうが」型の2番艦として造られた。

どちらも、無料で一般公開している。18日は午前9時〜11時半と午後1時半〜3時まで、予約も不要だ。

かなりの人数が出入りしているが、この「いせ」に人数の心配はいらない。スムーズに乗船出来る。イージス艦はいつでも乗れると思って、「いせ」に乗ることにした。

「みょうこう」の何が綺麗かと言うと、旗が綺麗。もう少し近づいて撮すべきだった。

護衛艦「いせ」は、ただでかい。いつもの護衛艦の船首とは違う形をしている。

タラップを上ると、格納庫の中に入る。そこからエレベータで甲板まで上がる。

本来はヘリコプターの移動に用いられる。みるみる上昇していく。

甲板には、一度高さを超え、再度位置を調整するようだ。

やっぱり、空母である。

いつもは岸壁を全面使って駐車場にするのだが、道路際の方で工事が行われていた。何の工事かは判らない。

テントの中は、様々な店が出ていた。一番列が長かったのは、かき氷の店だった。

甲板の前方にも後方にも、この「82」が描かれていた。

高性能20mm機関砲である。これで何をどう出来るのか。それが問題である。

乗船して、見学出来る場所は、どこでも撮影可能だった。ただし、見学出来るのは格納庫と甲板だけだ。

まさか、イージス艦を見下ろす事になろうとは。

搭載されたヘリコプターは1機だけだったが、この機も見学できた。ただし、見学者が多いので列が扉の両側に出来ている。

甲板の後方に向かう。空港で良く見る車が並んでいる。

後方から前方を見る。

沢山の勲章が綺麗だったので、撮させて頂いた。この勲章から個人が特定されるかを伺ったら、自衛隊でも7段の者は数が限られているので、特定されるかもと言われる。何のことはない、彼はこの「いせ」の艦長さんだった。旭日旗の前で全身をも撮させて頂いたが、公開する気持ちはない。(明日も会えるかも!)

甲板の上には丸に十字のまるで薩摩藩の家紋のような物が沢山着いている。誰かが「あっ、揺れてる。」と言ったが、勿論ここは船の上なのだから揺れるのは当たり前である。その揺れで作業車が揺れ落ちてしまわないように、ワイヤーで固定している。驚くほど沢山の固定用の金具が設置されていた。

格納庫から甲板へ昇降する大きなエレベータは、ヘリコプターの為であるが、小さな物もあった。何の為のかを聞いたら、弾薬専用らしい。

こちらは、甲板後部のエレベータである。戻りはこれに載ることにした。

船を見て思うのだが、道具がきちんと所定の位置に設置されている。整理整頓が出来るのは羨ましい。(それに引き替え、我が仕事場は・・・以下略)

新たな見学者を載せる為に格納庫へ降りたエレベータ。

さて、私も降りた。

エレベータの昇降の為のワイヤー。普通の建物のエレベータとは比べようもない。

「100人載ってもだいじょうぶぃ!」の筆箱以上である。

格納庫の奥。

これは、エレベータが甲板に到達した時の格納庫の様子。

百戦錬磨の旗の前では

Tシャツの販売中。白も紺色も共に2500円也。皆さん買うて!

女性の自衛官の姿が見えた。なかなかの美人揃いである。(明日も会えるかも!)

そうだ、甲板の上で雨に降られたんだっけ。

ミニタリーグッズ。見てる間に売れていく。

大泉さんは、今日も頑張っていた。

イージス艦「みょうこう」からは、2名のトランペッターが船壁の中央に立ち、何の曲か判らないが吹き鳴らしている。拍手が起きた。

もうじき見学の終了の時間だ。

 

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大丸

2016-07-16 16:29:47 | 食べ物

現場の帰り、少しお昼までには時間があったが、ラーメンでも食べようと言うことになった。酒田はとにかくラーメンは美味い。ただし「酒田のラーメン」と一括りに呼ばれても、各々の店で味が違う。選ぶにも、迷いに迷う。しかも、今日はワンタン麺が良いと、これまた迷う。ラーメンの美味しい店でもワンタン麺が美味しいとは限らないからだ。

車の中で意見を戦わせながら、結局市街地を突っ切って、反対側の光ヶ丘の「大丸」に着いた。ここは何年ぶりだろう。先代が居た頃だものと、店が新しくなったのに気がついた。

酒田のワンタン麺は、皮がとても薄いのが特徴だ。レンゲですくって喉に流し込む。美味い。麺は細さもコシも縮れ具合も満点だ。ただ、普通盛りなのに量が多かった。

さて、これは東根の「よってけポポラ」で見かけた沖縄の野菜。左が青いパパイヤで、右がモーウィだそうだ。

モーウィはウリのような野菜だそうだが、味はまったくわからない。

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クーデター(妄想)

2016-07-16 09:02:07 | 社会

トルコで軍によるクーデターが起きたとニュースは伝えている。ただし詳細は判らない。

エルドアン大統領が独裁的なのは、数年前の高校生から始まったイスタンブールのデモの時にはっきりと判った。デモを行っている市民への妨害に、普通だったら放水とか涙流弾で鎮圧するだろうに、毒性のある薬品を使った。これを浴びた市民はやけどをする。また窓から身体を乗り出しフライパンの底を叩いて応援した高齢の女性をもしょっ引いた。その模様をブログに載せた個人にも制裁があった。日本人のブログにも影響が出た。

大統領に不満を持っているのは市民だけではない。軍も領空侵犯したロシア機を撃墜したのに、最近はロシアと手を組むような姿勢を示している。ロシアはトルコの宿敵ではなかったのか。命がけで国を守ったのにと、軍の一部も思っているだろう。シリア難民とヨーロッパ情勢で、大きな鍵を握るのがトルコなのだと心配している。「難民はトルコに戻せ!」って、ヨーロッパは言っているけど、トルコはシリアではない。

TVのニュースを聞き続けていると、クーデターはスムーズに進んでいるようには見えない。これも片方の陣営からのニュースかも知れない。


さて、日本では起きないだろう武力によるクーデターではあるが、最近妙な動きがある。天皇の陛下のご譲位へ発言があったかのように伝えられているのだが、宮内庁は否定した。ならばNHKにリークした宮内庁関係者は誰なのか。この件で一番得をする人物は誰なのか。思い当たる節がある。元外務相関係者、皇太子妃殿下の父君。それに宮内庁の侍従長にも外務省出身者がいる。彼の独断なのか、その後ろには誰がいるのかと考えると、大国とその周辺国が浮かび上がってくる。陰謀論めいてくるが、それが事実になると恐ろしい。都知事選も繋がっている。日本は内側からシロアリに喰われていると思う。

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天童古城西(てんどうこじょうにし)

2016-07-15 09:16:34 | 建築・都市・港

走る車の中からの撮影がイマイチだったので、理事会の帰りに天童へ寄った。それなのに、カメラを忘れる。

この通りの景観はどうやって造られたのか知りたくて、お店に入る。行政が主導だったのかを聞くと民間が主導だと言う。お店のご主人は詳しいことは相澤さんに聞いてみてと、場所を教えてくれた。事務所かと思ったら、住宅だった。彼が中心になり、このまち作りを行ったそうだが、せっかく教えて貰ったので、お邪魔してみた。突然現れた不審な女を前に、玄関にどっぷりと座って詳しく教えて下さった。

山形県で国体が開催された頃、天皇陛下がお出でになると一部の道路が綺麗になった。この通りは旧国道で現在は県道に格下げされているが「羽州街道」である。この通りはその計画から外れ、なおざりにされた。山形市と天童市は近い。天童から山形への通勤客も多い中、交通量は増えるばかりで、道路を拡張して欲しいと山形県に陳情する。国体が終わると、その運動は一度下火になったが、ますます交通量は増えるばかり。再度、協議会を立ち上げる。天童市役所にもノウハウを聞きながら、住民達が立ち上がる。道路を中心に各々5mづつ後退し道路を拡張する。単に道路が広がり家を曳き屋や改築するのでは芸が無い。天童の古城西と言う独自の地域を生かしたまち作りが必要では無いかと、芸工大の山畑先生を中心に植物の専門家も交えて協議会を作った。そして勝手に改築しないことを住民達に条件付けた。

このまち作りの目途として平成29年に道路工事は終わる。その頃まで町としての形は着くのではないかと考えている。実は同じ時期に寒河江でも道路の拡張工事が行われている。そちらはまち作りとして、あまり私の記憶にない。

仲野商店の蔵

こちらも出羽桜の美術館である。

 

 

 

 

 

 

 

出羽桜の住宅を活かした美術館である。

 

 

 

 

 

 

 

髪結い処。山形市では夏になると冷やしシャンプーが流行する。

旧東村山郡役所の建物は、現在資料館になっている。

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