今年も研修医が回ってくる季節になった。彼ら彼女らに出会うと、まだ日本に将来があるという気がしてほっとする。
礼儀正しい、素直に先輩の話を聞く、弱者に親切である、新しいことに興味を持ち向上心がある、感謝の気持ちを忘れない。こうした態度、性向に触れられることは、研修医を受け入れる苦労を凌ぐ喜びだ。もう少し生意気というか覇気があってもいいかなと思うこともあるが、生意気だった自分がこの程度なので、素直さを買った方がいいんだろうと思う。
稀にはコミュニケーションや客観視の能力がやや不足していると感じられる研修医も居るが、適性を生かし経験によって補ってゆけば問題はないだろう。
日本各地の色々な大学からやって来ている。戦後開設校にはさほどでないが、戦前からの伝統校の卒業生にはなんとなく校風を感じる。能力は医学の知識分析力だけでなく広い視野と高い目標に関わっている印象がある。それらには相互作用があり、将来の伸びに繋がっているのだろう。
指導というほどのことは何もできないのだが、そうした教師的な見方をすることもある。しかしそれは優劣というよりも適性の問題で、ほとんどが優れた臨床医になってゆけると確信している。
いささか懸念することは、研修を終えた彼ら彼女らを生かすシステムと扱いが整備されているかだろうかということだ。どうもこの国には分け隔てなく人を生かす眼差しが乏しくなっていると感じるからだ。
礼儀正しい、素直に先輩の話を聞く、弱者に親切である、新しいことに興味を持ち向上心がある、感謝の気持ちを忘れない。こうした態度、性向に触れられることは、研修医を受け入れる苦労を凌ぐ喜びだ。もう少し生意気というか覇気があってもいいかなと思うこともあるが、生意気だった自分がこの程度なので、素直さを買った方がいいんだろうと思う。
稀にはコミュニケーションや客観視の能力がやや不足していると感じられる研修医も居るが、適性を生かし経験によって補ってゆけば問題はないだろう。
日本各地の色々な大学からやって来ている。戦後開設校にはさほどでないが、戦前からの伝統校の卒業生にはなんとなく校風を感じる。能力は医学の知識分析力だけでなく広い視野と高い目標に関わっている印象がある。それらには相互作用があり、将来の伸びに繋がっているのだろう。
指導というほどのことは何もできないのだが、そうした教師的な見方をすることもある。しかしそれは優劣というよりも適性の問題で、ほとんどが優れた臨床医になってゆけると確信している。
いささか懸念することは、研修を終えた彼ら彼女らを生かすシステムと扱いが整備されているかだろうかということだ。どうもこの国には分け隔てなく人を生かす眼差しが乏しくなっていると感じるからだ。