駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

似ているのは同根

2018年08月31日 | 町医者診言

 

 アメフト、女子レスリング 女子体操・・・で起きていることはとても似ている。何故かと言えばそれは同根だからだ。厚顔無恥で無知、悪いのはいつも他人、権力志向と嗜好、そしてこうした問題点に無自覚というのが診断基準として挙げられる。勿論、これは一方的にできることではなく、取り巻きと触らぬ神にと見過ごす多数が問題を大きくしている。

 事実は遠い世界のことだから何も知らない。しかし似たようなことは部活や業界内で経験しており、類推は当たらずとも遠からずだろう。もし宮川紗江選手の言うことが全部嘘とすれば、それは凄い才能で、つこうとしてもこれだけの嘘はつけない。全部嘘なら、宮川選手は作家としてもやっていけるし政治家という道もあるかもしれない。

 マスコミは個人攻撃に終始しがちだ。確かに人物に問題があるのだろうが、ものごとはそれほど単純ではない。なりたい人よりもなって欲しい人が意外に実現しない世の中。一方で地位が人を作るということもよく聞く。何が問題でどうすればというのは私には手に余るが、自分なりに処方を考え続けたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな不思議

2018年08月30日 | 小験

    

 今朝も駅まで汗をにじませながら歩いたのだが、妙なことがあった。五十メートルほど先を四十代か、背はさほどではないが肩幅の広いがっしりした男性が歩いていた。距離は広がるでもなく縮むでもなく同じような歩調だった。目の前にいつもの婆さん二人連れ(数年前に選手交代し新しいコンビ)が近づいてきたので目を移し「おはようございます」の挨拶を交わしたのだが、目を戻し前を見ると男性が居なくなっている。ははあ角を曲がったのだなと角まで来て六七十メートルの直線道路を見通しても影も形もない。どこかの家に入ったのだろうか、急に走り出して先に行ってしまったのだろうか。細い路地はいくつかあるが慣れない人が通る道ではなく、一体どこへ行ってしまったのだろうと狐につままれたような気がした。

 ちょっと趣は違うが、時々不思議な経験をする。受付であの人この頃来ないねと話していると、その患者さんがすっと入ってきたりとか、これは噂をすれば影と言うくらいだから、誰しも経験がおありだろう。以心伝心というのか妻と全く同じものを買ってきてしまうとことがある。こうした場合は私が買ってきたのにと、理不尽な叱責を受けることになる

 つい先日「先生、入り口に猫が居ると患者さんが言っています」。と受付から連絡が入った。「ああそう」と魔法の薬を手に表に出てちょいちょいと吸わせてやる。「ほら、猫が居なくなった」。これは不思議でも何でもなく、ドアの蝶番いに油を差しただけだ。うちのドアはキーキーでなくミャウミャウと鳴くのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

噂を伝える人

2018年08月29日 | 世の中

  

 昨日はあんまり気が進まなかったが、N先生に「先生出てよー」と頼まれ、医師会が関わるボランティア活動の納涼会に出た。年に二三度度しか顔を合わせないH先生と隣り合わせになり、噂話をわんさかと聞かされた。H先生は五歳ほど年下のクライネの医師で、どうやって情報を仕入れるのか(どこまで本当かもわからないが)、他院の内情に詳しく、何キロも離れた地区の医師がもうすぐやめるが後継者がいないとか、G医院に何とかという医師派遣会社から医師が来ているとか聞いてもいないのに、色々教えてくれた。面白おかしく話すので、成る程と余計なコメントをしたくなるのだが、じっと我慢した。というのは私のコメントも拡散しかねないからだ。

 確かに話としては面白く「そうなの、そうかね」と聞いたが、隣町のA先生が脳梗塞で再起不能、後を科が違う娘婿が見よう見まねでやっていると聞いても後味はあまりよくなかった。N先生の結論はそうした事情で開業医が減ってゆくというのだが、当地では新規参入希望者も多く全面的には同意しかねた。

 H先生のような噂を振りまく人が昔からどの業界にも居るようだ。インターネットのできる前から噂による情報ネットがあったわけだ。どちらにも修飾が多い。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隙間風の意味が変わった

2018年08月28日 | 町医者診言

   

 隙間風と言えば冷たいと相場は決まっていたのだが、今夏は隙間熱風で戸惑っている。診察室を密閉というのはドアの開け閉めもあるし多少臭いの問題もあるので好ましくなく、ほんの少し窓を開けてあるのだが、そこから熱風が吹き込んでくる。これでは隙間風の意味を変えないといけないかもしれない。隙間風を捜すどころか無理やり吹かせている芸能記者も、思わぬ隙間風で仲直りと書き方を変える必要が出てきた。

 平成の終盤になり深みのある言葉の意味が変わるというか形骸化してきた。ついこの間まで真摯にと聞けばしっかり取り組んでもらえると感じたものだが、昨年あたりから真摯はその場しのぎの煙に巻く言い回しになってしまった。真摯は紳士の言葉ではなく、口先でまやかす政治家の常套句となり下がった。

 正直で公正がその意味と意義を吟味されることなく、異議はけしからん個人攻撃ではないかというすり替えで逆に非難されてしまう本末転倒がまかり通ってしまう。中身を検討議論するのは不利と見るや、包み紙の色が不愉快、紐の結び方がへたくそと箱を開ける前に退ける戦略に出てくる。人間社会でも朝三暮四が有効なのだろうか。

 エッセン、デンケン、アルバイテンが生きてゆく要諦と教授に教えられたと父がよく言っていた。世の中からデンケンが失われては鼎がひっくり返ってしまう。若い人が新聞を読まなくなったと聞く、週末だけでいい、読売朝日毎日日経を順繰りに読んでいただきたい。勿論、その地方地方の地方紙にも時々目を通して欲しい。デンケンの手がかりとなる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域包括研修で草臥れた

2018年08月27日 | 医療

      

 昨日は地域包括診療加算・地域包括診療料に係るかかりつけ医研修会という長い名前の研修会で朝の九時半から夕方の五時まで医師会館で缶詰めになって講義を受けてきた。昼休みは僅か45分、ぼそぼそと900円の弁当を食べた。K先生は40年前高校生の夏休みこの仕出し屋でアルバイトをしたことがあるという。変わっていませんねと言う。まさに可もなく不可もなしという味だった。

 研修が始まる前横に座った爺さんが新聞を読んでいた。読み終わるとこちらを向いて「先生、こんにちわ」と言われ顔を見て驚いた。「えー、G先生お久しぶりです」と頭を下げたのだが、確か四歳ばかり上だったのだが、残り少ない頭髪も真っ白になりお爺さんになられていてびっくりした。まだ頑張られているのか、大変そうだな、しかし他人ごとではないと感じた。この研修会は確か四回目になる。全国で八千人弱が出席と言う。この研修を受けないと地域包括加算の保険請求ができないので、残暑厳しい折はるばる一時間もかけてG先生も出かけてこられたわけだ。

 役所や医師会という公的な組織は頭が固く杓子定規で押し付けてくる。と言うのは講義の内容は毎年ほぼ同じで、高々10-15%の違いがあるだけだ。毎年受講している者には八時間の講義は正直耐えがたい。これは九割の受講者の感想だろう。毎年受講している者には短縮版で2時間で終わる研修会も用意して欲しい。

 一日で一括全国共通でやるにはこの形しかないというのが、医師会と役所の言い分だろう。確かに遺漏なく不正なくというにはやむを得ない形かもしれない。受講者側にも問題があるのだろうと思う。個別に請求資格となると煩雑だしごまかしも出てくるのだろう。

 日曜日のなかった週の月曜日は何だか月曜日のような気がしない。残暑が身にしみる、やれやれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする