駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

経済評論と言語能力

2024年05月21日 | 小験
             

 メディアに出てくる経済評論家にはジョゼフクラフト、デビットアトキンソン、エミンユルマズ・・など日本人でないと思われる人が何人も居る。みんな日本語が流暢で自分の見方を理路整然と解説される。おそらく英語などの他言語も達者で広い視野から政治経済情報を得ている上に、理路整然と話す能力があるので説得力のある解説ができるのではないかと思う。
 日本人でこの人達と同じように外国顔が流暢に話せる評論家は少ない?のではないかと思うが、どうか。ミスター円と言われた榊原英資氏などは流暢に英語を話されるが。
 昔は英語の医学書を読んでいたが、だんだん日本語の医学書と雑誌になってしまった。英語の教科書は理路整然と書かれており分かりやすいのだが、どうしても日本語ほど早くは読めない(日本語が早く読めるのは表意の漢字があるせいのように感じている)。それと日本人は欧米人と微妙に違うのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界を旅するユーチューバー

2024年04月05日 | 小験
            

 ユーチューブで世界を垣間見ている。Peter SatenelloとBappa Shotaという旅する二人の名前を挙げたい。三十以上の世界を旅するユーチューバーの動画を見たけれどもこの二人の動画は特に面白く役に立つ?と見ている。二人の好奇心とフットワークの軽さは特筆すべきもので、まるで自分が旅しているように感じさせてくれる。まだ四分の一も見ていないのだが、これからもフォロウしてゆきたい。
 世界を見てみたいという欲求は強さの差はあれ誰にもあると思う。しかし実際に現実に身一つで旅に出る人は少ない。世界を旅することには劇薬と言うか副作用もあるようで抜けられなくなるというか、一つの場所に腰を落ち着けるのが難しくなるところがあるようだ。一方どこにも行かず生まれ育ったところで人生を過ごす人もおられるわけで人さまざま人生色々だ。
 旅をせず故郷以外に住んだことのない人にも世界を垣間見るのは面白いのではないか、ユーチューブでどこまで他国世界が分かるかと言われればかなりわかると申し上げたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨と客足

2024年03月13日 | 小験
                

 どのサービス業もそうだと思うが、雨だと客足は遠のく、昨日は大雨で開店休業状態だった。雨の中調子悪くて受診された患者さんは大歓迎?、看護師三人総出で対応したのでちょっとびっくりされたようだ。
 客が客を呼ぶのは間違いのないところで、閑散とした医院で大丈夫と思われたか大雨だから当然と思われたか、院長ではないけれど最後の職場として勤務している老医は少し気になった。
 街中の医院に希少価値はなく競合のあるサービス業なので、新規のところは色々考え気を遣うようだ。辛抱強く良質な医療を提供し続けるのが本筋と思われるが、それだけではないところもあるようで三人総出が院長はあまり気に入らなかったようだ。
 さて今日は快晴、昨日の挽回ができるかな?。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首から上の痛み

2024年02月18日 | 小験
        

 先一昨日から歯が痛い。人生が辛いなどと嘯けば大袈裟なと言われそうだが、首から上の痛みは中々辛いのだ。踏鞴を踏んだと言うか踏鞴を噛んでしまい、もともと僅かにぐらついていた歯がぐらぐらになってしまった。昨日、掛かりつけの歯科に駆け込んで診てもらった。ああこれは駄目ですねと抜歯を宣告され応急処置を受けた。
 歯は五臓六腑と同じくらい健康に関わっており非常に大切にしなければならない身体の一部なのだが、ちょっと運がなかった。今の主治医は十五年ほど前からで、人品卑しからず腕も良く信頼している。もっと早く出会い診てもらっていれば良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばさんには負けられない

2024年01月23日 | 小験
            

 朝の電車は混んでいる。それでも降りる人が居るので、乗車する時席が二つ三つ空く。どういうわけか乗車して立っている人が空いた席に座らないことがある。プラットフォームでは最前列に並んでいることが多いので、空いている席目掛けてすみませんと言いながら進むのだが、二番手に並んでいたおばさんが脱豚の如く横から前に入り込もうとする。競争相手が現れると闘争心が湧き出て、一歩のリードを生かして負けるものかと前に出て空いた席に座る。毎朝のことではないが、我ながら見苦しい争いをすることがある。たかだか十五分でも座った方が楽だしスマホも見やすい。おばさんはどう見ても私よりは若い。私と同年配の女性(お婆さん)はそこまでの行動には出ない。勿論、よぼよぼしておられれば喜んで譲る。
 高々十分二十分の間のことだし、座れなくても問題なく目的地に行けるわけだから目くじらを立てることもないのだが、これが深刻な差が付くことだとラッキーや残念では済まないだろう。世の中の揉め事争いは、足りないものの取り合いから起きることが殆んどだ。聖人君子ばかりではないし弱者を抱えていればやむを得ない面もあるだろう。しかし問題なのはしばしば足りているのに欲の皮が突っ張った輩が余計に分捕ろうと力づくあるいは悪知恵を使って介入してくることだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする