駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

クロッキー風に

2010年09月30日 | 世の中
 もう何年も絵を習っている。今は油絵を描いているが、最初はデッサンをかなりやらされた。やらされたというのは、十分な基礎もないのに、油絵が描きたくてうずうずしていたせいで、そう感じたのだ。油絵に移行して七八枚仕上げた。月に二三度、二時間半のレッスンだから、一枚書き上げるのに四ヶ月から六ヶ月かかってしまう。
 時々少し褒められる。もう一つの所は、巧みな比喩を使いながら丁寧にアドバイスしてくれ、時には実際に筆を入れて下さる。なるほどとわかる。良い先生に巡り会えた。
 稀には手放しで褒めて下さる。自分では秘かに色彩感覚に自信を持っていたのだが、それは、残念ながらあまり褒められることはない。自分では得意と思っていないクロッキーを褒められる。「上手いですね、こういう線は描こうとしても描けないものですよ」。自分ではただそそくさと描いただけなので妙な気がするが、嬉しい。
 文章もクロッキー風に描いてみよう。
 羽生王座十九連覇を達成。恐るべき強さとしか言いようがない。挑戦者藤井九段が不甲斐ないわけではない。大体第一局の振り駒で先手を得るのも実力のように思えてしまう。白鳳と勝負しても勝ち越すのではないか。
 北朝鮮の後継者問題、大きい問題には違いないが、一面に活字が踊る扱いはいかがなものか。目が離せないが、乏しい情報で踊ると興味本位に映り、問題点がぼけてしまう。
 政府はどこにいるのか、政府は何をしようとしているのか、政府を動かしているのは誰か。これを明きらかにする報道が不十分だ。弱体で内容がないので書けないなら、そのことを書くのが報道の仕事だ。
 尖閣列島問題は領土侵入問題ではあるが、これはまさに日本の立場と足場を浮き彫りにする格好の図面なのだ。なぜ、そのことにもっと光を当てた報道がなされないのか。
 なぜいつまでも小沢小沢と書くのだ。政治記者のパソコンから小沢の変換を除去して欲しい。小沢依存で容易く書くなと言いたい。
 なんだか、どうも町医者の殴り書き風になった。 
 
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泥濘の効用

2010年09月29日 | 自然
 今では簡易舗装が行きわたり市街地の外れでも、泥濘(ぬかるみ)はほとんどなくなった。ただこの頃は、突然家や店舗が取り壊されて街の彼方此方に空き地が現れ、雨の日は水溜まりが出来ている。
 昔は雨が降れば道路はたちまちぬかるんで、長靴で足跡を残しながら歩いたものだ。歩行者に泥濘の良いところなど何一つないのだが、泥濘には吸水性保水性があり、雨で側溝が溢れて道路が川になることをかなり防ぐ力がある。泥濘のなくなった今は時間数ミリの雨でも、近くの名無し川に濁流が流れるようになった。川というよりは大きな溝といった趣なのだが、幅四、五メートル、深さ三、四メートルでコンクリの堤防に沿って白いガードレールが設けられている。普段は底の方をちょろちょろと水が流れているだけだが、傘が要るほどの雨が降ると思わずぎょっとする濁流が渦巻くようになる。深さはたかだか数十センチだと思うが、落ちれば子供や年寄りなら命の危険がありそうだ。警報の出るほどの大雨だと、数十センチで溢れそうな勢いで流れ、恐い。
 小学校の頃には資源は無尽蔵、小さな人間の仕業などで地球環境がおかしくなるなどとは習わなかったが、たかだか簡易舗装でこの濁流である。明らかに人間の営みが地球環境に影響を与えていると実感する。
 宇宙船地球号には定員がありそうだが、とてもそれを決めることは出来そうになく、三等乗客や無賃乗車?の人達も二等並の待遇を求めて実力行使に出ているので、運行に支障が出て来そうだ。
 隣国では、環境評価など何処吹く風、揚子江や黄河にどんどんダムを造っているが、大丈夫なのだろうか。内政干渉と言われても、黄砂をどうしてくれるのか、二酸化炭素をどうしてくれるのかと詰問したくなる。なんだか、泥濘から大問題に発展してしまった。
 写真は九州大分の田舎の川、コンクリトの堤防がなく河原が広く容量が大きそうだ。ナイルではないが溢れる濁流を受け止めて生かすのが良いのかもしれない。野田さん(知佑)が昔から主張していることだが。
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公平公正を如何に

2010年09月28日 | 町医者診言
 民主主義では、と言っても私はこの頃民主主義というのがよく分からなくなっているのだが、公平公正が保たれることが不可欠である。
 公平公正はそう称することは容易であるが、それを検証するのは難事である。殆どの人は自分の意に沿わない事自分の利に反する事には、不公平不公正だと異議を唱えるだろう。ではどうやってこの不確かな公正と公平を判定、検証して行けば良いのだろうか。
 直近、この検証が不十分なことが明るみに出て来ている。司法行政立法の権威主義的託宣や密室合議に対するジャーナリズムの検証機能が十分に働いていない。科学的を装う手法がまかり通っている。
 公平や公正は自明のようで個々の具体的な事案では曖昧模糊としがちな命題である。生物多様性からの連想であるが、十二分に多様な標本抽出が必須で、衆愚とならないために十分に多様な論者による論議説明が必要と思われる。
 真っ先にメスを入れて欲しいのが世論調査だ。世論調査の公平公正さを検証する必要がある。お遊びお楽しみのアンケートならともかく、いつの間にか神器のごとく使われる世論調査には洗い直しが必要だ。NHKの中立性にも疑問があり、ここにもメスを入れる必要があると思う。
 ふと気が付けば医療界(臨床現場)は厳しい批判の目に晒されてきたせいか非常に透明性が高く、公平公正が比較的良好に保たれている。自分の業界を高く評価するのも気が引けるが、参考になる事例と考える。
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ホメオパチーの逆襲

2010年09月27日 | 医療
 ホメオパチーは無意味との医学界の判定に逆襲がある。残念ながら熱血の抗議も虚しく、ホメオパチーが科学的に有効だという証明は出来ないだろう。
 しかしながらホメオパチーが有効だと逆襲してくる人達が図らずも明らかにしている周辺効果は確かにあると思う。即ちホメオパチー療法は患者を大切にし三十分も話を聞き丁寧に診療するのに、医師の診療は・・・という批判だ。
 これは確かにそうした部分があることを認めなければならないと思う。そして、どうもホメオパチーそのものの効果ではなく、患者さんの取り扱いの方に効果があることが類推されてくる。きちんとした実験計画を立てて調べれば、そうした周辺効果を科学的に証明することができるだろう。
 こうした発言は問題になりやすいので殆どの医療関係者は黙っているが、家庭で家族に見守られてと施設に預けられての療養では予後に違いがあるという実感を持っている。勿論これは施設での療養を批判して申し上げているわけではない。また施設のために発言しておけば、この十年で施設の療養には大きな改善がある。家庭でも正直に言えば家族の患者さん取り扱いに差があって、それによって予後に違いがあることは、殆どの往診する医師や看護師が感じていることだ。
 問題発言かも知れないが、ホメオパチーを提唱する一部の人はそのことに気付いているのに黙っている気がする。もっと問題発言をすれば本当の親切と親切風を見分けることは意外に難しい。
 メデアリテラシィになぞらえて言えばメディカルリテラシィを身に付けることが必要だろう。
 
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心の洗濯

2010年09月26日 | 身辺記
 午前中は秋晴れで涼しく、絶好の行楽日和だった。久しぶりに山小屋に出かける。友人達と生い茂った草や灌木を伐採し、周辺を綺麗にした。部屋の中を掃除すると、どうも鼠?が侵入したらしく、部屋の隅に小さい米粒のような糞が点々とあった。いったいどこから入ったのだろうか?換気扇が開いていたのでそこから侵入したらしい。
 今日は掃除好きのF氏が町内の運動会で来られず(町内会長)、部屋の掃除はもう一つ不徹底で不満であったが一人では頑張りきれず、次回鼠退治の道具を持ち込むこととした。
 前から気が付いていたのだが、よくしゃべる人は手が動かず体力もない(勿論、例外もある)。たかだか数本の草を抜いただけでふうふう言っている。本人達も自覚があり、俺たちは口だけだからと、いつも間にか二人で現場監督をしながら話をしている。二人とも事務系の仕事をしていたのでコンピュータには詳しい。「なんだ、もう駄目なの」と言えばキーボードを叩ければいいと笑っている。Y氏とG氏は身体の大きさは対照的だが、黙々と身体を動かして良く働く。
 「Sさん(私のこと)はバランスが取れているね」。とお褒め?の言葉を頂いた。さほど体力があるわけではないが、簡単には音を上げたくなく頑張ってそこそこ身体を動かしたのだ。
 今日は新生姜、豚肉、ピーマン、シメジの中華風炒め物を作った。火力が弱いのでもう一つのできだったが、「旨い、レパートリーが広いなあ」。と感心される。
 帰る頃には曇ってきたが、仕事に関係のない他愛のない話は心の薬のような気がする。今日は身体も動かしたし、よく眠れそうだ。
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危機を呼ぶ政府

2010年09月25日 | 政治経済
 K氏憤慨。
 タガが外れている。こんなことではいかん。どこにリーダーが居るのか、誰が手綱を取っているのか。これでは政府が危機を招いていることになる。
 誰が尖閣列島事件を分析評価して、対応を決めているのだ。
 最低のタイミングで船長を釈放してしまった。遅すぎて早すぎた。しかも沖縄地検の判断によるもので、政府はそれを諒としただけだとしゃあしゃあと言い抜ける。責任逃れどころか責任放棄をしている。沖縄地検は日中関係に配慮したと発表しているではないか。沖縄地検は日本政府の外務省なのか。なんでも責任を末端に押し付けないでいただきたい。
 わしゃ知らんなどと無邪気ぶらないで欲しい。知らんふりが通るわけがない。普段のあなたは邪気に満ちているではないか。
 司法は独立、検察の判断を尊重と原理原則氏はおっしゃるが、この場合それは規則しかも細則に過ぎない。まさか前外務大臣がマジでそんなことを考えているのではないだろうな。
 これが極めて政治的な事件なのは火の目を見るよりも明らかだ。国益を守るとはどういうことか分かっているのだろうか、自己益を守るのとは違う。
 中国の陰謀言いがかり・・そんなことは頭の中で考えればよろしい。アメリカの御意向を聞かなければだと、判断が遅れ鈍りずれる。
 小火を大火にしないことが外務省のそして政府の仕事でしょうが。こんな見え見えの猿芝居に引っかかって、猿芝居を打った方も引っ込みが付かず火が大きくなっているではないか。
 外務省が外を見ないで内を見ていてどうするのか。
 世論で政治をするのは間違いの元、世論を真っ当な方向に説いて導くのが政治の仕事だ。 どうも、菅はあ菅なあ。
 なんだか悪い夢を見ているようで、頭が痛くなってきた。駅前内科の先生、頭痛薬をくだされ。
 
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切り返しに備える

2010年09月24日 | 診療
 定期的に診療している患者さんは千人近いだろう。患者さんが定期的に診察を受ける医者はせいぜい二人だろう。後期高齢者で医者巡りをしていると冗談交じりに言われる人でも四、五人もの医者に定期的に診てもらっている人は少ないと思う。当院だけの患者さんも結構居るようなので、医者対患者の比は一対五百くらいのものだろう。
 半年ほど通ってもらえば、性格、仕事、家族構成など概ね把握できる。そして非常に大切なことだがイメージが脳裏に残るようになるので、体重60kgの人なら2kg変化すれば一目でわかるようになる。1kgでも気が付くことがある。機嫌のよしあしも大体分かる。
 ところが、医者でなくても患者さんの中にはなかなか観察眼の鋭い人が居て、「ちっとも夏瘦しないね」などと言うと「先生、太りましたね」。と逆襲してくる。確かに研修医に御馳走したり旅行に行ったりで2kg近く太ったのだ。「よくわかったねえ」。と答えながら、内心焦る。こちらがそれとなく観察している時に患者さんも医者の顔を見ているわけだ。おまけに患者さんは二人程度の懸かりつけ医なのに、こちらはその五百倍もの人を気に懸けているのでハンディも大きい。
 まあ、長く人間をやっている患者さんも多く、都合悪い話題をはぐらかしたり切り返したりしてくるので、土俵にばったり倒れて土を付けないように、こちらも日頃頭と口の鍛錬を怠たらないようにしている。
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城下町

2010年09月23日 | 
 伊賀上野城の天守閣は昭和初期に地元の衆議院議員川崎克が私財を投じて復興したもので、戦国時代のものではないけれども、川崎克の提唱した文化産業の城として面目を施しているようで、周辺には城下町の風情が漂っている。
 伊賀上野と言えば伊賀流忍者からの連想で山の中のような印象を持っていたが、実際に歩いてみると、山の中というわけではなく、盆地の小じんまりした落ち着いた街だった。盆地と言っても周りの山々にさほどの標高はなく、小京都と呼ばれる町のひとつであるのも宣なるかなと思えた。四百年前にどんな町だったかわからないが、松尾芭蕉のような天才というか異能の人が生まれたにしては変哲のない土地にも感じた。
 日本にいくつくらい城壁を残す城下町があるか知らないが、城下町を歩くと歴史というものが五十年や百年で消えるようなものではなく、数百年も千年も綿々とどこかに流れているのを感じる。歴史は町の佇まいだけでなく住んでいる人達の言葉使いや物腰中に生きているようだ。区画整理がされていても、新興住宅地とは違う空気が微かに流れている。一般に年をとると知覚は鈍るものだが、歴史感覚は鋭敏になるらしい。
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人間の能力

2010年09月22日 | 小考
 人間の脳は、計算力ではコンピュータに雲泥の差を付けられたが、今のところ別種の能力でその面目を保っている。
 コンピュータは文章の裏の意味を理解できない。しかし人間は違う。
 「ご結婚されていますか?」。と聞かれコンピュータは何の疑問もなく「いいえ」。と答えるだろう。ところが未婚の人間は、喜々として無邪気に「いいえ」。とは答えない。ほとんどの人はなぜそんなことを聞くのだろうと思いながら、秘かな期待を持ってあるいは不愉快を隠しながら「いいえ」。と答えるだろう。
 大阪特捜部の前田恒彦容疑者が逮捕された。前代未聞の事件だ。許されない悪事であるが、なぜそれが外に漏れたのか、その経緯が明らかにされることを望みたい。あれほど村木さんを悪者扱いにした全国紙Aが、なぜ十全の反省を見せることなく、しれっと一面でこの事件を報道しているのだろうか。まさか拡声器というわけではあるまい。闇に隠れた膿の一部が出たことは有意義だが、簡単にやはりそうかとは納得できない思いがする。
 地道に根っこまで掘り下げて、粘り強く報道して頂きたい。同時に特捜部の尻馬に乗って、推定無罪の人達を叩いてきた報道機関と背後の力を白日の下に晒して欲しいと思う。
 「結婚されていますか?」。と聞かれて無邪気に「いいえ」と答えるようでは魑魅魍魎の徘徊する世の中で、一人一人が自分をそして隣人を生かして生きて行くことは難しい。人間の能力を生かし、情報を読み解いていくことの大切さを痛感する。 
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アインシュタインの思考の飛躍

2010年09月22日 | 

 アインシュタインは二十世紀で最も有名な科学者であるが、おそらくジャンルを超えても、最も有名な人物の一人だろう。それは庶民的な性格?と革命的で難解な理論なのに、なんだか一般人にもわかったような気がする相対性という命名によると思われる。
 アインシュタインに纏わる本は枚挙に暇がないが、先頃出版された吉田伸夫氏による「思考の飛躍」は今までのどの本とも異なり、私のような一般人にもアインシュタインの驚くべき斬新な問題解決法を追体験させてくれる素晴らしい解説書だ。勿論、追体験と言ってもその程度は読者の科学的力量により左右されるので、私の場合はほんの少しなのだが。
 恐らくアインシュタインも我が意を得ていると思う。晩年はご職業はと聞かれて「写真のモデルだ」。と答えたアインシュタイン、心の何処かで皮相で騒ぐ世間に少々うんざりしていたと思われるからだ。出自や私生活を記録することも意味のあることではあるが、私の人生は物理学にあると考えていたアインシュタインにとって「思考と飛躍」は確かにそうなんだと頷く部分がある本だと思う。
 英語圏にはサイモンシンやブライアングリーンを始め優れたサイエンスライターがかなりいるようだが、日本には優れたサイエンスライターが少なかった。吉田伸夫氏は恐らく日本のサイエンスライターの旗頭として活躍されていかれるだろう。期待している。
 評論や評価も大切だと思うが、やはり考えることなくして科学は理解できない。どのようなレベルであれ、考えさせる説明が科学の解説だと思う。本当は「思考の飛躍」は二部に分けてもう少し詳しく図や式を用いて書いて欲しかった気もする。忙しい現代人ではあるが、一日五頁しか読めなくても、最後まで読みたくなる解説書が良い解説書だと思う。たとえ、現代の物理学が審美眼で判定されるようなデッドロックに乗り上げていようとも、あるいはだからこそ。

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