駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

相性だろうか?

2012年10月31日 | 診療

      

 Aさんが91歳で亡くなった。十八年前ご主人を自宅で看取った。それから十八年生きられたことになる。最後の五年位を高血圧で当院に通われた。それまでは他の医院に通院しておられたのだが、少し遠いため年を取られ通院が大変と当院に変わられた。私としては出来るだけのことをしたのだが、なんとなくご主人のことが気に添わなかったのではないかと感じていた。

 膵臓癌は嫌な病気でAさんも腹部不快症状が出てCTで検査した時には進行した膵臓癌で、高齢でもあり息子さんは病院の主治医と相談して、積極的な治療は行わないことにして自宅に戻られた。高齢であったことが幸いしたか、殆ど苦しまれることはなく、最後二日ほど嘔吐があり総合病院へ送ることになったが、10日ほどで眠るように亡くなったと息子さんが来られ、丁寧にお礼を言われた。早期に癌を発見できず、緩和治療らしい治療も出来なかったのに、きちんとお礼に来られたのは本当に有難く嬉しく感じた。

 十人の内九人の医者が気付かない病態を誤診とは言えないと思うが、それでも忸怩たるものはあり、まして亡くなった後何の音沙汰もなく、それ以降家族が受診されなくなれば寝覚めの悪いものだ。

 数年に一度こうしたことがあるが、同じようにしていても患者さんの家族の反応は違う。これは相性だろうか。今、お礼と頂いたクッキーを珈琲受けにキーを叩いているがちょっと違う気もする。息子さんの気持ちが身に滲みる。

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検察は重い謬気

2012年10月30日 | 町医者診言

     

 「マイナリ被告の無罪を淡々と検察が求める、謝罪はなし」。との見出し。一体、検察はどういう神経をしているのか?。失われた十五年、傷つけられた人生をどうしてくれるのだ。心の底からの謝罪がないとは信じ難い。

 検察を取り調べる検察はどこに居るのか。マスコミは厳しく検察の誤りを追求する義務があると思う。どうも及び腰に見えるが、ひょっとして検察が怖いのだろうか。正義の味方が恐れられるとは、実は正義の味方ではないのかもしれない。

 物語に騙されてはならないと強く思う。子供の時は物語を目を輝かして聞いたものだ。しかし、大人は物語を眉に唾して聞かねばならない。語り得ることと実現し得ることとは違う。それを思い知るのが大人になると言うことだ。

 検察は自ら紡ぎ出した物語に目を眩ませ、矛盾に目を瞑り、無実の人を陥れた。これに心からの謝罪がなければ、検察に正義はない。過ちを認めない人間の怖ろしさは、人間の歴史を見れば枚挙に暇がない。権力の鎧は悪や不正と戦うためのものであって、自らの過ちを覆い隠すためのものではないと申し上げる。

 検察に、初心をどこへやったとお聞きしたい。

 

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内省の秋

2012年10月29日 | 身辺記

    

 ついこの間まで暑い暑いと言っていたのに、もう書斎に暖房が欲しいくらい寒くなった。忍び寄る秋ではなく、駆け寄る秋だ。屋内に居る時間が長くなるせいか、読書の秋などと言う。秋でなくても、活字中毒の私は本に囲まれ、積ん読書に励んでいるのだが、もう少し読みたいなあという気持ちは確かに秋になると強くなる。

 物思う秋でもある。少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んずべからずと父がよく言っていた。もはや学成ることのない私は勝手に別に学でなくとも成り難いと思うようになった。父がどんな感慨を込めてそう言ったかはもはや分からないが、子供の私に教え諭すというよりは、実感として口について出たのだろうと想像する。

 四十の声を聞くまでは、何か業績とか地位をという気持ちがあったような気がする。どこかで、矢のような光陰に何とか追いすがろうとしていた。しかし、開業してからは患者を診ることに専念できるようになり吹っ切れた。好判断だったのかもしれない。

 もう既に母の享年を越え、あとは何時まで診療ができるかという所まで来た。円熟にはほど遠いが、残り少ないと邪念は消えてゆく。時にはコンニャロウという患者に出くわして、腹立ち心塞ぐ日もあるのだが、学は成り難し否人生も成り難しと思いなして働いている。

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診察内緒話

2012年10月28日 | 診療

    

 大女を診察する、ふと「なんだか航空母艦のようだな」。と思う。勿論言葉には出さない。多分、口に出してもゆさゆさと笑うだけで怒る人ではないと思うが、やはり失礼だろう。

 この頃は皺くちゃのお婆さんが減った。八十歳でも皺は少なく声に張りがある女性も多い。四半世紀前はもうそろそろ魔法が使えるのではないかという皺だらけのお婆さんが居たのだが。

 昔は三十過ぎれば大人の言葉遣いが出来るものだった。今はいい年をして、「お熱がありますか」。「咳が出ますか」。と質問しても「ない」。「ない」。の人もいる。外見も三十過ぎには見えないことが多い。そういえば、「ないない」。にもいい年をしてと言ってやりたい。

 今は四十過ぎても独りの方が結構多い。初診で診察を終える頃には、八割方独り者とわかる。なぜ分かるか簡単には言えないのだが、何となく分かる。並みの看護師では駄目、婦長クラスだと私と同じように分かるらしい。勿論、直截お独りですかとは聞かない、でも分かる。

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怪談より怖い階段

2012年10月27日 | 診療

   

 当院は後期高齢者が通院患者さんの二割近い。つまり五、六人に一人は七十五歳以上ということだ。この頃は九十代も希ではなく毎日一人二人九十代の方が来られる。

 こうした高齢者に階段転落事故が時々あり、重大な結果になることがある。幸い直ぐ死に至るような事故は未だ経験しないが、骨折して寝たきりになられた方は何人も経験している。二階には昇らないようにさせたり、家庭用エレベータを付けたりしておられる家庭も多い。

 Kさんは87歳、月に一度通院されているのだが、今日は嫁さんから往診の要請があった。数日前階段から落ちで腰と手を打ったという。整形で骨折はないと言われ帰ってきたのだが今朝から動けないという。

 Kさんは二階のベットに横になり静かにしている。苦しそうではない。ちゃんと話は出来るのだが、どうも顔色が少し悪い。血圧は101/60くらいでいつもより少し低い。診察では貧血と脱水がありそうというだけで、熱、喘鳴、心雑音、浮腫みはなく、もうひとつはっきりしない。朝からご飯を一口と水分を少し取っただけというので、点滴をして採血をして戻った。

 夕方、至急で出した検査の結果を見て驚いた。血色素が4.5gしかない。4ヶ月前の半分だ。いつの間にか貧血が進行していたのだろうか、それとも骨盤などにひびが入り内出血しているのだろうか?。いずれにしても入院治療が必要なので、家に電話をし入院が必要と説明して、例のごとく総合病院に時間外で申し訳ありませんがとお願いする。最初のT病院で受けてもらう。やれやれ、一安心。勿論、入院すれば大丈夫というわけではなく、自分の仕事は果たしたという安堵に過ぎないのだが。

 Kさんの家は家庭用エレベータが付いているのだが、なぜ使わなかったのだろう?。面倒、急いでいた、まさか勿体ないではないだろうな。

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