駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

泥濘の効用

2010年09月29日 | 自然
 今では簡易舗装が行きわたり市街地の外れでも、泥濘(ぬかるみ)はほとんどなくなった。ただこの頃は、突然家や店舗が取り壊されて街の彼方此方に空き地が現れ、雨の日は水溜まりが出来ている。
 昔は雨が降れば道路はたちまちぬかるんで、長靴で足跡を残しながら歩いたものだ。歩行者に泥濘の良いところなど何一つないのだが、泥濘には吸水性保水性があり、雨で側溝が溢れて道路が川になることをかなり防ぐ力がある。泥濘のなくなった今は時間数ミリの雨でも、近くの名無し川に濁流が流れるようになった。川というよりは大きな溝といった趣なのだが、幅四、五メートル、深さ三、四メートルでコンクリの堤防に沿って白いガードレールが設けられている。普段は底の方をちょろちょろと水が流れているだけだが、傘が要るほどの雨が降ると思わずぎょっとする濁流が渦巻くようになる。深さはたかだか数十センチだと思うが、落ちれば子供や年寄りなら命の危険がありそうだ。警報の出るほどの大雨だと、数十センチで溢れそうな勢いで流れ、恐い。
 小学校の頃には資源は無尽蔵、小さな人間の仕業などで地球環境がおかしくなるなどとは習わなかったが、たかだか簡易舗装でこの濁流である。明らかに人間の営みが地球環境に影響を与えていると実感する。
 宇宙船地球号には定員がありそうだが、とてもそれを決めることは出来そうになく、三等乗客や無賃乗車?の人達も二等並の待遇を求めて実力行使に出ているので、運行に支障が出て来そうだ。
 隣国では、環境評価など何処吹く風、揚子江や黄河にどんどんダムを造っているが、大丈夫なのだろうか。内政干渉と言われても、黄砂をどうしてくれるのか、二酸化炭素をどうしてくれるのかと詰問したくなる。なんだか、泥濘から大問題に発展してしまった。
 写真は九州大分の田舎の川、コンクリトの堤防がなく河原が広く容量が大きそうだ。ナイルではないが溢れる濁流を受け止めて生かすのが良いのかもしれない。野田さん(知佑)が昔から主張していることだが。
コメント
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