駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

嫌な膵臓癌

2011年10月31日 | 診療

 

 一万人以上の患者さんを診てきた内科医で膵臓癌に泣かされたことのない医師は殆ど居ないだろう。音もなく忍び寄り、症状が出た時には根治不能で数ヶ月の余命のことが多いというやっかいな癌だ(ジョブスは膵臓癌の中でも性質の良いほうの種類だったので何年も生きられた)。

 勿論、膵臓癌を常に疑って診療していれば、早期発見も可能かもしれないが、高血圧や高脂血症などの生活習慣病で通院している患者さんを片っ端から検査することは実際にはできない。第一、保険診療の範囲を超えてしまう。早期に発見できた例は幸運なのだ。大体は癌が出来た場所が症状が出やすい部位であったり、たまたま他の検査や特別なドックで見付かったという例がほとんどなのだ。

 私も二例ほど経験がある。有り難いことに一方の家族の方は患者さんが亡くなられた後も当院を利用してくださる。もう一方のご家族は全く来院されなくなった。血圧で通院していたのに、見付かった時には根治不能というのが納得できない気持ちはよくわかる。特別な落ち度はないのだが、恨まれても(それで気が済むならなおのこと)やむを得ないと思っている。

 火事と一緒で殆どの癌は小火の内に見つければ根治できる時代になったのだが、膵臓癌はまだまだ早期発見が難しい。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦の不思議

2011年10月30日 | 身辺記

 

 母が比較的早く(結婚して五年目)亡くなったし、長男ではないので直接嫁姑に挟まれて窮したことはない。食事の味は、かなり馴らされたし、ポテトサラダや鳥とタマネギのスープなどは私の好みに合わせてくれたので、揉めることはほとんどない。ところが不思議なことで注意される。靴下を洗濯に出すとき、一足を片方の中に入れるように言われて育ったので、ついそうやって出してしまう。また、中に入れたと叱られる。妻は端を折り込んでまとめる流儀なのだが、これは難しく、いまだ身に付いていない。怒られるよりはと別々に出してしまう。それには文句を言われない。

 まあ、お互いに何だか変だと思いながらいつの間にか我々流の暮らしができているわけだ。寛容と忍耐でやってきて、譲って貰ったことが多い気がするのにいつの間にか領土が狭くなっている?。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問題が問題

2011年10月29日 | 小考

 

 世の中に問題とされる課題は数多い。しかし、週刊誌の見出しを見るとうんざりする。ちょっと頭を捻ってみればわかるのだが、本当の問題は半分か四分の一か、見方のよればもっと少ないと思う。 取るに足らない、ああそうかで終わる問題をあげつらって世の中が良くなるだろうか。人の不幸は蜜の味と嘯かれても、首肯しかねる。勿論、あざとい権力者や濡れ手に粟で稼ぐ強欲者を揶揄するのはよくわかるが。

 逆に看過されてはならない大問題がいくつか忘れ去られ、避けられている。東京電力の責任はどうなったのか。原子力発電をどうするのか。直近のTPPさえも、そろそろ飽きられそうな雰囲気が出ている。

 中で一番の問題は積年の課題、税金の使われ方の厳しい検証だ。取られることにばかりに敏感な国民が、主査となって検証しなければと思う。その資料を地道に粘り強く提供するのが週刊誌などマスコミの仕事だろう。売れない?。そうかな、そんなことはない、編集者の腕の見せ所だろう。

 日本人は物忘れが病的レベルに達しているのではと心配している。七十五日以前のことを憶えていられないのだ。その物忘れに加え、物事の優先順位がわからない病もありそうだ。町医者の診たて違いならよいのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝三暮四診療

2011年10月28日 | 診療

 

  医師会で身内の勉強会があり、正直というか本音の話が聞けた。大学の教授の話には建前もあり、なかなかそうはできないという部分もあるのだが、最前線で診療している仲間の話は成程というかほんまかいなと面白い。

 街中の内科系診療所でよくある訴えに眠れない、ふらふらする、手や足がしびれる、小便の回数が多くて困る、腰が痛い・・・などがある。これらはいづれもいろいろ調べ治療しても、なかなかすっきりしないことがあり、悩まされる訴えである。

 M先生、なかなか話がうまい融通無碍な人なのだが、彼の話。

 尿の回数が多いという人にはまず薬Aを使ってみる。最初は良く効いたというのだが、数か月すると効かなくなったということが多い、そうしたら今度は薬Bを使うんですよ。しばらく調子良いんだが、また数か月して効かなくなったと言い出したら今度は薬Cを使うんですよ。また駄目だと言い出したら、今度はしばらく休んでみましょうと言って、数か月ほど休ませてまた薬Aを使うんですよ。そうすると不思議なことに効きますね。

 そうやって休薬を挟んで三つの薬をとっかえひっかえ回しながらやってますよ、えへへとの話。ほんまかいなとみんなで笑ったが、ここに最前線の臨床の実像というか真実が現れているとも思った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人種のるつぼにも

2011年10月27日 | 小考

 

 欧米に行くと程度の差はあれいろいろな人種が街を当たり前に歩いている。人種のるつぼと言われたニューヨーク辺りでは、それこそ世界中からやってきたさまざまな人種が我が町と歩いている。

 マーブルチョコの缶をひっくり返したような色とりどりの皮膚に140cmから2mまで40kgから150kgまで魚醤顔からブルドックソース顔まで、ありとあらゆる人類がなんの違和感もなく歩いている。

 醤油顔で眼鏡カメラの典型的日本人の私に**へはどう行けばいいのかねとなどと道を尋ねる人さえいる。旅行者なんで分からないと答えれば、あっそうと離れてゆく。

 これが建国の精神によるものか無関心によるものか受け入れる心によるものか、よくわからないが慣れの要素も大きそうだ。日本でも今や金髪碧眼は好奇の対象ではなく、田舎でさえ外人さんと認めはするものの、特別な注意は払われなくなった。

 まあ、町を歩く分には何の違和感がないと言っても、社会構造に分け入ればグラデイションやアンジュレイションが根強く残っている。勿論、そこにも緩やかではあるが明らかな変化がある。私が感じるのはブラックアメリカンの主流化だ。今ではマイナーリーグからメジャーリーグへと昇格し、由緒正しきアメリカンの感じがするから不思議だ。それはすでに私の心に刻まれ、アメリカ英語を話す黒人を見て、真っ先に黒人ではなくアメリカ人と感じるようになっている。それは恐らくブラックアメリカンの心の変化でもあるだろう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする