駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

母から電報

2012年09月29日 | 身辺記

      

  一昨日、幽明境を越えて母から電報が来た。

 「アツササムサモヒガ ンマデ ヨ」。

 うむ、確かにめっきり涼しくなった。まだ日中は汗ばむ時もあるが、

 「お母さん、貴女はいつも正しかった」。

 不肖の息子は、今しばらく現役で頑張るつもりでいますから、気が付いたことがあったら、また電報をください。

 どういうものか、電報でないと幽明の境を越えられないらしい。しかも、向こうから来るばかりの一方通行だ。

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年齢と老化

2012年09月28日 | 人生

       

 蜜柑が黄色くなると医者が青くなるなどと言うが、そんなことはない。皮膚科などは涼しくなると暇になるらしいが、内科は涼しくなると忙しくなる。4月から9月までは比較的暇で、10月から3月までは忙しい。半年の周期で波が来る。12月から3月までの間のある時期、二週間くらい猛烈に忙しくなる。それがいつかは予測できない。

 患者さんの名前はフルネームで呼びなさいと接遇の本に書いてあるが、猛烈に忙しいと下の名前を呼ぶ五秒さえ惜しい。一時間に二十人以上の患者さんを診察し続けるのは心身共にきつい。謂わば高速運転だからとても神経を使う。今年も息もつかせぬ二週間を乗り切ることが出来るだろうかと今から心配している。老化を自覚しているからだ。

 いつかは患者数を制限させていただく時が来るかも知れない。一日八十人までとしたいのだが、連休明けや冬には百人を超す日が何日もあり、実際には難しいだろう。これはサービス業の宿命だと思うが、人数を制限すればあそこは診てくれないと客足が遠のく心配がある。それでもいいとだんだんスタッフを減らして、看護師一人受付一人と私で十五人ほど診察したら今日はお終いという時が来るだろうか。

 人間は死ぬまで生きているとわかりきったようなことを申し上げたい。意味は多くの人は最後までそこそこ元気だということだ。逆に言えば弱ればもう長くない。殆どの人は最期まで七割の仕事が出来る。三割のことしか出来なくなったらせいぜい数年の命だ。それ以上永らえても、それは余生ではなく支生と心得ておくといい。

 

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国会議員とは何者か

2012年09月27日 | 町医者診言

      

 もう一つでなくもう二つの方が選ばれた(私見)。圧倒的な党員票を覆す国会議員だけによる決選投票とはなんなのか。党員投票は無効ということらしい。

 党内にねじれが生まれる。自民党は野に下った三年間に何を学んだか、旧態依然のところが見え隠れする。不遇に学ばなければ再生はないと忠告したい。

 美しい?言葉を語る夢よもう一度総裁には、いずれの国民も等しく扱っていただくようにお願いしておこう。

 私は街中の医者で、国会のことはメディアを通じてそこそこ知っているだけで、的外れな理解不十分な発言もあると思う。教えていただくことにはやぶさかではないが、調査勉強不十分という批判は当たらないと心得る。

 過剰な期待は持たないのがいい。失望するほどのこともない。

 私は、国交断絶や弱者異分子切り捨てが避けられるように、蟷螂の斧を振るってゆこう。

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自民党総裁は?

2012年09月26日 | 町医者診言

      

 民主党首選挙は尻すぼみで波乱も成果もなく終わったが、自民党総裁選はどうか。下馬評通り決選投票で、二三位連合が勝つのであろうか?

 個人の気持ちで書けば安倍、石原はどちらももう二つだ。看板だけの右傾化止まらぬ下痢候補と、騒がしい後ろ向きの御用聞き候補は敵わん。石破候補は怪しげな風采と独特の話し方で、親しみを覚えにくいが言っていることは比較的まともだ。林候補は理路整然破綻のない人のようだが、魑魅魍魎を抑えることができるか心配、町村候補は病気で実質リタイア。

 私の希望的観測は石破と林の連携だ。これなら最悪は避けられると思う。

 なぜここにきて古賀氏のような人が暗躍するのか。確かに人間は情動で動くところがあるが、それが前に出ては難問は解決できないと思う。本末転倒が起きる危険がある。

 今日本が抱える難問を一気に解決することはできない。言葉だけの人、意見の違う人を排除する人を選ばないように。

 *昨日の写真のデザートはまくわ瓜、白くて美しく懐かしく美味しかった。

 

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悪夢にうなされる

2012年09月25日 | 小験

     

 何歳になっても試験の夢を見ると聞くが、どういうものか自分は試験の夢を見てうなされることはない。しかし、今も二三年に一度くらい、研修医の身で一人当直をしていると、救急で重症患者が運び込まれ、どうしたら良いか分からず冷や汗たらたら、患者に負けず青くなる夢を見ることがある。

 いつも夢でよかったと布団の中の自分を発見してほっとする。もう四十年も患者を診ているから研修医のように茫然自失になることはことはないけれども、あれでよかったかなと床について気になることは時々ある。因果な仕事だ(多分、どの職種にもあることと思う)。

 何百枚も死亡診断書を書いてきた。幸い訴えられたことは無いが、恨んでいる人はいるだろう。たとえ私に落ち度は無くても、やり場の無い気持ちは時に医師に向けられる。同じようにしても感謝する人と恨む人が居る、そして同じことをしても俺は悪くないと言う人と到らなかったと言う人が居るのが世の中だ。

 いつも患者さんに言うように「嫌なことは忘れましょう」。が自分にも救いになる。本当は忘れているわけでは無いので、思い出さずにいられる能力に感謝している。

 何を隠そう、自分が今患者さんの役に立てているのは、数多い細かい失敗、いくつかの重大な失敗から学んでいるからだ。これは多分全ての熟練医に当てはまることだ。自らワシは完璧などと吹く医師は、あんまし患者を診ていないのだろう。

 *このデザートに使われている食材は何か?答えは明日にでも。初めて食べたが美味しかった。

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