駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

桜咲いた

2010年03月31日 | 自然
 寒い日が続いてたが桜が咲いた。写真はご近所の境内の桜だが八分咲きと思う。なんだか今年の春は華やかさ馥郁とした気配に乏しい。桜は春を忘れないようだが人間界には喜びが乏しいようだ。
 ここは沈思黙考、市民庶民の地道な歩みが功を奏すのを待つ一手だろう。マッチポンプのざわめきの下で辛くも丹心を留取する人々が居るはずだ。
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肖像権の疑問

2010年03月31日 | 町医者診言
 政治家や評論家の肖像権はどうなっているのだろうか。写真を掲載されるのは覚悟していると思うが、実は写真は真を写してはいないので大切な問題が見落とされている気がする。
 誰がどのような基準で何十枚何百枚のうちの一枚を選んでいるのか斟酌する必要がある。一瞬の表情は多様で、プロの手にかかれば美女だって見苦しく、醜女だって可愛く撮れてしまう。
 例えば小沢一郎、鈴木宗男、佐藤優、宮崎学、鳩山邦夫・・諸兄は写真の撮り方によっては失礼ながら指名手配の雰囲気が出てくる。そして山本一太、立花隆、みのもんた・・諸氏は失礼千万ながら痴漢のようにも撮れるだろう。
 鬼も十八、番茶も出花。誰しも輝く瞬間があり、良い表情の一枚が撮れるはずだ。まあ、ニュースとなれば古いベストショットばかりでは問題もあろうが、記者会見や登院の写真が一枚しかないということはないはずで、中には必ず感じの良いものがあるはずだ。そこでどれを選ぶかにマスコミの意図を感じる。意図などないと反論されれば意識下の選択がるのだろう。
 今は動画肉声著書によって、かなり復権したが、私も鈴木宗男と佐藤優がマスコミに現れた当初は写真と見出しを見て、とんでもなく悪い奴等だと判断していた。インターネットを活用しない本を読まない人達は今もそうした眼で二人を見ているかもしれない。
 見出しと顔写真ほど大衆の心象形成に与る報道形態はないと思う。殊に写真は無言で百聞に優るインパクトを与える。文章と違い名誉毀損は成立しにくく、ボディブローのように有効なマスコミの武器だろう。
 政治家の記者会見などは編集せずに全てを放送して、識見だけでなく人となりも遍く報道すべきだ。そうすれば失地回復あるいは減点底割れして、より公正な評価が行き渡ると思う。
 余計なことを言えば、凄んでも善人に見えてしまう谷垣さんにはご同情申し上げる。
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看護師不足に付け焼刃

2010年03月30日 | 医療
 就職率が低迷している中、看護師は売り手市場で求人が求職者を大きく上回り、病院医院を問わず、看護師不足が深刻である。
 にもかかわらず行政は看護専門学校を厳しい施設基準で見直し、教員が不足している、教室が狭い、体育施設がないなどの理由でいくつかの看護専門学校が閉鎖廃校に追い込まれた。看護師の地位向上、準看護師制度の見直し、看護大学の増設などがその背景にある。高い理想に異論はないが、現実の看護師不足をどうするのかと思ったら、東南アジアから連れてくればよいという信じ難い隠し玉が用意されていた。
 日本語のできない人が、言葉が最も重要な医療現場でどうやって働くのかと訝かっていたら案の定、外国人看護師の看護師国家試験合格率は1%だった。百人に一人では話にならない。誰がこんな馬鹿なことを考えたか、責任を取って頂きたい。
 実はこの外国人看護師、受け入れる側は大変な人的経済的負担を強いられる。当地域ではわずか一病院が二名受け入れているのみだ。当初まるでパンダが来たように地方紙に報じられたが、見世物ではなく戦力が期待されているわけで、院長のうめき声が聞こえてくるようでは困る。
 夢に釣られて来日した外国人看護師達も待遇が予期していたものと違うと、帰国する人が続出していると聞く。
 どうしてこんな奇妙な思い付きが生まれてきたのか。東南アジアから看護師を受け入れ教育するのなら、教育を目的にすべきで、補充に使うためなどという姑息な発想は厳しく品位が問われなければならない。この顛末が有耶無耶になるようでは、政権交代の意味がなくなる。長妻大臣は爪弾きにされているそうだが、弾き返して欲しい。
 アメリカでフィリピン出身の看護師やインド出身の医師が活躍(主に白人医師看護師の居つかない地域で)していることから連想したのかもしれないが、彼ら彼女らは英語の素養があり、言葉の壁がほとんどないのだ。
 資料を読まずに書いたが、問題点の的は外していないと思う。優れた提案を抑圧しようとするわけではない。こうした奇妙な方策が生まれ実行されてしまう背景に役所の無責任体質があることを厳しく指摘しておこうと書いた。それを是正することは一朝一夕にはできないことは承知している。継続は力なりといつもいつまでも指摘し続けたい。
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桜に冷雨

2010年03月28日 | 自然
 記憶では日本の四季は多少のずれはあってもさほど揺れ動くことはなかった。ところがこの十数年、四季の移ろいが相当前後に揺れ動くようになった。暖冬冷夏も極端になったし、季節の変わり目がなだらかでなくなった。
 私個人の感覚で判断しているが、おそらく気象庁のデータからもこの感覚は裏付けられるだろう。五分咲きになった桜も、今日の冷たい雨に戸惑っている様子だ。確かに地球は温暖化しているようだが、それは気候変動の増大という形で、地球を襲っているらしい。
 全く関係ないように見えて、恐らく不安定な政治情勢と異常気象は関係があると思う。証明するのは難しいが、、百年後日本が存続していれば、後生の学者達がそうした解析をするだろう。
 先達はしばしば世を歌ってきた。時代を映す歌や狂歌が、いくつも残っている。今の世はどのように伝えられてゆくのだろう。平成はホワイトノイズにかき消されなどと端折られるような羽目になっては困るんだが。
 
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プロ野球開幕

2010年03月27日 | スポーツ
 昨夜、勉強会の帰りタクシーに乗った。「セリーグも始まりましたね」と運チャンが話しかけてきた。
 「ああ、そうだね」。
 「巨人、勝ちましたよ」。
 「あ、そう」。とそっけなく答えると
 「巨人お嫌いですか、私も渡辺さんはちょっとね。城島打ちましたよ」。と阪神路線に切り替えてきた。
 「おいは西鉄ファンで」。と応じようかと思ったが、ややこしくするのは止めておいた。
  なるほど、巨人嫌いにはナベツネ嫌いが多いんだ。巨人嫌いは阪神ファンのパターンが一般的らしい。元プロ野球ファンとしてはへえ、成る程と腑に落ちるところがあった。
 「原さんはいいですよね。名監督になりましたね」。
 「ああ、そうだね。原はいい」。確かに、原は物足りないと言う人はまだ少しいるだろうが、嫌う人はほとんどいないだろう。
 なぜ元ファンかといえば、もうじっくり観戦することができなくなったからだ。退屈してしまうのだ。何かしながらならいい。たぶん現在のプロ野球ファンの多くも何かしながら見たり聞いたりしているのだろうと思う。ちょうどラジオ放送には向いている。耳からの情報で局面の構図がわかりやすく、作戦や展開を緩急をつけて予想しながら観戦できる。タクシー運転手などプロのドライバーにファンが多いのもうなづける。
 今でも新聞で昨日の勝敗チェックと順位表には眼を通す。そうゆう意味ではまだファンなのかもしれない。珍しいパターンだが、中日とダイエーの名残りファンだ。タクシーの運ちゃんには思いもつかないだろう。
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