駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

読み筋通り、安倍首相の指し手

2016年05月31日 | 政治経済

        

 まだ梅雨には早いはずだが二三日梅雨っぽい日が続いている。雨を親しく感じた青春は遥か彼方、晴天の方が嬉しい。言うまいと思えどではなかった、書くまいと思えど政治のことを書いてしまう。

 安倍一族(菅、二階、高村・・)は政権維持のためには手段を択ばない。多数は権力になびく?から、権力の維持が最優先という考え方だ。理屈は後から付いてくる。前言を翻すなら衆院解散をあるいは予定通り増税をと言っていた自民党議員も結局はなびくわけだから、民衆心理も強いものに付くと読んでいるのだろう。

 安倍首相は見栄えも声もよく名演技の名優なのだが、一番の力は権力を使い慣れていることのように思う。ポツダム宣言も憲法もきちんと読んだことはなく、有体に言えば読む必要はないとさえ考えておられるようだ。行政立法おそらく司法までもの三権統合の長を自任されているので、憲法も自主憲法でないと呪文を唱えれば無視してよいものと見えるのかもしれない。

 アベノミクスが成功か失敗かは微妙なところで成功はしていないが大失敗とまでは言えないというところだろう。実は経済に関して今できることは結果に於いて与野党に大きな差は出にくいと見る。それだけ難しい状況にあると思う。まあ医者の言うことだから当てにはならないが。

 与野党、政治手法政治理念には大きな差があるのだが、どうも今の人はそうしたことでは動かないというかあまり関心がない?ようだ。

 ただ、毎日新聞によれば舛添都知事は辞任した方がよいと考える人が70%以上居るとのこと、それが事実とすれば自分の意見を表明できる投票では、権力者の読みと違う結果が出るかもしれない。 

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大阪の街で教育公演を聞く

2016年05月30日 | 

           

 内科学会生涯教育講演会を聞きに大阪へ行ってきた。毎年あるのだが、日程が数年前から二月の終わりから五月の終わりに変わった。十年できれば二十年と同じ時期に開催して欲しい。私を含めてほとんどの会員に年間スケジュールがあると思うからだ。

 今回は日本医師会のかかりつけ医研修が突然割り込み、Aセッションと重なったせいか、大阪のBセッションへの参加者が異例に多く、超満員だった。中に入れず外で聞いておられた会員も少なからず居た。

 いつも最後の講義の途中で早めに席を立つ医師が多く、みっともないと感じるのだが、今回は司会者が時間が過ぎておりますので手短にと言っているのに長々と答えにくい難問を質問する人が居て、これにはしびれが切れた。私が古い人間なのだろうか、会員にはそれなりの服装をして来ていただきたいし、会議のマナーは守ってほしいと思ったことだ。

 いつも思うのだが大阪はビルの街で緑が少ない。時間がなくいつも梅田から中之島周辺しか見ることができない。もう十回以上来ているので、直に別の大阪らしさも味わってみたいと思う。ホテルの感じは東京に似てきているようだが、リーガロイヤルホテルのコーヒーの高いのには驚いた。今はどこも千円を超すのだろうか。幸い帰りののタクシーの運転手さんは感じの良い人でありがたかった。吉村昭さんも書いておられるが、タクシーはその土地の第一印象になることが多い。そしてしめくくりの印象にもなる。

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黒船情報

2016年05月29日 | 小考

       

  果たして名優?安倍は周到に準備した芝居を上手く演じ切れたであろうか?。今回は観衆に異国の見巧者がいて、臭い芝居だという酷評もあるようだ。

  どうも私と同じ見方が海外から発信されている。今朝ホテルで読んだ毎日新聞には「首相認識に異論」と題して私が一昨日指摘したのと同じことが書いてある。海外メディアは あまりに悲観的な見方は国内での増税延期を正当化しようとするための芝居だと断じている。

  国内の見方はどうだろうか、今朝は時間がなく確かめられないが、大きくは伝えられないだろう。それが、安倍一族を恐れてのものか、日本のメディアの実力か、よくわからないが、今も黒船情報は有効に思われる。      

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デイケアにも牢名主?

2016年05月28日 | 世の中

           

 牢名主というのが居たそうだ。今も似たようなのが居るかどうか、壁の向こうのことには詳しくないのでよく知らない。刑務医務官という仕事があるらしく、そういう仕事に就けば向こう側が覗けるかもしれない。待遇は悪くないようだが、さほど人気のある仕事ではないようで、医師会報で時々募集されている。数か月ならともかく、定職としては食指が動かない。

 人間には群れる習性があり、集まると自然発生的に組織と序列が作られる。壁の向こうでも二重バツ三重バツに悪いのが親分に伸し上がり、牢内の序列が出来、新入りを虐めていたらしい。

 そこへ行くとデイサービスは好々爺好々婆が集まるはずの所だから、親分は居ないはずだが、そうばかりでもないらしい。Yさんはもう十五年ばかり通院しているお婆さん、年女だと苦笑いしていたから御年84歳になる。だんだん腰が曲がり、杖を使うようになったが口は達者で大声で話される。勝気なせいか知り合いが多く、待合室ではいつも座頭となっておしゃべりをしてゆかれる。娘さんの勧め嫁さんの願いもあって、数か月前からデイサービスへ通い始めた。デイサービスは嫌がるお年寄りもおられ、通わせるのに苦労することもあるが、Yさんはゲームや体操が面白いようで、欠かさず通っている様子だ。先日デイはどうですかと聞いたら、威張っているのが居ると憮然として答えられた。すぐ、なあに私も負けちゃいないよと強気の発言が続いた。

 牢名主のようなことはないだろうが、デイのようなところでも先輩風が吹いて多少の波が立っているらしい。ああそうとだけ答え、負けないでという言葉は飲み込んだ。

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伊勢志摩サミット模様

2016年05月27日 | 政治経済

                      

 サミットは世界政治の問題を話し合う場だと思ったが、安倍首相は自分の都合、アベノミクス、を最優先させているように見受ける。どうも経済の成功?で国民の心証を良くして秘かな野望を実現させようという魂胆が透けて見える気がする。

 庶民の懐具合も庶民の生活も知らない人が、本当に庶民の生活改善を第一と思っているのだろうか。アベノミクスは機能していると言いながらリーマンショックの前と同じだなどと経済の不安を第一の議題としようとしている。国内政治対策にサミットを利用しているようにさえ見える。

 政治経済を学んだわけではないので学問的にはわからないが、政治というのは経済を弄るのが第一の仕事とは思われない(弄って副作用が出ることもある)。隣国との紛争を回避し世の中の混乱を避け国内外の平和平穏を模索するのが第一の仕事のように思う。わかっている、だから百年前の日本を取り戻そうとしていると言われるかもしれないが、それならばもう少しはっきりと表明してもよいと思う。

 そういえばトリクルダウンという言葉が聞かれなくなった。響きと受けを重視するから、表現とスポットライトの位置をどんどん動かしてゆく、かなり惚けてはきたが私はなんと言ってきたかを覚えている。リーマンショックと演出されたリーマンショックもどきとは違う。

 勿論、こうした見方が的を得ているかどうかは定かではない。唯、私だけではないのは確かだろう。

 オバマはトランプではないし、メルケルは賢い。六か国の大統領首相の日本の印象はどうだったのだろう。

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限りある時間を

2016年05月26日 | 人生

             

 何だか曇っているのに蒸し暑い。肝入りで選んだ伊勢志摩、天気ばかりは思うようにいかないようだ。亜熱帯ジャパンを知ってもらうには良い機会かもしれない。

 いつかなどというものは待っていてはいつまでも来ない。今度でいいや、又いつかと思って、数多い機会を失ってきた。

  バーバラストレイザンドやシルヴィーバルタンのコンサート、無理して時間を作り見にゆけば良かった。近くまで寄る機会があったのに又今度にしようと、会いに行かなかった東京の伯母さん、あっという間に心疾患で亡くなくなってしまった。もう母の子供の頃を知る人は誰も居ない。父と違い自分を語ることの少なかった母、しまったと思っても後の祭りだ。

 そうこうして学んできたから、この数年は、多少の不義理や長めの休暇は気にせず自分のやりたいことを優先するようになった。それでもはた迷惑は控えている。孔子様が指摘したように七十にして矩をこえずという訳か?、実のところは、無茶はできない脳力体力になってしまったのだ。論語を貴ぶ人は七十にして矩をこえずを辿り着いた境地とされるかもしれないが、なあに年を取って欲が減っただけと揶揄する向きもある。古来稀ではなく近頃溢れる年になった私はどちらも本当と感じる。

 しかしまあ、最近増えてきた、遠くのこと将来のことを思い悩まない何だか無気力な若者と違い、我々の世代は年を取っても、ああでもないこうでもないと考える習性を引きづっている。青春の志は忘れられないもののようだ。

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都民の声はどっち?

2016年05月25日 | 政治経済

                      

 朝、起きたら左肩が痛い。知らないうちの打ったか捻ったかしたようだ。あとから症状が出て来るのは打撲外傷の特徴だが、軽いので仕事は出来そうだ。転ばないようにといつもご注意申し上げている本人が転んでしまい面目ない。有り体に言えば、転ばないようにと注意されてもなあと言う気もする。

 ベッキーから桝添へ、話題はバトンタッチされたようだ。どちらも、見出しを目に留めてきただけなので、詳細はよく知らないが、異常な頻度だと思う。尤も桝添問題はベッキー問題よりも公的で追求する意味は大きい。それでも話題性で取り上げられているようで、辞めろという声は小さい。不思議だ。

 第三者の目でと視点をすり替えて誤魔化そうとしているが、第三者を当事者が任命してはとても信用できない。それを第三者とは言わない。もう結論は出ている、品性劣る人物だと(選挙前から察しは着いていた?)。

 なぜどうするかを、もっと議論しないだろう。辞めて貰うのか。政治家に品性は不可欠ではないと返金だけで続投させるのか。

 話題にする優先順位は妥当か、事実の確認はできているか、これからどうするかどうしてもらうかという判断が汲み上げられているか。これを吟味するのは読者の役割で、これを果たさないと間違いの片棒を担ぐことになる。もう担いでいるのかも知れない。

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転倒で気が付かされる己が年

2016年05月24日 | 小験

      

 誰しも認めたくないのは老いだろう。ネットやBSでは執拗に若さを保つ?健康食品や運動器具が宣伝されている。この異様な健康志向は、健康そうで病的だ。

 最近は廃れたようだが、半世紀前にはしばしば健全な精神は健康な肉体に宿ると体育教師が訓示をしていた。どういうものかこれを見聞きすれば健全な精神が保たれるという製品の宣伝はないようだ。健全な精神とはと問われて答えに詰まるせいか、あるいは健康ほどには需要がないのか、今のところ商機がないようだ。それに**子さんはいくつでしょうなどと若く見えるモデルならぬ、健全精神のモデルも見つけにくいだろう。何がこいつが健全の精神の持ち主なものかと、言われるのが落ちだ。

 今朝出勤途中で、転んでしまった。わずか二三センチの段差に蹴躓いたのだ。あっとと態勢を立て直せるはずが、二秒後には墜落ばったりと手をついて道路に倒れていた。幸い裏道で車の通りは少なく、車に轢かれないで済んだ。年を取ったと苦笑いしながら、起き上がったことだ。

 手を付けたので手の平を擦りむいたが顔や頭を打たずに済んだ。軽い捻挫をしたようで、足はまだ痛い。十年若ければ躓かずに済んだ。たとえ躓いても、転倒しなかったと思う。よく聞くことだが、躓いてから倒れるまでたかだか二秒の間だが、あれどうなったのだろうと思いつつ、随分たくさんのことが頭に浮かんだ気がする。どうも脳がパニックになって神経の連絡が混戦するらしい。

 人間には自分を見つめる自分が居る、その位相差から意識が生まれると言う学者もいるようだが、「転倒で気が付かされる己が年」と一句浮かぶのは古びても人間脳の持ち主である証拠と、悔しいけれども老体となったわが身を慰めたい。

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ウイキペディアの伝えるもの

2016年05月23日 | 小考

                

 昨日は日曜日といっても、かかりつけ医の研修会で7時間缶詰で講義を聞かされた。日本医師会内科学会臨床内科医会・・、など各々勝手に?これからの医療を仕切ろうとお互いに被る制度を始めている。重なっているじゃないかと抗議をしたら、中央の指令通りにしているだけで、ほかの会のことは知りませんでした。伝えておきますと恐縮していた。何とか整理できないものか。

 知らないあるいはよく知らない人物をしばしばウイキぺディアを使って調べる。今までは読んで、なあるほどとわかった気になっていたが、どうもそうでもないのに今頃気付いた。

 というのはよく知っている、と言っても作品をよく読んでいるに過ぎないが、本の世界の隣人先輩友人を何の気なしにウイキペディアで調べてみたら、何だか違う人のことのような知らない人のようなことが書いてあった。履歴が世間的重要事項に沿って並べられており、えっこんな人だったのと違和感を覚えた。私の培ったイメージと違うのだ。どちらが正しいなどと議論しても始まらない。私には私の抱いている人物像が本当なのだ。現実の親しい友人、もっと踏み込んで配偶者にさえ、知られざる一面はあるかもしれないが、それは多くの場合、驚くことはあっても受け入れられるものだろう。

 しかし、どの人物の項目もそうという訳ではないかもしれないが、ウイキペディアの違和感は軋む受け入れ難いものだった。

 ウィキペディアの伝えるものはどうも話半分がよいところのようだ。だからと言ってウィキペディアの価値が下がるわけではない。己の判断が世に絶対という訳でもない。勿論、真にプライベイトの世界は不可侵には肯う。

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暖かい夜の街には大勢の若者がたむろしていた

2016年05月22日 | 世の中

  

 昨夜、カードゲームの帰り、久し振りに夜の盛り場を通り過ぎた。土曜日の夜九時半、暖かくなってきたせいか,若者が大勢通りにたむろしていた。ミニを通り越したスカートの若い女性が何人もふらついているのも見かけた。酒気帯びのおじさんも混じっていたが、さすがに同年配は居ないようだった。
 朧気な記憶を辿れば、半世紀前、確かに私も意味もなく?盛り場をほっつき歩いた記憶がある。若さというか,リビドーのなせる業だったのだろうか、若い女性に声を掛ける勇気も才能もなく、飲み屋に入るような金もなく、ただ歩いていたような記憶がある。

 しかし、昨夜は彼等を見て一体何をしているんだろうという気がしてしまった。そういう年頃なのだろうとしか言いようがないかも知れない。生物というか動物としての若者には夕闇に群れ、だべり動き回る時期があるようだ。仲間と触れあい、連れあいを捜す意味もあるのだろう。

 今週はサミットがあり夏には参院選(同日選挙?)が控えている。熊本の地震は収束せず沖縄では又事件が起きた。どうもその割には報道は警戒態勢や選挙戦略の話題が多く、中身の議論が盛り上がらない感じがしている。宵闇にたむろする若者達の頭の片隅に、そうした状況もいくらかは認識されているだろうか。地方都市の夜の街には、あてどない平和が満ちていた。

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