駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ルーティーン業務の妙

2012年04月28日 | 診療

   

 いつの間にどうやって出来上がったか分からないが、診察手順が出来上がっている。勿論、今でも少し手直しをすることはあるが、手直しが継ぎ目なく日常手順に浸み込むまでには二三ヶ月掛かる。

 こうした手順をルーティーン業務などと呼んで、やや軽んじる講演会の講師が居るが、そういう人は自己責任で繁忙な診療に携わったことのない人ではないかと感じる。大学では研究論文が第一の業績で、それを積み重ねて講師や教授なられた人は日常業務の醍醐味に気が付かないのかもしれない。

 勿論、ルーティーンにかまけて研究心や向上心を忘れては良くないのだが、優れてルーティーン業務をこなすには研究心や「向上心が欠かせない。首まで決まりに漬かり切った人は実はルーティーンもきちんと出来ないと見ている。

 患者が殺到した時に大過なく一時間に二十人の患者を診ることができるのはスタッフと一丸になって熟成した日常手順が支えてくれるからだと感じている。

 面白いのはそうした息も切らせぬ忙しさを、スタッフが必ずしも嫌がらないことだ。何週間も続いては流石に大変だが、時にある目の回る忙しさは滞りなく終えた時に快感があるらしく、ご苦労様でしたが笑顔で出る。

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思い出す言葉

2012年04月27日 | 町医者診言

        

  雨上がりに緑深まり、目に滲みる。駅への道すがらふと思う。

 マッチ擦るつかのま海に霧上がり、信置くほどの木鐸どこに。

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無罪判決が出た

2012年04月26日 | 町医者診言

    

 小沢一郎氏に無罪判決が出た。裁判官はまだまともだったということだろう。

 未だに灰色にしようと未練がましいマスコミは小沢一郎の一体何を恐れるのだろうか。小沢が白かどうか、それは神のみぞ知るだが、少なくとも小沢の悪口を飯の種にしてきた政治記者や政治評論家よりも白に近いだろう。司法に訴えた勢力が司法判断を尊重しないのは何を意味するか、少し考えれば分かる。今さらだが、明らかになったことは殆どのマスコミは公正中立のポーズを取りながら、既得権を擁護しているということだ。

 とにかく小沢小沢と騒ぐのは止めて、中身のある政治経済の政策議論をして欲しい。永田町の井戸端会議など自分で考える人は誰も耳を貸さない。

 

 

 

 

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時及行楽

2012年04月26日 | 身辺記

   

 もういくつ寝ると大型連休と指折り数えている。四ヶ月よく働いた。残念ながら八十人患者を診ても平気ではなくなった。一日の患者数は開業医には一つの励みになるので、五年くらい前までは今日は八十五人も来たかと満足で疲れても吹き飛んでいたが、前期高齢者の仲間入りした頃から、混んでカルテが積み上げられると、もう勘弁してくれと内心泣きが入るようになった。

 診察というのは、どんな仕事でもそうだと思うが、数が多いから流すということができない。そうすると間違いが起きるのを経験上知っているので、混んでくると短時間に神経を集中しなければならないので凄く疲れる。正確には疲れるようになってしまった。疲れると休まなければならないのだが、診療後も医師会の仕事(四分の一に減った)、介護保険審査会、障害者認定審査会などがあると休まらない。

 誰が考えたかこの大型連休は天の恵みだ。患者さんには悪いがこの連休は携帯電話から逃れ、海外に逃亡する予定だ。万が一の時には訪問看護ステーションと当番医当番病院にお願いするように頼んである。慣れた医者が良いと言う患者さんもおられるだろうが、慣れた医者を長持ちさせるためにここはお目こぼしを願いたい。

 今年は第二の故郷と母が言っていた国を訪れる。息子の私も何か感ずることができるだろうか?

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フリーズミー

2012年04月25日 | 世の中

   

 少年の無免許運転が取り返しのつかない犯罪を引き起こしている。厳罰でも償いようもないが、教育刑の効果など高が知れているかもしれないが、厳罰と生まれ変わらせるくらいの濃密な教育刑を与えたい。

 人間は数多い失敗失策を重ねて大人になる、十五歳まで生きれば当然そうした失敗失策があるはずで、そこで学ぶことができなかった成長過程を社会は検証して対策を立てねばなるまい。

 尤も、大人も大したことはないと反論されそうだ。敦賀原発の地盤調査が不十分だったようだ。形を整えることに主眼を置いた安全基準設定を命じた人達は責任を取らない。事故が起きてもまさかと思った分からなかったと逃げを打つだろう。

 果たしてバカボンのパパの鼻歌のようにこれでいいのだーろうか。拓郎が歌うようにこれからもこうして生きていくだろうか。診察室の椅子でフリーズしている私です。

 Photo.R.Ogawa

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