駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

No Place Like Tokyo

2016年12月30日 | 

        

 三郎を歩ませ、三郎は路地を曲がる。タモリを歩ませ、タモリは坂を下りる。直樹を歩ませ、直樹は石畳みを踏みしめる。世界のどこにも、東京のような街はない。

 

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三浦九段に白の裁定

2016年12月29日 | 趣味

        

 竜王戦の挑戦権を剥奪され年内休場を将棋連盟から強いられた三浦九段は第三者機関の調査により白と判定された。元に戻してくれという三浦九段の言葉は悲痛だ。

 将棋ファンの一人として最悪ではないが、なんとも割り切れない気持ちだ。疑心が暗鬼を生んだ事件だったが、責は会長以下将棋連盟幹部に六割、疑った棋士に二割そして三浦九段に一割というのが私の判定である。残りの一割はファンにあるだろう。

 頭をかすめたのは大山さんだったらどうしただろう、米長さんだったらどうしただろうと次いで囲碁界ならどうしただろうということだ。これは大崎氏辺りに推定して欲しい。

 疑心暗鬼が生じた時点で日本将棋連盟の下した拙速の判定には将棋界の欠点が出ている。将棋界に限らず特殊な才能が必要な分野ではその分野での才能に優れた人が長に選ばれやすい。組織の運営と社会の常識は必ずしもその分野の才能と一致して居らず、拙いことがしばしば起こる。まあ多くの場合、女房役というのが居て、失策を防ぐ訳だが今回は島、青野に名案が浮かばなかったようである。

 中には時には特殊な才能と常識に満ちた判断力を兼ね備えた人物も居るが、そうではないことが多い。学業成績が一番とか勝率が一番とかいう人でない人物を優れた長と受け入れることの出来る組織がおそらく国も、危機を乗り切り成長してゆけるのではないかと診ている。

 果たして三浦九段の言葉通りに元に戻すことが出来るだろうか、難しいと思う。時にはこうした濡れ衣をきっかけに以前以上の良好な関係が生まれることもあるが、多くは残滓が後を引き元通りの白にはなりにくいものだ。

 私の判定の妥当性には色々ご意見があろう。厳しいようだが三浦九段にも一割と申し上げた。なんと酷いをしてくれたという気持ちだけでは、元通りには戻りにくい。一割の責は自分にもあるとお思いになることが限りない白い近づく道と申し上げたい。

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オバマの言葉を聞いて

2016年12月28日 | 政治経済

         

 日本人でしかも政治が専門でない人間がアメリカの大統領を評するのは難しく過ぎたことかもしれない。しかし、感想を述べることは許され当然のことでもあるだろう。

 バラクオバマは有能で優れた大統領だったと思う。理想を追い格調高く、自由で民主的な精神の持ち主だった。掲げたことの四分の一も出来なかった、断行する力がなかったという批判もある。まあしかしそれは、そうできなかったというよりもそうさせなかった勢力があったからでもあると思う。出来なかったと批判する人も、おそらく足を引っ張る方に荷担していたに違いないのだ。

 理想や格調に目もくれず、目の前の己の権利や収益第一に走る勢力はここかしこで力を持っており、誰しも多少なりともそうした精神を持っているものだ。それにしてもなぜかオバマ大統領を高く評価しようとしない空気を感じる。そんなことはない優れた大統領だったと私の感想を書いてみた。

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階段を駆け下りれば良かったか?

2016年12月27日 | 小考

    

  いつもと同じ時間に家を出たのだが、どうも雨で歩くのが遅かったらしく、改札口で電車が到着する音が聞こえた。階段を駆け下りれば間に合ったかも知れないが滑って転んでは大変、プラットフォームに着いた時には車掌が指差しして、電車が出るところであった、ニャロメ!。

 若い友人が電気自動車を買ったというので、乗り心地を聞いてみた。何でも中古は随分割安と言うことで、新車の半値で購入したそうだ。走行距離は百五六十キロで宣伝の二割減だが、非常に静かで加速が良くトルクがあるので坂道も軽々と上るそうだ。高速で燃費が改善するわけではないので、高速での遠出には向かないが市内走行には何の問題もなく、これからは電気自動車ですよというのが先物買いのA君のご意見だった。機会があれば試乗してみたい。唯、気に入ったとしても、我が家は拒否権を持つ保守派が実権を握っているので購入は難しそうだ。

 エネルギーをどう賄ってゆくのかが、人類生存の最大の問題なのは明らかで、環境を汚さず低コストで得られるエネルギーをどのように生み出すことができるかに、五十年百年先の人類の行く末が掛かっている。

 口先言葉でまやかす政治家がすることは、敵を排斥し味方に大半の分け前をぶんどってくることで、それも生き延びる一つの方法かもしれないが、おそらくそれでは一部の人が勝ち残っても、多様性を失うことになって結局人類は滅びるだろう。

 もんじゅが廃炉になる。科学と政治の生煮えの関係の象徴で、なんでこうなったか本当にこれでよいのか、もっともっと深く専門的な議論が必要なのに、目先の政治的損得でうやむやにしてしまう。文学賞もいいが、こうした社会科学的な問題の論文にも賞を出して、国民の目を開かせる必要があると思う。

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北風には手袋を

2016年12月26日 | 世の中

         

 四寒三温で今朝は寒かった。薄い雲がかかった冬らしい空の下を手袋をして駅まで歩いた。北国の人にはたかだか5,6度の気温で、手袋で暖かいなどと言うと笑われそうだが、手袋は凄く保温になる。

 しばらく前に維新が保護受給者のぱちんこ禁止を盛りだ込生活保護法 の改正案を参議院に提出した。法案では、ぱちんこ以外にも競馬や競輪を含む公営 ギャンブル、サッカーくじ及び宝くじの購入なども禁止事項としており・・といった報道を目にした。この法案のその後のことは目にしておらず、どうなったかだろうか。

 維新の会という政党については、新聞テレビ報道以上のことはよく知らない。NHK討論などでは野党に厳しく、自民党に近い感じを受けるのだが、何を目指しているのかわかりにくい。しかし、こうした法案を提出してきたことから、本音というか政治姿勢が見えてきた気がする。批判しているように響くと、倍返しがあるかもしれないが、北風派で寛容と忍耐が不足しているように感じる。子供の時に北風と太陽の話を聞いた記憶があるが、大人になると北風と太陽は五分五分で、とめどないのがわかってくる?。何方かと言えば、手袋を差し出す方に回りたい。

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