駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ワイン通の極意

2012年01月31日 | 旨い物

      

  医師会雑誌のエッセイを読んでいたらワイン愛好家の医師が、やっぱり和食にワインは合わない、無理だと書いていた。和食には日本酒が一番と、至極当然のことを言い切っておられる。

 多分正解なのだろうと思う、ソムリエと言っても業界の人ではあるし、和食にワインは無理とは言いにくいだろう。流石、業界から無縁で独立した自由人の言明と感心した。

 尤も、この先生、銀座の某料亭で、和食に合うワインを勧められてまずまずと頂いたところ、料理よりもワイン代が高くて眼を剥いた経験があるらしく、多少の偏見は有るのかもしれない。

 先生曰く、数千円のワインをチーズで楽しい仲間と語らいながら頂くのが、一番外れがないと書いておられる。成程、異論のある方は少なかろう。

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くしゃみの季節

2012年01月30日 | 小験

      

 厳しい寒さが続いているが、後一カ月もすると花粉症の季節になる。

 ワシは花粉症はないぞと、数年前までは威張っていたのだが、一昨年辺りから診察中に時々くしゃみが出るようになった。これは通年性で花粉症ではないようだ。一体何のアレルギーだろうと思っていたのだが、どうも患者さんが入ってくるとくしゃみがしたくなることが多いことに気が付いた。患者アレルギーらしい!?。

 とはいっても総ての患者と言うわけではなく、どうも箪笥にしまってあった洋服を着てきた患者や野良仕事の帰りだろうか、微かに鄙びた匂いがする患者さんに反応するような気がする?。まだこれは仮説の段階で一日診察中に数回出るくしゃみの原因は特定できていない。殆ど出ない日もあるので、外気温が関係しているのかもしれない。

 「先生、お風邪ですか?」。

 「いやいや誰か噂をしているようです」。

 とは言いながら、どうも二回出ることが多い。一褒められ二謗られと母親が言っていた。悪口が多いらしい。なんとか一回で我慢しようと思うのだが、二回出てしまう。残念。

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死闘を制す

2012年01月29日 | スポーツ

      

 ジョコビッチ死闘を制す。全豪オープン男子決勝、凄い試合だった。私もアナウンサーも解説者もナダルに肩入れしていたのだが。ファンはともかく公平であるべき放送陣の応援が足を引っ張ったか、精密マシーンジョコビッチがナダルの粘りを振り切った。

 テニスのベストフォーに入るのは至難の業、人間には難しい。錦織に出来るだろうか?

 ジョコビッチおめでとう。ナダルよく頑張った。

 

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目を開かれる

2012年01月28日 | 小験

      

 人間の尊厳はどこにあるだろうか。それは精神にあると思ってきた。脳梗塞で倒れ物言わぬ経管栄養の患者さんにも名残りがあり、元気な頃を知っている人達の接し方から、なにがしか敬うべきものを感じるものだ。

 しかし、知的障害の人の障害程度区分審査に関わるようになり、こうした人達に人間の尊厳をさほど感じることの出来ない気持ちが自分の中にあるのに気付き、慄然としている。一般の人が知ることのない世界ではあるが、言葉もきちんと言えず食事や排泄にも介助や世話を必要とする人達の審査をしていると、今まで自分が持っていた感覚や価値観が揺らぐ気がする。

 恐らくこの広い世界には知的障害の他にも自分の知らない世界があるだろう。広い視野を持つことが、どんなに大切かとこの年にして思う。高を括った独断はしばしば独善不遜に陥る。それに気付くことは、以外に難しいものだ。誰しも一度障害程度区分審査をするとよいかもしれない。

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事実は小説より

2012年01月27日 | 

      

 そんなことがあるのだろうかという黒木亮の身の上話を日経で読んで驚き、では一体どんな小説を書く人なのだろうかと「巨大投資銀行」を読み始めた。まだ百ページほどしか読んでいないが、見知らぬ金融の世界に引き込まれ最後まで読めそうだ。果たしてどんな読後感があるのだろう。

 実社会に則した等身大の人間が描かれている小説を読む楽しみの一つに、知らない業界の内部が分かるようになることがある。経済に疎いけれども、金融取引によって浮かび出る利益を手に入れようと躍動する人々と仕組みが少し理解できそうな予感がある。昔日本では士農工商と社会の表面では位置づけられたけれども、これは日本人得意の自らをも錯覚させるからくり術だったようにも思われる。「巨大投資銀行」はお金の意味を商の意味を、それに無縁だった私に教えてくれそうな気がしている。

 日経新聞をお読みになっている方の中には、私と同じように黒木亮の驚くべき生い立ちを知り、彼の小説を手に取った方も居られるかもしれない。小説より奇なる人生に巡り合わせた人間がどんな小説を書くのだろうかと。

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