駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

寒風に呼び覚まされる

2010年01月30日 | 小考
 窓越しに澄んだ青空が好天を告げているのだが、外に出ればぴゅーっと寒風が頬をなぜ、「おー寒」と首を縮めて歩き出さねばならない。どこか悲鳴に似た風音と身に染む寒さが記憶を呼び戻す。なぜか帰り道、校庭のゴールポストや街角の電柱に寒風が絡まって吹いていた何十年前の光景が脳裏を過ぎる。何だかどうもその記憶は父母だけでなく、祖父や祖母も感じたに違いない懐かしさに連なっている気がする。
 人間の記憶は不思議なもので、幼い時に聞かされた話は自分の体験のように感じられる。母にしたところで、自分が聞かされた明治の村境の水争いで活躍した曾祖父の話を、そのまま懐かしそうに話してくれた。何時も手に汗を握って聞いたものだ。父もよく満州がいかに寒いかを話してくれた。親父はちょっと吹く傾向があったので、今から思えば小便がそのまま凍るのは少し脚色されているような気もするが。
 幼心の記憶は身になり、明治なぞ体験しないのに草田男の句がよく分かる。果たして自分が子に語り継ぐ話を持っていたか、孫に語り継ぐ昭和の世界があるか心許ない。それでもなにがしかを語り継いでゆきたい。物事の理解、殊に人間世界の理解には厚みが必要だと確信している。目まぐるしく節操もなく騒ぎ立てるマスコミ情報ではなく、じっくりと先達や親から語り継がれた世界を伝えなければ彼らが自ら道を開いて生きて行けるとは思えないのだ。
 
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苺に里心

2010年01月29日 | 身辺記
 フランスに住んでおられるKご夫妻が帰省されたのでと仲間で会食した。この会は本来はワインを飲む会でアルコールは大して飲めずワインに詳しくない我々夫婦は付録で参加させて貰っている。今回はオーゾウだかなんとかいうブルゴーニュワインにブンブンとかいうイタリアワイン・・・とワインの話で盛り上がり、よく分からない我々はただフムフムとワインを含みながら聞き役だった。とにかくソムリエもたじたじで、これはメルローと何とかが半々だねと「えっと、そうですね」。とソムリエは陰で本を出して調べている。
「だいぶん開いてきた、枯れ草の香りがするなあ」・・。「そう、何か乾いた砂利道のようだ」??。「やっぱりニューワールドよりもフランスだね」!・・。
 まあ、厳しい受験勉強を切り抜けてきた面々、覚えるのは得意で蘊蓄はもの凄い。
 K婦人、イチゴのデザートにため息、「やっぱり苺は日本が一番ね」。「うん、デザートもこれ位の量がいいんだよ」。と答えるK先生、どうもちょっと日本の良さがが恋しくなったようだ。しばらくこちらに留まる雰囲気が出ている。味噌汁でなく苺に感激、妙だなと思ったがはっと気が付いた。そうだ味噌汁は手に入っても日本の苺は手に入らないんだ。
 
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平成の眠りを覚ます

2010年01月28日 | 町医者診言
 「太平の眠りを覚ますじょうきせんたった四杯で夜も眠れず」。を真似て「平成の眠りを覚ます朝刊に信じられない憶測見出し」。
 真実は何処にあるか。それは間にあるといつも恩師は言っていた。一辺倒の解釈を示唆する情報は鵜呑みにせず、違う視点の情報も斟酌して、自ら判断しなさい。自分が正しいと思っても相手の意見を心を開いて聞くことが、争いや間違いを減らすという教えだと思っている。
 勿論、間にあるといっても、中間点という意味ではないのは教授の言動からわかっている、私の主張はせいぜい7,8%取り入れられるのが常だったから。

 ここで兄弟子の貴重な教えも書いておこう。「おまえ、事実と解釈はきちんと分けなきゃ。こんなんじゃ、駄目!」。
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薬ではなく

2010年01月27日 | 医療
 特効薬と呼ばれる一群の薬剤がある。それによって数多の病気を退治できるようになった。読んでくださる方には無縁だろうが、淋病梅毒に始まりインフルエンザまで。勿論、敵もさるもの引っ掻くもので、薬剤耐性を獲得してしぶとく生き残る病原体も多いのだが。
 まあしかし個体が元来健康であれば、なんとか退治できる事が多い。そうした薬物を手にして、町中で医業を営んでいると、薬物に負けないあるいはそれ以上の効力のある治療の存在に気付かされる。
 それは日本にちゃんとあるのに一言でそれを表す言葉がない「ケア」だ。心配り気遣い優しさ親身の観察親身の手助けといったものだ。ケアは目に見えにくいし即効性は少ない。しかし、確かに明らかな効力を持っている。ケアの力には寝たきりあるいは寝たきりに準じる病態の時に気が付かされることが多い。
 数多くの経験を積むとこの年齢でこの状態だと予後(病気の経過と結末)が予測できる。あと半年かななどと思いながら往診していると、二ヶ月くらいでみるみる悪くなり亡くなったり、年を越えて一年以上長らえられたりする。
 医療看護側の治療処置には変わりはないので、其処に家族や関わる人のケアが効いているのだ。それはそれこそ由緒来歴巡り合わせ全てのことが関係しているケアなので、良い悪いと医師が評価しづらいものだが、もう駄目だなと思う病態がそれこそグライダーが滑空するように柔らかく静かに天地の間に消えてゆくような症例は、診させて頂いた医者までも完了感というか定着感というか穏やかな気持ちが残る。そうした患者さん家族は一見何処にでも居られる普通の人達で、こうしたことがなければ取り立てて目立つところはないものだ。
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登校拒否から

2010年01月26日 | 世の中
 Sさんは五十歳。このところ夜半に眼が覚め、朝方ふらつく感じがある、日中でも立ち上がった時などどうもすっきりしないと訴える。神経学的な診察では頭蓋内病変は考えにくく、血圧を測ると191/105と異常に高い。いつもは130/80程度だ。ははあ、これは何か強烈なストレスがあるなと聞き質すと、冬休み明けから学校に行くのが辛い。子供達に苛められると告白する。三、四ヶ月休めないだろうかと言う。何年生の受け持ちかと聞くと五年生とのこと。内容を詳しくは聞かなかったが、どうもお前は駄目教師のように騒ぐらしい。
 五十歳と言えばベテラン教師、若い教師を指導しながら先頭に立って活躍かと思ったらそうも行かないらしい。自分の守備範囲ではないので、降圧剤を調整し専門医を紹介した。
 登校拒否は根が深く一筋縄では行かず一般化の難しい問題で、とても数百語で解説ができる問題ではない。
 ただどうしても自分が小学校生だった頃を思い出してしまう。五十五年前には考えられないことだ。単に自分が恵まれていただけだろうか。そうではないような気がする。恩師と呼べる人なくして、今があるとは思えない。時代による変容変遷はあるにせよ、学んで人が成長するのは決して変わることはないだろう。
 学ばない学べない子供達の存在は国の将来に関わる最重要課題であると多くの政治家は気付いているはずだが、例えに出して猿に申し訳ないが猿芝居から抜け出せない。勿論、猿政治家猿記者ばかりというわけではない、国民が辛くも真贋を見極めるのを願うばかりだ。
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