駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

棒はどこへ行った

2010年12月30日 | 身辺記

 去年今年貫く棒のごときもの。年末年始になると寒い夜にどこからか太い棒のようなものが現れ年を繋ぐ感じがすると詠ったものだが、確かにそうだなあ、昔の人はうまいことを言うと思ってきた。

 しかし平成22年から23年は政も滞り、不景気の風が吹き、先行きの見通しもなくただ時間が過ぎてゆくようだ。

 ただ、有り難いことに手の届く範囲では、今年は一年お世話になりました来年も宜しくと貫いてゆくものを感じ取ることができた。プログを読んでいただいた方とも、ご厚誼が続きますようにと願いながら、新年を迎えたい。

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今年は今日で終診

2010年12月29日 | 身辺記

 今日の午前中で診療は終了。いつものことだが、意外に患者さんは来ないものだ。パラパラで終わると予想する。

 昨日もさほど患者さんは受診されず、昨日二十八日で終了にしても良かったかなと思うのだが、始める方を五日にしたので、余り長く休んでもと今日までにしたのだ。サービス業は頃合いが難しい。尤も今年は正月当番医があり、途中に一日仕事がある。十年に一度の当たり番だ。

 他業種ほどではないと思うが、町医者にも経営的には厳しさのある一年だった。嘆いても仕方がない。泣いても始まらない。苦境にこそ考えながら力を尽くすことが、生き延びて行く道なのだ。仕事があることに感謝しながら今年の店仕舞いをしたい。

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風花片片

2010年12月28日 | 町医者診言

 浅田真央が二位に入った。フィギュア女子に彼女が居ないと寂しい。真央は容姿に恵まれ華がある。お辞儀をするだけで見とれてしまう。何回転ジャンプとは言うけれど、やはり本質は美を競う競技、たとえ三回転ジャンプを決めても人七化け三ではちょっと。

 凄惨な世田谷一家殺人事件。これだけ色々な残留品があり状況が分かってきているのに、全く解決の目途が付いていないようだ。面白半分でなく、まじめに在野の知恵を借りてはどうかと提案したい。ミステリー作家やミステリーファンに知恵を絞らせる試みがあってもよいと思う。

 何をやっているんだか、どこから見ても 亜菅 遺菅 浮菅 厭菅、なんだか悪菅がしてきた。

 昨夕八度五分の熱が出て、今朝は七度二分か。喉はさして赤くない。ちょっと声が枯れてはいるが元気そうだ。これは九割インフルエンザではないな。さて検査はどうするか。数百円余分に費用がかかるからなあ。そんな時、患者さんが「先生、でもインフルエンザの検査をお願いします」。と言ってくれると助かる。「ほら陰性でしたよ」。と検査キットの結果を見せて、二人でにっこり。

 贈り物の袋から可愛いワイシャツが出てきた。ママは大喜び。「僕はレゴの方が良かった」。「サンタさんも忙しいから、時々間違えることもあるんだよ」。「明日届くかもしれないよ」。と大甘の爺。

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昔は恐かった教授

2010年12月27日 | 人生

 今の若い医師には信じ難いことだろうが、昭和四十年ぐらいまでは医学部の教授には恐ろしい人が少なからず居た。絶対の権力を持っていたから、怖い存在であり得た面もあったのだろうが、それよりも弟子を鍛えることに妥協なく心血を注ぐ教育者であったという方が真実に近いだろう。(物事には光と影功罪が付きまとうから、理不尽恣意的な差別や依怙贔屓もあったとは思う)。

 何よりもその頃の教授が人を叱り飛ばす信念と情熱を持っていたことに驚きと尊敬の念を抱く。というのは今はおそらくどこの医学部を探しても、三十過ぎの中堅医師が教授室に入る時は足が震えるほど恐い教授は稀有だと思うからだ。「何をやっているんだ」。「そんなことでいいと思うか」。と怒鳴られて、すごすごと教授室から出てきた弟子の多くは懐かしく感謝している。二十年ほど前に亡くなられたH教授、小柄で優しい先生のように学会ではお見かけしたが、直接の弟子だった先生方に伺えば、厳しく恐い先生だったとのこと。怒られて当然と思わせるものと隠れた優しさも持たれていたのではないかと推測する。そういう先生だったからこそ分厚い追悼集ができ、全国をリードする教室が出来上がったのだろう。

 自分も内科部長として五年ばかり、若い医師を指導する立場にあったが、人を指導するのは難しく、まして叱りつけるということはエネルギーの要ることで、なかなかできることではない。勿論、今では叱られる方の態度理解反応も変わってしまい、怒鳴りつければ変人扱いされ敬遠されると聞く。指導者にも弟子にも時代の陰影が差しているようだ。

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異様な年末

2010年12月26日 | 小考

 昨日はクリスマス、後五日で今年も暮れるというのに、街にはクリスマスの華やいだ雰囲気が乏しかった。師走の賑やかな押し迫った感じも少ない。なんだか吹きすさぶ冷たい風だけが年の瀬を告げている。

 おそらく日本のあちこちでも似たような不思議な年の暮が展開されているのではないかと想像する。私には二十一世紀に入って一番みすぼらしい年末のように感じられる。途方に暮れる感覚に何とも足元が覚束ないのだ。

 特別な落ち度もなく真っ当に働いてきたのに冗談もほどほどにしてほしいと担当の神様だか仏様に申し上げたい気分なのだが、それがどうも冗談ではないようなのだ。

 人生でそして社会でセンス・オブ・ユーモアがいかに大きな意味を持つかを痛感する。八方塞がりに見える時に同僚や部下をニッコリさせることができるかどうかは大切なリーダーの資質と見つけた。そこから曙光が差すことは大いにあり得ることなのだ。少なくとも玉砕を防ぐことはできるだろう。

 小なりと雖も七人の従業員の後ろ盾となる零細業の主としては、胆に銘じておかねばなるまい。

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