駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

女医さん考

2008年05月31日 | 医療
 何時の頃からか、男と女の違いを指摘することが難しくなった。この数年、多少の揺り戻しがあるが、今なお表立っては論じにくい。違うとゆうことは暗黙に織り込み済みと阿吽の呼吸で、議論を進めることになっているのだろうか。
 医師不足に女性医師増加が多少影を落としているのは事実だと思うのだが、厚労省や日本医師会が問題にしていると聞かない、私が知らないだけだろうか。
 独断と偏見だが、妻の役割は社会情勢で変わっていくけれども、母はどうだろうか、正直に言えば変わって欲しくないし、変わらないのではないか。母の存在は子育てに欠かせない。少なくとも数年は子供の傍らに居る必要があると思う。
 20代後半から30代半ばまでの数年は医師にとって特別な時期で、ここを外すと指導医への道が狭まる。母を選べば総合病院で部長を張るのはなかなか難しいのが現実だ。それに、それ以前の専門科を選ぶ時点で、女性医師は夜間呼ばれる科よりも急変の少ない科を選ぶ傾向がある。もちろん、いつもどこにも凄い人が居て、一人三役をこなす女医科長さんもおられるとは思うが、それはやはり例外で、広く医療界のティーム編成を考えた時、女性医師のあり方が多少負担になっていると思う。私は町医者をしてみて、町医者は女性医師が結婚していてもやりやすい仕事のように感じている。女性医師が町医者志向となり、後継者の居ない町医者を段階的に継承するつもりで思い切って内科系の科を選択すれば、女性医師が生かされにくいという問題もいくらか改善されるように思う。
 存じ上げる優れた指導医の女医さんは独身かお子様一人の方がほとんどだ。いかにも残念だなどというと上野教授にぶん殴られるのだろうか?
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学食天丼と霞ヶ関天丼

2008年05月29日 | 世の中
 学食の天丼、健在だろうか?40年前は200円くらいだったか、大振りなのは見かけだけで、厚い衣の中の海老は四分の一くらいの大きさだったと記憶する。それでも学生の身分、味と値段から、納得しながら美味しくいただいた。しかし、今霞ヶ関で民間向けに閉鎖硬直不合理の厚衣を着せられ、三人がかりで旧態依然油で二重揚げされ、机上つゆで味付けされて1800円で尊大に(これだけは見た目改善)提供されている官僚天丼は大いに問題だ。
 こんなつまらん揶揄で溜飲を下げるわけにはいかない。というのは今や官僚機構が日本の命取りになりかけており、難攻不落の官僚城も攻略の活路が見えているからだ。
 町医者の私の悩みが医療に専念できたらどんなに良いだろうと聞いて驚かれるだろうか?医業は専門職なので毎日医学の勉強を小一時間している。これは全然辛くないし、基礎が出来ているので大変ではない。ところが役所的な書類書きや形式重視のカルテ記載要請、医療保険制度の改変に伴う事務作業の理解と実践となると、もはや若くない医師には大変な苦痛である。若い事務員にとっても、相当な負担になっている。これが目に見えにくい医療従事者の労働負担、医療機関の医療の質に無関係な経済負担になり、底流で医療の質の低下を招きつつある。
 適正費用で良好で継続できる医療をというお題目に反対な人はいまい。しかしそれを実現するために過大な手続き負担が掛かっては、結局は適正費用を浸食することになる。医業だけではあるまい、不必要に介在する手続き、形ばかりの検査とそれを差配する天下り機構などを一掃しなければ、衣ばかり厚い天丼に高価を支払うことになる。
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パラグアイ戦

2008年05月28日 | スポーツ
 メンバーを随分入れ替えたので、コートジボアール戦と比較しての評価は難しい。俄サッカーファンには面白くない試合だったかも知れないが、50年サッカーを途切れず見ている者には、まずまずの内容と手応えで合格ラインには達している。
 ティームの個性としては岡田色が出て守備が安定してきた。岡田式に中盤の制球権を取って左右に展開しようしているが、瞬時の読みが出来ない。読んでもなかなか読みが一致せず連携プレーでの局面打開がもう一つだ。
 シュートかパスか一瞬でも逡巡すれば、Aクラス相手ではつぶされてしまうのを学んで欲しい。
 ゴールキーパーは楢崎がいい。冷静で勇敢。不足していた指導力も付き、フィールドプレイヤーの一人としての働きができている。
 中沢を外したのは万が一彼が出られないことを想定したのとツーリオの要力を試したと思う。寺田は中沢の代わりがどの程度できるかを見たと思う。
 鈴木は芽つぶし反射板としては機能しているが、反撃の起点となれない。大きな課題。このままではしのぎにしか使えない。
 巻のワントップは賛成できない。巻は大久保や玉田と組ませなければ機能しない。高原に残念ながら明日はない。大久保玉田はフォワードと呼べる選手だ。
 中村俊、松井、長谷部は中盤のキープレイヤとして使える。この三人の個性が生きるように使いたい。この三人の内二人は必須。残りの二人、誰を中盤に配置するかがポイント。
 岡田さんがこのブログを読むわけはないが、駅前医者のアドバイスが届くような気がする。何としても修羅場の予選を抜けなければ。科学者の端くれとしてあるまじき発言?、念力を送りたい。
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店主と店構え

2008年05月27日 | 旨い物
 生きるために食べる。なるほどと50年前は純真に感動したが、50年後の今は、楽しく食べるために生きているといった方が正確で正直に生活を表現している。衰微の兆候かもしれないが、我々の年齢では宜なるかなと思う。
 遠出すれば二回に一回はいろいろ下調べをして新しい店に挑戦する。星をもらう前のカンテサンスに行ったことのあるのが自慢だ。我々の採点は星一つ、三つ星は不自然で可哀想。
 近場でもまだ行ったことのない店が多くあり、外食数回に一回くらい新しい店を試している。数年に一度、入っても席に座らず「あ、ちょっと」などと口走り、そのまま出てきてしまうことがある。なんだあのお客と怒っていると思うが、鈍重で不潔な店は敬遠だ。食べるまでもなく、美味しくない。ただ微妙なのだが、街角中華や洋食店は多少乱雑で古びていても大丈夫、活気さえあればむしろそれくらいの店の方が旨い。
 外科医と小児科医では気質に違いがあるように、これについてはいつか詳しく書いてみたいが、料理人も専門によって肌合いが違う。店に入った時、鮨屋には清潔感と微かな緊張感が必須で、これがない鮨屋は旨くない。料理人には異例なことだが、鮨屋は容姿が問われる。二枚目である必要は全くないのだが、手が綺麗でいなせな感じというか気持ち良さが欠かせない。緊張感というか締まりが必要だが、かといってあまり口が重いのもよくない。おしゃべりはもっとよくない。店の広さは小体だが狭くないのが良い。あがりとがりが旨くないようでは、鮨も大したことはない。色々注文が多いが、まあこれでだいたい外れはない。
 店のしつらえと内容の関係、いろいろあると思う。また書いてみたい。
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同業者批評 その一

2008年05月26日 | 医者
 世の中には多種多様な人が居て、情報が溢れているので、広い世界に生きているような感じがするけれども、実はほとんどの人は顔見知りと業界の論理に囚われた狭い世界に生きている。同業者の世界には業界固有の論理と習慣があり、業界の利益優先に動いて行く。そこに一般社会の見方や習慣を持ち込むことは非常に難しく、まして同業者を批判することは禁忌になっている。そんなことをすればあいつは変わっていると異端視されて、最悪の場合は仲間はずれにされてしまう。どうしてこんな持って回ったことを書いたかというと、ちょっと同業者を批評する冒険をしてみたいからだ。
 一般の人の中には総合病院や専門医を高級?とされる方がおられ、手足がしびれる耳鳴りがするなどの症状があると、何かの悪い病気の前兆ではないかと町医者を素通りして、直接総合病院や専門医を受診される。そこでいろいろ検査をされて、異常がないと宣告されて帰される。なるほど異常がないかと安心して帰って来たはよいがしびれ感や耳鳴りは治っていない、それじゃあ駅前の医者にでも行ってみるかと来られる。
 「なんだか左手の先がしびれるような感じがするんですが」。何時からどんな風になどといろいろ話を聞いて診察して、
 「首から来ているかも知れませんね、一度頸椎を調べてみたらどうでしょう」。 「ああそれはもう、調べてもらいました。MRIを撮って異常ないそうです。頭も調べてもらいましたが異常ありませんでした」。何でそれを先に言わないのと、どっと疲れが出る。
 「異常がないのにどうしてしびれるんでしょうかね」。と言うときょとんとしている。総合病院をしょって立つ部長あるいは専門医としてはよくわからないとは言いにくいのだろうか、あるいは患者を椅子から立たせる魔法の言葉が異常ありません、なのか。症状があるのに、異常ありませんと帰すのはどうも良い説明とは言えないように思う。
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