駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

老人脳力を自覚

2017年02月28日 | 人生

           

 記憶力は衰えたが理解力は比較的保たれている。毎日二十分くらい勉強している。なんだ短い、勉強のうちに入らないと高校生は思うだろう。ところが二時間くらいの効果がある。残念ながら悔しいことに、きちんと憶えていられればという注釈をつけねばらならないのだが、読んだ当座は二十分で医学生二時間分の勉強量になっている。

 毎週来る医事新報に加え、毎月五種類の学会誌や医師会雑誌が来る、それに内科系の単行本も時々買うから、読まなければならない情報は山のようにある。勿論、全部読むことはできないが目次だけは見るようにして、面白そう大切そうな部分を斜め読みしている。医学生の五、六倍の速度で読むことができる。何と言ったって八割以上わかっている知っていることだからだ。

 ありがたいことに知らなかった理解できていなかった一二割の新知見になるほどそうか、ええそうだったのかと興味を持つことができる。興味が沸き起こると理解も早いし、何とか忘れやすくなった脳味噌にも染み込むようだ。時には偉そうではあるが、それは昔から儂が考えていたことだ気が付いていたことだという新知見もあるし、四十年経っても、まだわからないんだということも数多い。

 中野信子さんの書かれた「サイコパス」は、半世紀前の精神科では習わなかった。唯、書かれている徐脈の人の中に一群の恐怖を感じにくい人達が居るということには薄々気付いていた。趣味の関係で高所に昇ることがあったのだが、膝をがくがくさせ冷汗をかきながら昇る多数の人の中に、最初から高所が平気な人が居て、彼らに徐脈傾向があるのに気付いていた。いわゆる白衣性高血圧や白衣現象を起こす人は血圧上昇と同時に頻脈になるのだが、診察室でも全く血圧の上がらない人達がいる。その中に脈が遅く動じない感じの人が混じっているのにも気が付いていた。そんなこともあって成程と興味深くちょっと薄気味悪く「サイコパス」を読んだ。

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芸術になる何か

2017年02月27日 | 趣味

 

 マティスとルオーにはギュスターブモローという絵画の教師がいた。モローはマティスの優れた色彩感覚とルオーの宗教的な親和性に気付いていたようだ。そしてその通りの方向で薫陶を受けてからの五十年を歩んだように見える。

 絵画芸術をどう定義できるだろうか。美的な感動与える二次元表現とすると美的とは何かと難しくなってしまう。美しいとはちょっと違った作品もあるから単に感動とした方が良いかもしれない。

 二人の作品には筆の運びとか繊細さという技術面では、これは到底真似ができないという感じはしないが、素直に芸術作品と受け取ることができる何かが伝わってくる。心のありようと言うか、人生の断面と言うか、どこか暖かい眼差しのようなものが伝わってくる。この表現でなければ伝えることのできない何かがある。

 勿論、単純素朴で簡単そうに見えても優れたというか個性的な技術はあるのだが、作品の主体ではない。自分も拙い絵を描くがマティスから色をモローから形を何某か学べたように思う。

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マティスとルオー展

2017年02月26日 | 趣味

    

 東京で勉強会があったので、都合良くマティスとルオー展を見ることができた。入り口のポスターの写真を撮ろうとしたら撮影禁止だった。どういうことか理解に苦しむが、ためにそのポスターをお目にかけることは出来ない。ルオーを見直したと言うと偉そうだが、黒い線があんまり好きではなかったのだが実物を見て印象が変わった。

 東京マラソンで身動きが取れず困った。歩くような人のためにまで交通規制をする必要があるのだろうかとマラソン愛好者に抗議を受けそうな感想を持った。一寸離れたところで降りて日本橋丸善まで歩いた。私は何でもないのだが、女房は歩くのが苦手で説明するのに難渋した。

 例によって数冊本を買い込んできた。帰りの車内で途中まで読んだ中野信子さんの「サイコパス」文藝春秋はまるで仲の良いどこかの政治家のことのようで、冗談多いなあとサイコパスではない凡人の私は空恐ろしくなった。

 続きは明日にでも書きたい。

 丸善の海鮮黒カレー、中々旨かったが、ライスにやや難ありと申し上げておこう。

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値上がりを外食で感知

2017年02月25日 | 世の中

       

 よく外食するのでこの一、二年値上がりしているのを実感する。脱デフレで物価上昇を狙ってきた政府にはご同慶と申し上げたいところだが、そうは感じない。牛丼チェーンの吉野家からお手軽イタリアンそして大衆割烹まで、ちょっとひねりを利かして値上げしている。材料がさほど変わったとは思えないが、ネーミングと調理法の変化で一二割の値上げがされている。値上げをしないカレーの美味しい家族経営の**屋には表彰状を差し上げたい(多分、剽軽親父は実は筋金入りで歯を食いしばって値上げしないのだと思う)。

 この値上げ攻勢には赤信号並んで渡れば恐くないというというメカニズムが働いている。勿論、厳しい競争があるから値上げ幅やお得感の演出には相当気を遣っているようだが、主に外食で栄養補給をしている単身者の懐を直撃していると思われる。恐らくそうして外食で食事を取っておられる人のためだと思うが、一人前でボリュームたっぷりのメニューが多い。おまけにプラス100円程度で大盛りの注文が出来るようになっている。ご飯は小盛りでと頼む(減らしても値下げはない)准高齢者には、どうも不都合なメニューだ。糖尿病を診療する医師としても、低カロリーで少し値引きがされたメニューが欲しいところだ。

 こうした頻繁に食べる千円でお釣りがくる外食と同様、否それ以上に値上げしてきているのが東京を筆頭とする大都市の高級店だ。一個で回転寿司一人前以上の値の張る寿司屋や、前菜だけで牛丼五杯分のお値段のフレンチやイタリアンが復活している。驚いたことに、前日では予約が一杯で一週間前でないと予約を取れない店も多い。なんだかバブル前夜を思い出してしまう。尤も地方ではとてもそんなお値段では客が来ないので、高級を自認する店でもなかなか一万円以上のコースは難しいようだ。

 年末に東京で感じた景気回復の気配も地方では感じにくく、地域格差が歴然としてある。飛躍するようだが、NHKには平均しては見えにくくなる実態を多角的にこまごまと正確に報道していただきたい。それが不偏不党というものだ。現実にある物事は簡単ではなく、一言で表すことは出来ない。 

 一体この外食料金の微妙な値上がりは何を反映し、どのような明日を指し示しているのだろう。サラダのつもりか、豚生姜焼き丼の肉の脇に鎮座しているキャベツを噛みしめながら、回らなくなった脳味噌で考えている。

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小学校の教師気分

2017年02月24日 | 診療

          

 腎臓の機能の指標にeGFRというものが使われるようになって暫く経つ。このeというのはええ加減のeだと思っているのだが、採血検査を見て計算されたeGFRの値を見ると100点満点の試験結果のようで笑ってしまう(最悪10から良好100くらいまでの数字で表わされるため)。長らく血清クレアチニンの値を腎機能の指標にしてきた。これは05から10.0くらいまでの数字で表され、こちらは低い方が良いのだが、悪くなり始めの変化が鈍く初期の変化が分かりにくい。そのためにeGFRが考案され採用されたのだ。まだ正確さでは不十分だが初期変化を捉えるのには優れており、半年前72点だったのが今回は59点と落ちている、ははあこれはゲームのやりすぎか悪い友達が出来たか、何かあるなと気付き、初期対応がしやすい。

 人体はゆっくりした変化には適応してしまうので、このeGFRは余程点数が悪くならないと本人の見た目には変化がないことが多い。尤も、この見た目に惑わされない為に導入されたわけで、優等生然としたFさんが47点だったりしてあれあれ要注意だと気付く効用があるわけだ。逆に指示を守らない不良患者が80点などと良い点数だったりして、苦笑いをしてしまうこともある。ちなみに私は74点で、まあまあ面目を施している。赤鉛筆を握っているわけではないがeGFRを見ながら、小学校の教師気分になっている。

 二十年ほど前に登場し、今や医師の人口に膾炙したCKDという概念はeGFRによって広がり浸透したので、eGFRの功罪は功を多とすると言えよう。

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