駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

これでいいのだ赤塚不二夫

2008年11月30日 | 小考
 四十年前、赤塚不二夫を現在進行形で読んだ。O君の下宿で文字通り腹を抱えて笑った。加藤芳郎や長谷川町子と違う、はちゃめちゃ問答無用な笑い。
 これでいいのだ、と叫く赤塚に微かな含羞を感ずる。突き上げる笑わせたい?情動に歯止めなく転がる軌跡に、これでいいのかという問いの瘢痕を遙か40年の彼方を振り返って認める。
 白刃の上でこれしかないから、これでいいのだと踊ったと喝破できる気がする。もう踊れないからタモリだったんでしょうと問えば、生言うなとキリンラガーの瓶が飛んでくるかな。
 妙に思われるかもしれないが「これでいいのだ」にクーベルタン男爵の「参加することに意義がある」が重なる。共に広い眺望の中で捉えなければ、安直に理解されてしまう言葉だ。赤塚は小癪な解釈をと糞尿を投げつけて拒否するかもしれない。クーベルタンは首肯してくれるだろう。
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同好の発見

2008年11月29日 | 身辺記
 毎日コーヒーを1,2杯飲む。朝は必ずと云ってもよい。以前は多少凝って、葉山から豆を取り寄せ、その都度挽いて飲んでいたが、どうも味が不安定でいつも美味しく入るとは限らず、ちょっと手間なので止めてしまった。今はキーコーヒーのドリップオンを愛飲している。非常に美味しいとは言えない。どうにか合格の味だ。ブラックで飲む。大抵ガーナか明治のミルクチョコをひとかけら摘むことが多い。
 今朝も一番に出勤、保健所から貰った認知症研修済み証明書、内科専門医には知っていることがほとんどで退屈な研修だったが折角貴重な日曜日を潰したので、を掲示しようと画鋲を探した。事務の引き出しを開けるとホッチキス、クリップ、セロテープ、画鋲などの脇に、ガーナミルクチョコレートを2箱発見。ははあ、奴らもちょっと一息にひとかけら頬張っているな。彼女達は各々自分専用のポットを持っており(何が入っているか不明)時々喉を潤している様子だったが、エネルギーも補給しているわけだ。成る程。
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ルールの妙 竜王踏ん張る

2008年11月28日 | 趣味
 羽生名人の手が震えたら、対戦相手の次の五手目は投了と決まっている。居住まいを正して、力無く応ずるのが通例である。ところが竜王戦第四局は違った。渡辺竜王がストレート負けはあんまり?と、渾身の踏ん張りを見せた。
 どうも詰んでいるの直感に禁じ手の打ち歩詰めが抜けていたらしい?のである。 将棋にはいくつか禁じ手があり、駒台の歩を打って王を詰ますことは出来ないことになっている。他に二歩(同じ列に歩を二枚使うこと)の禁止、動けない場所に駒を使うことの禁止がある。たかだかこれだけの禁じ手によって、将棋の奥深さが雲泥の違いに深いものになっている。誰が決めたか、智慧のある人達が居たものだ。
 これは私の想像だが、名人が一瞬で詰むと見た局面が読んでみると、打ち歩詰めになっていたのではないか。空前名人羽生にも一瞬の虚があった。
 それともう一つ、竜王は3連敗を喰らったのに位負けを感じていない。これは偉い。絶賛に値する。名前を出して別に悪くないのだが、木村選手などは戦う前から既に不利になっている。名前を出して申し訳ないのだが、谷川さんも羽生名人を意識しすぎだ、だったになっていればよいのだが。
 羽生名人の震える手にも投了に追い込まれなかった竜王は一勝三敗と圧倒的に不利ではあるが、まだまだ竜王戦を楽しませてくれそうだ。
 
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番頭は出来そうにない

2008年11月28日 | 世の中
 温厚な川本三郎さんが声を荒げたことがある。どう見ても満室でない高級旅館で身なりを一瞥され、満室ですと宿泊を断られた時だ。当人は憤慨しておられるが、読者としては、旅館の女将にも三分の理と笑ってしまった。まず履き物がよろしくない。聞いた話では旅館の番頭は足下を見て懐具合を推量するそうだ。川本さんは歩き回られるので革靴を履いておられない。しかも軽装、男一人のぶらり旅。
 町医者は鋭く?観察するが、風体から懐具合を推し量る技術はさほどではない。中にはそうした才能に恵まれている町医者が居るかもしれないが、私は駄目だ。勿論、臭うような下着にぼろ靴では、私でも生活が大変そうだと見当がつくが、衣服や宝石に関しては鑑定力がなく、高級そうだなあくらいしか分からない。
 春先だったか、いつもはっきりしない訴えで、理解力ももう一つのYさんから吐き気がして食事が取れないので往診してほしいとの要請があった。Yさんは10回ほど食事指導を受けたにも拘わらず、意欲はあるものの結局理解不足で脱落してしまい、いまだに肥満体でお嬢さんと二人暮らしの50代のおばさんだ。
 地図を頼りにこの辺かなと路地を曲がると、豪壮な二階建て新築の家がある。まさかと思いながら表札を見るとY、「あらー、意外に立派ですねえ」。と看護婦のSが口走る。「そんなこと言うもんじゃないよ」。と言いながら実は同じことを考えていた。
 立派な八畳間のふわふわ布団に横になり、きょろきょろしているYさんの枕元にはしっかりした感じの中年男性、ご主人、の遺影が飾ってある。どことなく母親に似ているが、百倍くらい見栄えがしてすらりとした感じの良いお嬢さんがおしぼりとお茶を出してくれる。「こんなに大きなお家に二人で」。と言うと「婿が入ってくれました」。とのこと。経済力だけでなく、Yさんの幸運を呼ぶ力も見逃していた。どうも俺の目は節穴だったかと、反省しつつ帰院した。
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了解可能だろうか

2008年11月27日 | 小考
 不可解な恐ろしい事件が起きた。脈絡の繋がらない犯人の理屈に真相の解明が待たれると報道機関は困惑の表情を見せ、犯罪心理学の専門家と称する人達が自己顕示欲だとか、わかったようなわからないコメントをしている。
 私は一ヶ月経っても一年経っても、分からないことには変わりないと思う。ただ道筋を辿ることが出来るようになるだけだ。
 この事件には病理の範疇に入る心理が背景にあると思う。普通の人には了解できない理屈によって構成されている。了解は照合可能のことで、犯人には普通の人の心にはない動きがあると思う。卑劣といえばこれほど卑劣な犯罪はないのだが、卑劣という概念は普通の人間にも想像しうる範囲に入っているが、この犯罪はそれを超えている気がする。類推はある程度可能かもしれない。犯人が普通の人の心理に近寄って何か言うかもしれない。不思議な動機の状況証拠は積み重ねられるかもしれない。そうしたことを真相というなら、真相は解明されていくだろう。
 しかしそれでは、正面からこの病態に対峙することなく、皮相な解釈によっておぞましい事件としてやり過ごすことになり、未然に防ぐ対策は生まれないだろう。もとより、対策があるかどうか定かでないほどの難題と思うが、奇怪な事件簿に一例を加えて頁を閉じてはなるまい。刑事事件は犯人を挙げることによってほぼ解決するが、精神病理学者の仕事はこれから始まると思う。
 
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