駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

マリア・カラスとアメリカ

2018年12月31日 | 世界

                        

 

  年の終わりに犬が歩いて思いがけぬ棒に二つ当たった。

  一つ目の棒は映画。新聞の映画評論で藤原帰一さんが「私は、マリア・カラス」を高く評価されているのを読んだ。これは見なくてはと昨日有楽町の東宝シネマで見てきた。素晴らしい作品だった。マリアカラスはこんなに魅力ある優れたデイーバ、愛らしくひたむきな女性だったのかと感激した。その歌声は魂に響いた。この映画が素晴らしいのはとりもなおさずカラスが素晴らしい人だったからだ。この映画を教えてくれ、歳の暮れを気持ち良いものにしてくれた藤原さんにお礼を申し上げておきたい。

  もう一つの棒は考えさせられる本だ。「アメリカ」橋爪大三郎と大沢真幸、このお二人はいつも目を開かされる評論を書かれる。こうしたアメリカ理解があるのだと何か所も目から鱗が落ちる指摘、解釈があった。成程とアメリカだけなく日本の理解も深まったように思う。ただ、「アメリカ」に書かれているアメリカは世に流れる馴染んだアメリカ像と随分かけ離れている。一体何故と不思議な気がした。多くの方にこの本を読んでいただき、日米関係を見直すよすがにして欲しいと思った。

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世界は広い

2018年12月30日 | 町医者診言

     

 

  世界はあなたが思っているよりうんと広い。鴻上さんもそう言っているのだが、知らないことに気付いていない、知ろうとするのを忘れてしまったのかもしれない。不特定多数とお馴染みさん相手のサービス業、深刻な場面も多い、に携わってきたので、やや世間を広く渡ってきたように思っている私がおこがましくも、そのことを年の暮れそして人生の暮れに実感している。

  世の中に真理があるかどうか、いくつかの見解或いは信念があるだろう。科学の素養を身に付けたので真理に漸近してゆけるように思っているが、それには世界の広さを知り寛容の心が欠かせない気がしている。

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一年を振り返る

2018年12月29日 | 身辺記

               

 

 今日から六日間の休み、往診の重症患者さんは一人だけで、その方もこの一週間は大丈夫だろう。実際に呼ばれることは月に一回位でも、二十四時間何時呼ばれるか分からない生活というのはそれほど楽ではない。時間外の電話はそれこそ毎日掛かってくる。しかもインフルエンザの予約をしたいとか明日は診療しているかなど不急の用件が殆どだ。交代が居るわけではないので、本当に草臥れた。正直三十年近くやってきたこうした生活とはおさらばしたい。

 相手の身になって考えるという心遣いのない人が声を荒げる世の中になってきた。5、6%だと思うが、自分を棚に上げ相手の不手際は許さない人達が居る。諭すのは勿論宥めるのも難しいというか、危険というか、係わりたくない心境になっている。聞く耳を持たない人からどうやって逃れれば良いだろう。医院は誰にも開かれており、誰でも同じように診ようとしてきたのだが、留守電への返事がたまたま二十分ばかり遅れただけで怒る患者さんには付き合いきれない。車で走行中や音楽を聴いていて気付かず、直ぐ返事できないことも二十回に一回くらいはあるのだ。

 臨床は広く深く変化が多いので難しい。上手くいかなかった症例を反省して力を付けてきた。果たしてそれが世の中にも通じるものだろうか。2018年を振り返って誰しも一寸立ち止まり自分の過ぎ来し方を振り返る年の暮れだ。

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今日は仕事納め

2018年12月28日 | 身辺記

            

 

 昨夜は友人達との今年最後の忘年会に参加した。亡くなったG氏の代わりという訳ではないが近しいM氏にも参加してもらい六名で忘年会が出来た。二十数年前自然発生的に気の合う仲間七人のグループができ、山小屋で食事しながら話をしたり、あちこちに旅行したりと楽しんできた。今は六十八歳から八十歳という年齢層で、世代ギャップを感じず気持ちよく話ができる。職種が違うので色々なことを教えられた。最初からのメンバーは四名に減ってしまったが、楽しい気の置けない雰囲気は保たれており、最良の友人達の気がしている。私だけが地元の生まれ育ちではないのだが、四十過ぎてこうした友人が出来た幸運に感謝している。 

 今日は今年最後の診療日だ。いつも年末年始の休みをどうしようかと悩むのだが、今年は平凡に年末三日年始三日の六日間とした。どういう訳か最初と最後の日は意外に暇なことが多い。忙しかった昨日(患者数91名)、明日は暇だよと、例年の経験から受付の女の子たちに言ったら、いやわかりませんよ明日やっていますかという問い合わせがたくさんありましたと笑っていた。果て今日の込み具合はどんなもんだろう。

 一昨日の夜、重症だった末期がんのTさんが亡くなった。もう一人の老衰94歳のA婆さんはさんはおかゆが二口三口食べられ「先生ありがとう」の声が出ていたから正月休みは多分呼ばれることなく過ごせそうだ。

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ゴーン問題の背後

2018年12月27日 | 世の中

    

 

 新聞や週刊誌で騒がれている元日産会長のゴーン事件だが、一体何がどう問題なのかよく分からない。報道するマスコミによって大悪人から犯罪性の証明は難しいまで大きな幅がある。どうしてもゴーンが外国人で嫌われていたことや解雇されて恨んでいる人が居ることが、増幅逮捕要因になっているように見えてしまう。

 不思議なのは一流大企業?で会長単独で大金のちょろまかしが出来るものだろうかということだ。出来るとしたら三流の見かけだけ大企業ということになるのではと思う。おそらく百分の一程度の規模なら、同じようなことをしている社長はかなりいるのではないかという気がするが、自分は会社経営や経営は全くの素人で間違った見方かもしれない。

 高血圧や糖尿病の薬の使われ方を見ていてもわかるのだが、日本は一辺倒ユニゾンになりやすい。マスコミに嫌われ検察に睨まれたら蟻地獄のように見える。鳩山、管、舛添・・いくつかは良い仕事があるはずだが今や全否定で、何を言っても相手にされなくなっている。人間は変わりにくいけれども変わることはできる。私も十年くらい前まではLGBTを気持ち悪いと思っていたが、今はそういう人も居ると違和感はなくなっている。誰しも明日は我が身かもしれないのだ。再起できる社会、異論異質を受け入れる社会を目指そうという声に耳を傾けている。

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