駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

平成の姥捨て?山

2015年04月30日 | 世の中

             

 姥捨て山など遠い昔の話と思って居られる方も多いだろう。ところが平成にも似たような事象は多い。むしろ増えていると思う。時々、息子さんが家を出られ、一人暮らしが困難になったので貴院近傍の**という施設に入所されます。つきましては引き続き診療をお願いしますという紹介状が舞い込む。生活保護になっていることが多く、連れてくるのは施設の人だ。何かやむを得ない事情や辛い別れがあったとすれば捨てられたと言うのは申し訳ない表現だが、家族の気配が全く感じられず、捨てられたと感じることもある。

 捨てるわけではないが、病院から家庭へと押し出された要介護の配偶者を施設へ送る例は多い。半年ほど家で介護したあと、とても体力が続かない、あるいは自分の生活がめちゃくちゃになるからといった理由からが多いようだ。そうした症例で、奥さんは引き続き当院へ高血圧などで通われている場合がある。奥さんになかなかご主人はどうされていますかと聞けないものだ。向こうからご主人は元気ですと言って戴けるとほっとする。こうした場合は、自分の生活を犠牲にして五年十年と家で面倒を見るというのは大変な負担なので、事情は理解でき非難することではないかもしれない。

 たくさんこうした症例を見ていると、結局個別の問題で、その人やその家族の人生が反映していると言わざるをえない。唯、社会のあり方や経済的な側面は大きく、政治的な問題でもあるだろう。

 

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脳が疲れるようになった

2015年04月29日 | 人生

          

 額縁屋さんで絵を額に入れて貰った。中々のできあがりで良い選択だったと思う。「なによ、あの額縁屋、私にこれでいいですかなんて」と家内が不審がったが、それは請求書を見て判明した。立派な?絵に相応しい。

 遠い記憶だが中高生の頃は疲れ知らずだったような気がする。勿論、疲れることはあったと思うが疲れたなと思うまもなく直ぐ回復した。残念というかやむを得ないというか、前期高齢者になってから、脳味噌が疲れるようになった。ご想像の通り、内科医は聴診器より重い物は持たず、殆ど椅子に腰掛けたままで患者の話を聞くのが仕事なので、身体が疲れることはない。この話を聞くというのがとても疲れる。病気を考える場合は適切な質問をして言葉の端々に耳を傾け微妙な表情を見逃さず観察しなければならない。病気の症状と言うよりも愚痴の場合でも、知らん顔は出来ず、一通り聞いて「大変ですねえ」などと申し上げねばならない。

 そうすると帰宅後、いつの頃からか脳が働かなくなった。夕食を取って録画した番組や衛星放送を見ていると知らない間に寝てしまい。なんでそうなったのか皆目分からない話の続きを見ることになる。筋肉疲労は代謝物や血流を測定してある程度推測できるが、脳の方は何か適切な指標があるのだろうか。勿論、それが分かったところで、良い対策がなければ返ってがっかりするばかりで、高齢者に恩恵はない気もする。

 老人力の先駆、赤瀬川源平さんも残念なことに後期高齢者になってまもなく亡くなり、あの椎名誠までが爺むさいことを書くようになって、もう一つ老人界の展望が開けない。挙げ句の果てに超高齢の寂聴さんが、今更病気で苦しい大変などと騒いで居られるようだ。どうも年を取るというのはなかなか難しい仕業のようである。

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女王に躓く

2015年04月28日 | 診療

                   

  昨日は連休前だからか、患者さんが大勢受診され、文字通り三分診療を余儀なくされた。午前中は待合室で立って待たれた方も多かったようで、付いてくれた看護師のMさんが「お待たせして申し訳ありません」と謝りながら、できる限り迅速に診察を進めた。

 三分診療というのは実は平均で、重い病気や難しい病気の患者さんには五分十分と時間を割いている。しかしながら、医学的に重要とは思われない女王様のご希望に遺憾ながら時間を取られることもある。女王様に跪くのではなくて、躓いてしまう。男性にはこうした方は殆ど居られないが、女性の中には時々後に何十人並んでいても、女王然と話したいことを全部話される方が居られる。こういう方は対応が難しく、今日は忙しいので今度にしてくださいと言いにくく、つい時間を取られてしまう。

 たとえば、胃の調子が悪くO医院に行ったが胃カメラに異常なく**という薬を貰ったがこの薬で良いか、貰った血液検査結果で**という異常があるがこれは何だと言うご下問である。そんなことはO先生に聞いてくれと怒鳴りたいのを我慢して、分かる範囲でお答えする。女王様は要するにそれでよいと思います、心配なものではありませんという答えを期待しておられる。

 どんなに早く診察しても二分以下にはすることは出来ない。平均三分診療では五分浮かすために五人を二分で見なくてはならない。二分間診察が可能なのは後に待っている患者さんがたくさん居て早く診るのはやむを得ない、先生も忙しくて大変ですねという患者さんのご理解があるからだ。そうした中、女王様に躓くと忸怩たるものがある。

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変容する時間

2015年04月27日 | 人生

            

 年を取ると時間感覚が変容する。勿論、どの年代でも変化しているのだろうが成人してから高齢の入り口までは連続的でさほど大きな違いはないようで、、高齢者になるまで愕然とすることはなかった気がする。ところが六十代後半になって、あれあれと驚くように時間の流れが変わってきた。若い人には分からないだろうが、ダリの描く時計のように時間がゼリー状というか粘土状というか、一定の速度で流れなくなり、時々逆流したりスキップしたりするようになる。

 個人差があるだろうから誰もがそうとは限らないかも知れないが、記憶がこねくり回されて後先が不明になり、親に聞いたことが自分の経験のように感じられるようになる。何時のことだか思い出してごらんと言われても、そういうことがあったような気がするものことが溢れ、境目がはっきりしなくなる。どうもこの境目がはっきりしなくなるというのが、老化というか惚けの始まりではないかと思う。ついこないだまでは惚けは恐怖であったが、七十を目の前にしてやむを得んという心境になっている。

 物理的な時間は分かったようで人間の感覚とは乖離があり受け入れがたい。人間は結局記憶で時間を感じているので、惚け始めると蒟蒻時間というかダリタイムというか、渦巻き時間を生きることになるらしい。

 まさかと思う人もそのうちあれそれほれどれの世界を泳ぎ漂うようになる。昨日は散歩していたら永遠が垣間見えた。

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新緑と熱戦の季節

2015年04月26日 | 人生

         

 第73期将棋名人戦第二局は岐阜県高山市で行われ94手で挑戦者行方八段が勝ち対戦成績を一勝一敗とした。未だ棋譜を見ていないが、行方八段が腰を落として寄り切ったようで、面白いことになった。正直に言えば、二連敗だと行方八段の名人位奪取は殆どなくなるので、詰まらない名人戦になってしまう。

 緊張したか肩に力の入りすぎた緒戦から、見事に立ち直った行方八段に拍手したい。勿論、まだ最強の羽生が有利なのは間違いないのだが、行方八段にも私の見るところ25%程度奪取の可能性が出てきたと思う。第三局以降熱戦を楽しみに観戦したい。

 テニスバルセロナオープンで錦織が決勝に進んだ。是非連続制覇をして欲しい。連続奪取は実力の証明。錦織は本当の実力を付けてきたと思う。

 春は以外に憂鬱になる人が多い季節なのだが、幸い私は一抹の無情を感じながらも、新緑と共に応援しがいのある熱戦を楽しみにしている。昨日はトヨタの足元に遙かに及ばないものの、なにがしかのベースアップもすることが出来、心穏やかで居られる。有り難いことだ。

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