駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

薬が余る爺さん婆さん

2016年08月31日 | 医療

     

 私が学校に行っていた半世紀前は夏休みは八月三十一日まであった。つまり、餡は鯛焼きのしっぽの先まで入っていたわけだが、最近は八月二十五日頃から二学期が始まるところも多いようだ。果たして一週間短くして何ほどの意味があるのだろうかと、孫に同情する。 

 嘘のような本当の話なのだが、四半世紀前には処方された薬の半分近くが捨てられていた。医療費の負担も少なく、医者が呉れるのを断るのも面倒とひどい患者さんは袋ごと捨てていたのだ。今ではコンプライアンスとかアドヒアランスとか言って患者がきちんと指示を守っているかを確認することの重要さが強調され、自己負担額も上がってきたので、薬の服用率はかなり上がっているはずである。しかしそれでも、ある日突然、カプセルは50日分くらい残っているから今日は要らないとか言い出す患者さんが居る、ほとんどが高齢者。なんでかと聞くとあれを飲むと気分が悪くなると言う。

 どうして六種類の薬を一度に飲んでいるのに、犯人はこれだとわかると聞くと、勿論きちんとは答えられない。あれが悪そうだからあれだ、カプセルは気に食わないと言った程度だ。確かにやめたらよくなったので、そのカプセルのせいかもしれないが、殆どの患者さんは一つ一つ試したわけではなく、錠剤やカプセルの面を見て犯人を決めているのだ。そうした心には、こんなにたくさん飲みたくないと言う気持ちや、隣のおばさんのそんなに薬ばかり飲んでいると体に悪いよと言われたことがある。

 診療は信頼と意思疎通の上に成り立っているから、薬の数が多すぎるとか、この薬は合わないようだと言うのは遠慮なく言ってほしい。医者は中止するのにやぶさかではなく、無理強いすることは決してない。

 医師である私も、できるだけ薬の数を減らしたいと考えながら診療している。唯、高齢者は複数の疾患があり訴えが多いので、どうしても薬の数が増えがちだ。尤も、厚労省はそんなの関係ない、とにかく薬を二種類以上減らしたら報奨金を出すという制度を導入した。これは嘘のような本当の話だ。但し、当院では二種類以上減らしても報奨金を請求していない。煩雑だしそこまでしたくないと思うからだ。しかし、役人の心にはそうした利益誘導で医者を動かそうと言う根性が居座っている。勿論、有効だったからという経験があるからだろう。誠に遺憾だ。

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迷走台風一過に

2016年08月30日 | 世の中

        

 迷走台風の影響で大粒の雨が降っている、幸い当地では風は強くなく、ほとんど濡れることなく出勤してきた。

 一時オバタリアンという言葉が使われた。オジサニーズという言葉があるかどうか知らないが、ステテコで往来をうろつき車の誘導にはオーライを連発する。立体駐車場のおじさんは「オーライ、オーライ。はいオーケー」と言う。オーケーというのはもう止まれという意味なのだが、日本人には理解できても、日本に慣れないアメリカ人だと、どういうことと思うだろう。

 迷走する台風10号、天気予報のない時代だったら浜の長老も全く予想ができず戸惑っただろう。日本近くに北上してから左に曲がる台風などついぞ記憶にない。しかも生まれは東海沖というから、規格外のはみ出し鰻台風らしい。

 雨が足りないなどとぶつくさ言っていると、これでもかとバケツをひっくり返したような雨を降らせる。風神雨神にはへそ曲がりが多いらしい。大きな被害がないといいが、これだけ正確に予想しても、思いもよらなかったと被害が出ることが多い。兎に角、まさかと思っても人命だけは失われないように、予報を活用していただきたい。

 台風十号はオリンピックの余韻を吹き飛ばし、台風一過に新しい政治経済の局面を露わにしてくれるだろう。日本のアフリカ投資、以前から周到に準備されたものだろう。先行する中国に上手く割って入れるかどうか。実は数は多くないが、アフリカには先住日本人が居るし、深いアフリカ体験を持つ人も多い。ぜひそういう人達の声を生かした投資をしてほしい。援助という言葉は手垢が付いて妙な使い方もある、まあ正直投資と言った方がしっくりするし、実もあると思う。

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響きで味わう言語

2016年08月29日 | 世界

          

 英語はかなりわかる。医学の講演であればほぼ完璧に理解できる。ドイツ語は少しわかる。フランス語スぺイン語イタリア語は単語がいくつかと挨拶がわかる程度だ。トルコ語ロシア語ベトナム語中国語・・・は全く分からないが、ロシア語中国語など、どこの国の言葉かはわかるものもある。タモリは言語の音と抑揚をうまく捉えてそれらしく話す、確か藤村有弘のもそうした特技があったと記憶する。

 中国語には四音というのがあって似た音を高低前後に発音して意味を変えるようで、聞いていて落ちつかない。水滸伝の豪傑に似合わない感じがする。イタリア語は母音が多くはっきりしていて、わからないのにわかるような気がすることがある。

 そうして意味は分からないのだが言語には聞いていて飽きない味わいがある。ドラゴンタツーの女でスウェーデン語を初めてまとまって聞いた。流れるようではなく、えーと それで、確かあれだったという感じで語尾が僅かに上がる。子供が話しているようにとつとつとしたところがあって面白い。ドイツ語に似ているかと思ったらそうでもなかった。

 誰がべベルの塔を建て始めたのか知らないが、世界各地に多種多様な言語ができてしまった。もう少し外国語ができたらと思うが、もう時間が残っていない。せいぜい洋画で字幕を見ながら言葉の響きを味わう程度だ。それでも言葉の響きにとても興味がある。文法ではなく音や抑揚から言語に迫った研究はどの程度進んでいるのだろうか。偏見(卓見?)だが、亜熱帯の言葉には動物の鳴き声に似ているものが多い気がする?。美女にはあまり似会わない。

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経済学の不思議

2016年08月28日 | 政治経済

                   

 経済学を殆ど学んだことがない。学んだことがないと書きたいが一コマ取っていたので、殆どとした。新聞やテレビを見るとエコノミストと呼ばれる人達がいろいろ書いたり言ったりしている。素人の私が読み聞きすると、なんでこれほど意見が違うのかと理解に苦しむ。群盲象をなでるということなのだろうか?。とすれば象は本当はどんな形の動物でしょうかと聞きたくなる。

 政治は政治評論家が何を言おうと私にも概ね理解できる。いや理解できていないと政治学者は反論されるかもしれないが、それは政治家も同じだろう。政策の詳細には疎くても政治力学は井戸端会議居酒屋談義から次元が違うほどの複雑さはないと思う。

 尤も、居酒屋では耳を疑うような「安倍は子供が居ないもんで名前を残したくて、ああやっていろいろやっとるんや」などという、肺腑を抉るような聞き辛い発言もある。かなり額の広くなったいい年のおっさんは心底そう思っている様子だった。あんまりと思っても、巷の蠢きには違いなく、世の中を動かす力の一つで、政治のどうしようもない真実の気もする。

 政治経済とひとまとめで書かれ言われることが多いが、できるだけ政治から離れてアベノミクスのもたらすものを経済評論家は解説することはできないのだろうか。素人の私にはマイナス金利は氷塊を素手で手渡するゲームのように見えてしまう。溶けた出た水は農家の田畑を潤すのか、それとも元も子もなくなった氷塊でかき氷を作れなくなった街角の喫茶店は頭を抱えるのか。

 今も安倍首相はアフリカを訪れ、日本を売り込んでいる様子だが、これもアベノミクスの一環なのだろうか、どうも政治経済は連結しているように見えてしまう。分けて解説しろという方が無理なのかもしれない。

 医療の分野では少し前、「説明と同意」とよく言われた。誰もあんまり口にしないが、「説明と同意」の後には「結果と解説」が現れる。本当はで、どうだったと問い答えてもらう必要があるのではないか。

 日曜の朝から妙なことを書き出し、だいぶん脱線迷走してしまった。機関士も年を取った。 

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わかりにくい格差の問題

2016年08月27日 | 小考

                

 格差社会で格差拡大と言われている。どこまで本当なのかは実感しにくい。格差というのは「かくさ」と三音で覚えやすく、差があることだろうと何となくわかったような気になるので浸透しやすく、言葉が先行蔓延している。ところが、言われ出して二年以上経つのに先行する言葉に内容の理解が追いつきそうで、追いついていない。

 それは政府批判に用いられることが多いため、格差はさほどではない是正に動いているという政府側の主張にマスコミが押されていること、人の生活範囲は横に広がっても縦にはさほど広がらないので格差が実感しにくいこと、格差で自分が下の方だと意識するのを避ける人が多いこと、それにきちんとした説明には専門用語や概念が出てきてわかりにくということなどによるだろう。

 誰をも診療する医師にしても、医院の位置する場所によって患者層に偏りがあり、必ずしも格差が実感できるわけではない。生活保護が多く駐車場に滅多に外国製の高級車が駐まることのない私と高級住宅地に位置し駐車場は外国製の高級車で一杯ですよと自慢するM医師では感覚が違う。

 私は経済的にはずいぶん恵まれているはずだが、富裕の定義からは外れてしまう。準富裕層がせいぜいで、東京の億ションを見ると世の中には桁違いのお金持ちが数多いと驚いてしまう。開業医は収入が多そうでも何の保証もなく忙しく働くばかりで、蓄財の才能がないと富裕層まで届かない。一人一人患者を保険診療で診察するのでは、収入はどんなに多くても十倍止まり、手取りは数倍が本当のところだ。尤もこれは盛業の場合で、ほどほどぼつぼつだと収入は多くはなく、アルバイトで当直をしている開業医も居る。

 格差の肝は格にあり、どうもこれには上下というか優劣というかそういう意味合いが感じられるのだが、これをどう捉えるかに差そのものと同じくらい大切な問題が隠されていると思う。私の手に余る問題でも、またいつか少し書いてみたい。

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