駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

好きになった人

2018年10月31日 | 人物、女

          


 好きになった人、都はるみの歌ではなく、梯 久美子さんの文庫本エッセイ集のタイトルだ。梯さんのお名前は栗林忠道閣下の御本でノンフィクション賞をお取りになった時から存じ上げていた。評を読み凄い書き手なのだという印象を持っていたが、私には強く重い本を書かれる印象があり作品を読んだことはなかった。

 何の拍子か、この頃物忘れが出てきて思い出せないのだが、このエッセイ集のことを知りそれなら読めそうと手に取った。そうしてたちまち梯さんが私の好きになった人に加えられた。どちらかというと作品よりもエッセイや旅行記のようなものの方が読みやすく、何度でも読める好みの書き手が何人も居るのだが、新たに梯さんを加えることになる。

 梯さんは私よりも一回り以上年下なのだが、直ぐ年下の妹というか同年輩の感じがした。姉妹と育った環境が違うのだが、どこか微かに向田邦子と通じるものも感じた。どちらにも読んでニッコリの話があるのだが、梯さんの書かれたものには涙腺を刺激されるものも幾つかあった。忘れたくない伝えていきたい人と事象を文章というカメラできっちりと写す能力に恵まれておられる。平成末期になって薄れてきたもの、それは人を思う力の気がしていたが、若い人に梯さんを知って欲しいと思う。

 好きになったのだからいつかお会いしてみたいという野望も抱いた。何度でも読む文の書き手のどなたにも会えていない。自分には愛読する著者が居ると気付いて三十年、故人になられた方も増えた。機会を捉えて、存命の著者達に自分が生きている内に会いたいものだ。

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不釣り合いに感じる求刑

2018年10月30日 | 町医者診言

      

 

 世の中なんだかおかしいと思うことは珍しくないが、元世界女子マラソン代表選手の万引きに対する求刑が懲役1年は重すぎるのではないかと感じた。たかだか八百円程度の食料品でも再犯であることで懲役一年の求刑になったようだが、八億円を誤魔化してもうやむやにしている組織(自責で命を絶った個人は居られる)もあるので、どうも不均衡に感じられ腑に落ちない。忖度犯罪は証明しにくく組織の陰に隠れてしまうので、時の権力側に付ていればうやむやになってしまうらしい。

 身近に感じられない金額、複雑な手口、巧みな言い逃れなどがあると、庶民はまやかされてしまうのだろうか。重税感には敏感でも税の使われ方には鈍感なのに似ている感じがする。

 法律の考え方に詳しくないが、どうも法律は単純小犯罪に厳しく複雑大犯罪に甘いのではないかと感じる。勿論、こうした単純な感覚では捉えきれない込み入った理屈が法の背景にはあるのだろうが、常人の感覚には真っ当なところもあると思う。

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生きているのは当たり前?

2018年10月29日 | 世界

               

 生きている不思議死んでゆく不思議と覚和歌子は謳った。

 命とは何か、分からないけれども分かる気がする。自分にも一つあり一つしかない。分かる必要もない分かるわけがないと言う声も聞こえる。多くの人はそうして生きているのかもしれない。しかし中に命の不思議に生きる人も居る。

 幼い頃から薄々知っていて、今は命はいつかは消えるものと知っているが、しかし、父や母が消えたとは感じない、唯もう一緒に食事をして話をすることは叶わなくなった。

 命は記憶に似ている。記憶は命に似ている。認知症の患者さんを診ていると、記憶力が低下し、まるで家が古びて朽ちてゆくように感じる時がある。隙間風が入り雨漏りがする。けれどもどこか家の佇まいが残っている。

 人間は肉体と精神あるいは心と身体で出来ているように言われるがそれが命というものだろうか。心も病む身体も病む、病む人を診ている医者は命に関わる仕事と言われどきっとすることがある。

 神は細部に宿ると言われる。命も細部に宿りそして全てを含む?。

 秋の夜更けに いつも何度でも 聞いていた。

 

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世界の風向きが変わった

2018年10月27日 | 政治経済

              

 一体何が起きたのか政治経済の世界の風向きが変わった。誰かこれを半年前から読んでいた人が居ただろうか?。居たとすればそれは真に実力のあるジャーナリストと抜きんでた投資家だろう。どちらでもない私は、変容した安倍首相と暴落する株価に唖然とするばかりだ。

 競争から協調への変わり身を習近平氏がどう受け止めているかは測りかねるが、狐と狸だから腹を探り合って妥当な線を見つけると思われる。こういうことには外務官僚よりも安倍さんとその周辺の方が長けているかもしれない。 

 それこそ風が吹けば桶屋が儲かるではないが、この変化の大元はトランプ政治にあるとみる。トランプを支持したラストベルトの恵まれない白人もトランプ自身も思わぬ変化にあれあれと思っているのではないだろうか。トランプはいつも成功は自分の手柄失敗は他人のせいにするのだが、本当にそう思っているのかあるいは批判非難をかわすためにそのように反応するのかどうもよく分からない。

 私の以前の予想ではトランプは政権を全うできないことになっているので、中間選挙で大負けしてついには俺は悪くないと言いながら政権を放り出す可能性はあると思うが、予想よりはうまく立ち回ってきた?ので、世界を更に翻弄し続ける可能性もかなりありそうだ。

 実生活で安倍さんにそうした経験があるかどうかしらないが、本妻と愛人に挟まれた危機を乗り越えられるだろうか?。多かれ少なかれ我々国民にも影響が出てくることなので、お手並み拝見と傍観もしていられない。

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苛めの構造を

2018年10月26日 | 小考

          

 安田さんというフリージャーナリストが解放された。詳しいことは知らないので良かったとしか言えない。

 しかし人質を取って虐待するというような残虐で卑劣なことが、どうしてできるのかと不思議な気がする。人間のどこからそういう行為をさせる感情が湧いてくるのだろうか。確かに私にも子どもの頃、四、五人でS君を苛めた記憶がある。S君は体力的には弱い方だったが成績優秀で特に嫌われているという訳ではなかった。鞄を隠したり水溜りに嵌まらせたりした。自分でもなぜそんなことをしたのか六十年前の気持ちがわからない。授業で困ったり、ズボンが汚れたりで大変だったと思う。本当に苦しめるようなことはしなかった?と思うし、S君が先生に言いつけた記憶もない。唯、我々と距離を置くようになり、自然苛めることもなくなった。卒業する頃には元通り仲良くしていた。今では悪いことをしたなあと申し訳ない気がしている。

 なんとなく気に食わない、イジメて面白いといった気持ちが、こうした苛めの大元なのだろうか?。そうしてそうした気持ちが大人になると捻じれて悪の花を咲かせるのだろうか。言いにくいがこうした卑怯卑劣な行為を行う情動には個人差があると思う。それに遺伝要因と環境要因がどのように絡まっているのか、まだまだ、十分な科学的な解析は出来ていないように思う。精神科医には甘えの構造に続けて苛めの構造を著してもらいたい。

 AIがもてはやされる現代、飛躍して短絡的かもしれないが、科学は平穏をもたらすことができるだろうかという疑問が湧いてくる。

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