駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大阪の朝

2015年05月31日 | 

                              

 昨夜は大阪に来ていたので、地震を感じなかった。関東はかなり揺れたようだ。高層ビルに居た人は倒れないとわかっていても怖かったろう。5強というのはネパールではかなりの家屋が倒壊した震度なのだが、幸い日本では家屋の構造が地震向けにできているのか倒壊した家屋はなかったようだ。小笠原からの距離は関西と関東とでさほどは違わないのだが、これだけ震度に差が出るということはプレートというものが実在する証拠だ。得意?だった地学を信用しないわけではないが、どうも東海大地震予知会議などという怪しげなものを見聞きしてきたせいか、ほんまかいなという気持ちがどこか微かにあった。マグニチュードが大きくても震源が深かったせいか、津波や揺れによる被害が少なくてよかった。

 今週の週刊誌には噴火地震、そして政治の動きを関連づけた怪しげな諸説が出現するだろう。これは地震予知よりも容易で、一臨床医の私にもできる。

 そうした説がすべて怪しいでは片づけられない気はする。大切なのは冷静で科学の心を忘れないことと思う。科学というのは、修正されてゆくもので、学んで考えることを放棄して絶対と信ずるのではない。慌てて付和雷同すると碌なことはない。

 コンクリートの街大阪には毎年、内科学会の教育公講演を聞きに訪れるのだが、少しづつ緑が増えている。今日は曇り空、ビルの合間から鉛色の空が見えている。大好きな街とはいえないが、大阪都構想の夢破れても、二重行政の非効率打破は必要だろう。具体的な内容と実態は知らないが、否決した住民には大きなお世話といわれても、当然責任があると言うておきたい。

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予想通りの結果

2015年05月30日 | 趣味

           

 第73期将棋名人戦は四勝一敗で羽生名人が防衛を果たした。予想通りの結果だ。七番勝負では余程のことがないと波乱が起きない。実力通りの差になった。行方八段ファンには申し訳ないが、行方では羽生に勝てない。ご本人も正直に述べていたように力不足だ。羽生はオールラウンドプレーヤーでこれという欠点がない。人間の試合で必要とされる勝負強さも抜群だ。

 その羽生に白髪が目立つようになり、羽生も中年になったかと感慨深い気がした。大山谷川羽生を知っている自分は運がいい。三人とも直に見たことがある。非科学的なことを言うようだが、オーラがあった。

 羽生は並の棋士よりも香一枚強い。電脳棋士にも羽生ならと思わせるぐらいだ。尤も多少憂鬱なのが、名人戦を電脳棋士が解説したりすることが出てきそうな気配だ。今は将棋連盟がそれを避けていると思われるが、難解なこの局面、電脳棋士ならどう指しただろうかとか、詰みがありそうだがあるかどうかなど、正直電脳棋士に聞いてみたい時がある。人間には思い付かない正解を瞬時に示されては、興醒めかも知れないが。

 現在、羽生渡辺は例外かも知れないが、殆どの棋士は電脳棋士に歯が立たなくなっている。電脳棋士開発者達は電脳囲碁に方向転換しているようだ。もし本気で取り組めば、恐らく2020年にはプロ並みの囲碁ソフトができてくるのではないか。ただ、どういうわけか囲碁ファンは将棋ファンほどコンピューターソフトに熱くならないようだ。 

 囲碁将棋と並び称されるが、これが違う。野球とサッカーくらいは違いそうだ。まあ、語り出せば切りがなく、議論百出で揉めそうなので書かない。空き缶や生卵が飛んできそうであるが囲碁の方が大人とだけ書いておこう。

 

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名優でもなかった

2015年05月29日 | 人物、男

              

  断片的にしかフォロー出来ていないが、安倍総理の安全保障法制特別委員会での答弁を聞いていると、言葉を巧みに操る名優という表現は適切ではなかったと思えてくる。その場しのぎの一般論ではぐらかし、ヤジを批判しながら自らヤジを飛ばし、議論を低俗化させて本論を有耶無耶にしてやり過ごそうとしている様に見える。

 マスコミも正面から議論を深めるように促がさず、答弁の態度とかヤジといった枝葉末節の乱れを取り上げて本道を外れてしまう。そうした取り上げ方が内容のある議論を害しているのに気が付かないのだろうか。

 民主党の岡田さんの言うように、正直正確に高まる危険性を認めてそれでも必要性があるのだと、なぜ正々堂々と議論できないのだろう。一般にとか全体にとかぼやけた答弁ではぐらかし、結局はその時はその場で総合的に判断すると逃げてしまう。自分の支持者は本音を暗黙に理解してくれているから、うるさい野党には一般論ではぐらかした答弁でこの場は切り抜けようとしているのが透けて見える。国民を馬鹿にしている。憲法さえもないがしろにしているように見える。詳らかには読んでいないのだろう。

 お願いや理想論で身を守れると心底思っている国民は殆どいまい。万一の時のために身を守る武器武力は必要と考える人の方が圧倒的に多い。ただ、それを権力者に丸投げで容認しては、間違いが起きるのを恐れている。頭に血が上り暴走しないように憲法がある。その憲法を拡大解釈ですり抜け、国民を正面から説得せずに、一般論でお茶を濁し、枝葉へ目を逸らさせてやり過ごそうとしている。果たしてその程度の指揮官の下に強い真っ当な兵力が醸成されるだろうか、否と思う。日本のマスコミを萎縮させることはできても、海外のマスコミは本音を見破っているだろう。張り子の虎と笑っているかも知れない。

 勢いで指が滑ったところがある。批判しているように見える私も譲れない点が幾つかあるが、全く違う考えを持っているわけではない。それは恐らく民主党維新の会も同じだろう。

  

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受付嬢と話し込む爺さん

2015年05月28日 | 医療

                                                                                        

 当院の受け付け嬢は三十代が二人四十代が一人なのだが、三人ともおばさんの雰囲気はかけらもなく若い。高齢者の男性には、若さ溢れる女性に見えるようだ。

 空いている午後など、七十代八十代の爺さんの中には十分も二十分も彼女達と話をしていかれる人が居る。若いだけの十代二十代と違い、それなりの受け答えが出来るから会話が楽しいらしい。Kさんなど、奥さんはもう十年も寝たきりで、食事を食べさせ下の世話もしている。話し相手と言えばたまに来る娘と猫ぐらいのもので、往診料を払いに来て話し込んで行く気持ちはよく分かる。そういう私も十年往診しているわけだが、往診などたかが七、八分だし、私にはたくさんの気晴らしがあるので比較の対象にもならない。

 家庭で介護をされているのは九割が女性だが、十軒に一人くらい男性が奥さんや母親を介護している患家もある。男性の場合は極端で、やる人は几帳面でしっかりやられるのだが、やらない人は全然駄目で、他人任せになってしまう。女性の場合は八割の方がきちんとやられるが、時々もう一寸きちんとやって欲しいと思う人も居る。旦那はあんまり愛されていないんだと密かにも思うこともある。江戸の敵を長崎で討つこともなかろうにと同情したくなる。                                                                                          

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星空を眺める

2015年05月27日 | 自然

       

 満天の星を飽かず眺めて、太陽系を見出すことが出来るだろうか。恒星と惑星を見分けることは出来そうだが、その動きの違いを合理的に説明する理論を見出すのは凡夫にはできそうにない。ティコプラーエとケプラーは凄いなあと思う。

 平成の人は夜空を見上げることが減ったような気がする。残念ながら都会では天の川を認識するのが難しくなっている。六十年前は岐阜の市街地でも天の川を見ることが出来た。シリウス、ベガ、アルタイルなどいくつか一等星を憶えた。今でも人里離れた山奥に行けば、満天の星に感動することが出来る。地球が宇宙に浮かぶ小さい惑星であるのを実感できる。それは多分、太陽系や銀河系といった知識を持っているせいだろう。

 電灯のない昔の夜は暗く、星降る夜が数多くあったはずだ。万葉の人達は月や星をどのような存在と理解していたのだろうか。三笠の山に出でし月かもと詠んだ阿倍仲麻呂の気持ちは痛いほど分かる。仲麻呂は同じ月であるのを知っていたわけだ。

 都会の子供に田舎体験をさせるような学習が行われているらしい。勿論、それに何某かの効果や意味があると思うが、満天の星空を見上げさせるのを忘れないで欲しい。星空に見えるのは星だけではない。

コメント (2)
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