駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

雨の朝アスファルの上で

2009年06月30日 | 自然
 「雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな・・」。と歌っても、今の人は蛇の目の何たるかを知らないだろうな(蛇の目は和傘の一種で、開くと蛇の目模様が出る洒落た傘)。
 今朝は本降りで、蛇の目ならぬ安物の透明傘で右肩を濡らしながら出勤した。どういうものかアスファルトの道路上に何匹もミミズがお出ましで、よたよたと移動を試みていた。ミミズは炎天や大雨になると、無謀?にも移動を開始するようで、干涸らびたり、ふやけたりした死骸をよく道路の上に見かける。
 ミミズの生態を知らないので、なぜ天候が変化すると住み慣れた土の中を離れ移動を開始するのかわからない。避難しているのか、別天地を求めているのか、あるいは方向感覚が狂って迷い出たか。いずれにしても、所期の目的を達成できないようで残念なことだろう。もう次世代を残す仕事は終わっているのだろうか。アスファルトの上で死んでは、蟻や鳥の餌にならず、流されてしまうことも多いだろうが、いずれどこかで微生物によって分解され、生物の循環に組み入れられていくはずだ。おそらく、本人いや本ミミズとしてはアスファルトの上の往生では往生こいたと無念の最後だったろう。
 ミミズは土壌に対してよい影響を与えると聞く。ミミズの一生を研究すれば、地球の生態系へと繋がる知見が得られるだろう。この頃人類のやっていることに対するミミズの意見も聞いてみたいところだ。きっとはぐらかしでなく、有益で真っ当な答えが返ってくるだろう。
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看護師の仕事から

2009年06月29日 | 世の中
 今は看護師と呼び方が変わったが、我々の年代では看護婦さんが耳に馴染んでいる。看護師は医師に比して数も多く、身近で親しみやすく、その仕事内容は理解されているように見えるが、実際はそうでもないと思う。
 世に嫌がられる仕事の条件に3Kが挙げられる。きつい、汚い、危険だ。まさに第一線で働く看護師の業務内容は3Kそのものだ。テレビで人間模様にスポットを当てたドラマが放映され、看護師世界の組織や女性の生き方の側面の理解は進んだようだが、仕事の内容の理解は不十分に見受ける。
 総合病院勤務では月に何日も徹夜勤務があり、それもほとんどが座る暇もなく、点滴採血下の世話まで、目が回る忙しさだ。それを不平も言わず、笑顔に包んでこなしてゆく人が多い。
 男の患者さんに深夜勤のある人達がおり、朝早く受診されると夜勤で大変とこぼされる。楽ではないと思うが、聞けば仮眠も取っている。看護師の夜勤では朝早く受診することは不可能で、深夜明けの彼女達は昼近くになって帰途に着くのだ。もちろん二十年三十年前に比べれば勤務状態はいくらか改善されていると思うが、3Kは変わっていないと思う。
 私の収入は世間一般から比べれば多い。数多くの患者さんを診ての実働に対する正規に決められた報酬なので妥当と考えているが、総合病院の医師や看護師さんと比べれば多すぎる感じがする。勿論、実働日に数時間で、肩書きと経歴に物を言わせて、年収一千万を超すおじさん達と比べれば、決して多いとは思わないのだが。
 雑駁で乱暴な議論だが、日本社会の給与賃金体系は洗い直される必要があると思う。市場原理主義の反省が喧しい。確かに市場原理は駆動力は強いのだが、既得権と権力側に有利なポジティブフィードバックが掛かってしまい、配分が偏るきらいがある。是正のセイフテイネットの強化は必要だが一網打尽に掛けるのでは意欲を削いでしまう。
 一億の総意などというものは虚妄に過ぎない。民主主義では漸進的補正のみが可能だろう。それも政権交代によって漸く初めて僅かに実現できるもののようだ。
 看護師の激務から連想した町医者の単純な正義感?からの思いつき発言など、複雑な社会経済の知識の裏付けもなく、笑止千万かもしれないが書いてみた。
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あれ偶然かな

2009年06月28日 | 身辺記
 木村一樹八段が棋聖戦で羽生名人に一勝どころか二勝してしまった。ひょっとして、念力が伝わったのかな(なっちょらん参照)。実力はあるので、一皮むけてタイトル奪取もあるか。

 どうも週間天気予報はなかなか当たらない。今週末の天気を気にしていたのだが、毎日予報が変わるので、降っても照ってもどちらでもよいように用意をした。
G氏曰く、「気象庁はいいなあ、所により雨だなんて、俺のところで作るネジは時々うまく合うというんじゃ返品だぜ」。S氏「だって予報は只じゃん」。「そうか?」。
 
 政局もトップが決められない人だと一体何時選挙か何時までもだらだらしてうんざりしてしまう。魔法の壺に閉じこめられた魔王が、救ってくれた人にはどんなお礼をしようかといろいろ考えていたが、何時までも誰も助けてくれる人が現われないので、最後には助けてくれたやつには呪いを掛けてやろうと、気が変わる話があった。(これは女性の気持ちに似ている?)。
 さて,のばしのばしでうんざりがどう出るか。
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じわり効く教授の話

2009年06月27日 | 診療
 教授の話は親の話に似て、後から効いてくる。生意気な学生だった私(我々?)は、名誉教授の特別講義と最初の内は禿頭を見つめながら身を入れて聞いていたが、古色蒼然の昔話になんだこれは、あんまり科学的じゃないなあと眠くなったものだ。
 患者の顔をよく見なさい、話をよく聞きなさい。ぐっと睨めば当たりが付いて、話を聞けば8割方診断は付くものだ。本当かなあと言うのが正直の感想で、昔はそうかも知れんが今はなどと、生意気に見当違いの考えが頭をよぎったものだ。
 それが今は、回ってくる研修医に同じ事を言って、彼らの顔に浮かぶ表情に昔の自分を思い出している。ただ、今の研修医の方が素直で目を輝かせて感心してくれる若者も居る。果たしてその方がよいのかどうかわからない。素直であることは良いことだが、若者に生意気さは付き物だと思う。町医者はしょうもないことを言うと思われても腹は立たない。
 先輩が若気の至りをそうやって見逃して呉れたと、今頃気付いて感謝しているからだ。
 しかしこの顔をよく見て話をよく聞くというのは、病気の診断だけでなく、その人の診断にも役に立つと思う。
 品性と能力、本当は政治家にこれが求められるはずだったのだが。浜の番長や宮崎のセールスマンの顔をじっと見て、話を吟味すると品性!と能力?に疑問符がつきそうだ。
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機を見るに敏は

2009年06月26日 | 世の中
 なんだか瓢箪から駒ならぬ、総理が出る時代になった?。総理の価値も落ちたものだ。人気さえあれば、誰にでもできる仕事というのだろうか。
 人気があればよいというなら、面長の猿面で素知らぬ顔して大衆心理を読む?宮崎のセールスマンよりも、ハンサムで若々しい木村拓哉や頼れるいい男高橋英樹の方が何倍も良いのではないかと思う。
 しかしなんというか、厚顔無恥で機を見るに敏が第一に求められる政治家の資質?とは恐れ入った。どうもこれは日本だけの現象ではなく、長靴の国やエッフェル塔の国辺りでも表出しているようで、権力の不思議に戸惑い、民主主義の危うさに戦いてしまう。
 「巧言令色、少なし仁」に似せて「機を見るに敏、少なし誠」とでも詠みたい。
 なんだか大衆に人気のあると自負する首長が集って、応援する政党を表明しようなどという動きがあるらしい。どうも筋違いだ。色男気取りの男はいやらしい。主権は国民にあり、誰がなんと言おうと国民一人一人が冷静によく考えて自分の判断で投票する。本来の仕事を忘れて豹変する突然の応援団につられて投票すまい。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」に似た「政治の正体見たり電気猿芝居」の様相、見巧者は騙されない。判断材料や知識の足りない方は、木戸銭返せでは済まないことになりかねないので、衛星放送、複数社の新聞、ネット情報の活用をお勧めする。
 町医者が出過ぎたことを申し上げたか。 
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