駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医院の百葉箱

2018年07月31日 | 診療

 

 我が医院の職員用のトイレは孤立しており、冷房が効かない。おまけに西日が差し込む。よせばいいのにと思うのだが、看護師や事務は面白がって?、温度計を置いている。「ヒャー38Cよ」という歓声?が聞こえる。辛そうではなく楽しんでいるようで、トイレに冷暖房を利かせていない院長はちょいと肩身が狭いのだが、熱帯のトイレ事情を経験してもらうのも一興と知らん顔をしている。しかし、今度来る研修医は確か女医さんだったな。S医院の研修はどうだったと聞かれ、トイレで大汗を掻きましたと言われたらまずいな。

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目まいの訴えの背後に

2018年07月30日 | 診療

    

 台風一過、夏空が戻り蝉が喧しく鳴いている。とは言ってもまだ九州西部に居座り雨を降らせているようだ。一体どういう台風なのだろう。通常と逆コースを辿っているようで、予報官に日本通過の軌跡だけを見せればよくある秋台風ですねと言われそうだ。何だか六十数年の記憶と経験が役に立たない世の中になってしまった。

 めまいには天井が回って歩けない本当のめまいと、何だかふらつくふわふわするめまい感の二種類があると習った。今の教科書にもそう書いてあると思う。めまいは耳鼻科や神経内科の領域の訴えとされているが、実は市井の内科日常臨床では非常に多い訴えだ。そのほとんどがめまい感で、なかなかすっきりした診断に辿り着けない。大学病院や総合病院に精査を依頼すると型通りの検査をして心配なものではありませんとか自律神経失調でしょうと返されてくる。確かに命を取られたり寝たきりになるようなことはないのだが、心配ないと言われてもめまい感は消失しない。心配ないそうですよと言いながら、今日はどうですかと経過を診るうちに軽減することが多い。しかしながら何かの拍子にぶり返すこともしばしばで、診療と言うよりはお守りをするような感覚で診てゆくことになる。

 何を大袈裟なあるいは考え過ぎと言われても、こうしためまい感を訴える人達が感じている感覚にはどこかロカンタンの感じた不快感不安感に似ているものがあるのではと診ている。若い時に途中まで読んで投げ出したサルトルの「嘔吐」を理解できているわけではないが、生きている不安定さ不安感がこうしためまい感に関係しているのではと思っている。

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台風前で暇田医院

2018年07月28日 | 診療

  

 台風が予想よりも更に左カーブを切って紀伊半島に上陸しそうな予報が出ている。当地は進行方向の右半分に含まれるのでかなりの雨風を食らいそうだが、現在は陽が差して雨もなく風もさほど強くない。しかし、木の葉の揺れ方が乱雑で確かに台風が来る感じがする。なんとなく不穏だ。患者さんは外出を控えているらしく、医院は開店休業状態で診察時間にブログが書けてしまう。

 台風の予報が出ていなければ、この程度の天気なら患者数は減っても一二割なのだが、今の所半分以下だ。終了間際に駆け込む人も少ないだろうから、二十人行かないだろう。開業当初は患者数が少ないと胃が痛くなったが今は全く気にならない。こういう時は大抵は書類を書くのだが、今日は医師の意見書や訪問看護の指示書も溜まっておらず、ブログを書き始めた。看護師共は三人で円陣を作り話しに花を咲かせている。

 よくこういう時は重症患者さんが来ると言われるが、そんなこともなく用心深いお婆さんが約二名、何だか風邪っぽい、台風が来るからと来院されたくらいで、逆に平穏無事に終われそうだ。

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本物を捜す

2018年07月27日 | 町医者診言

naosu   

 台風十二号が週末に関東地方に上陸すると予想されている。いつもの右に曲がって逸れるのとは違い、異例のコースだが左に曲がるらしい。今までの常識では考えられないコースだが、常識が通用しない気候になり、しかもコンピューターを駆使した天気予報は当たるようになっているので、首都圏は警戒備えが必要だ。

 官邸は羹に懲りて膾を吹いているようで、会議や根回しを首相動静にも載せず極秘で行っていると報じられている。西日本豪雨の最中の赤坂親睦会が漏れて批判を浴びたために、支持率対策に敏感な首相周辺の深謀短慮が働いているらしい。

 野田総務相がいい年をして未熟と言うか、政治を私物化するような情報漏洩をしていた。骨のある発言もしていたが、もう一つなのが露呈した。二世三世議員は常識がなく政治の私物化が目立つとまで言いたくなる。そこへ行くと上川法務大臣は常識があり肝が据わっているようだ。岸田氏や野田氏よりも、こういう人に重い責任を担って欲しい。なりたい人よりもなって欲しい人。

 オウムの死刑囚の死刑が全て執行された。コンマであってもピリオドではない。この事件を粘り強く追い、考え続けてきたジャーナリストも居るし、何よりもいまだに後遺症に悩む被害者も多い。一体何だったんだといつまでも問い続けたいし、その時々に記録考察が報道されてゆくことを強く望む。

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外国で働くこと

2018年07月26日 | 小考

  

 先日BSでフランスイタリアで星を取った日本人シェフの話を放送していた。それこそ星の数ほどフランスイタリアへ料理の修行にゆく日本人は多いだろうが、現地に根付いてミシュランの星まで取るのは並大抵のことではないと思う。彼らが優れた調理技能を持つのは当然だが、もう一つ際立っていたのはフランス語やイタリア語に堪能なことだ。

 コックさんは一般的に、職場環境に依るのか腕に言葉は無用というのか、外国語が苦手な人が多いようで、フランスで三年修行といっても、フランス語は片言の人が多いと聞く。それがフランスイタリアで星を取るようなシェフは、淀みなくフランス語やイタリア語を話し、お客さんと丁々発止の会話をしていた。

 言葉が先か星が先かと言えば、言葉が淀みないから星が取れたように推測する。譬え二言三言でも、客と当意即妙の遣り取りができれば、客の心を掴みやすいし料理にもそれが反映されるだろう。

 政府は東南アジアから介護要員一万人の導入を打ち出した。現内閣の常套手段である付け焼刃で、便宜的な戦略と見えてしまう。十年前、看護不足が問題になった時、そんなのはフィリピン人の看護師を育成すればよいと視察に行った自民党議員、何を見てきたのかは知らないが、さっそくフィリピン女性を看護学生として受け入れた。ところが目論見は外れ、国家試験の合格率が2%という惨憺たる結果に終わった。当たり前と言えば当たり前、日本の看護師国家試験は日本語なのだ。英語の解答もよいことにしようなどという姑息な解決策を考えたようだが、どうなったのだろう。とにかく市内にはフィリピン人看護師は一人も居ない。

 では介護職なら日本語が出来なくてもよいだろうか、そんなことはないと思う。人口減少に歯止めがかからず、3Kの職場は人手不足でにっちもさっちもいかなくなっている。背に腹は代えられずの苦肉の策で、突然外国人労働者導入を打ち出したが、弱者や恵まれない人にやさしくなかった人が急に猫撫で声を出しても木に竹を接ぐ政策に見える。まったく口先だけ言葉だけ、AさんにはうんざりがK先生の会食での発言だ。

 介護要員として一万人というのではなく、対等な人間としてそれこそ百万人でも東南アジアに限らず、韓中ロシアを含め広く受け入れたらどうだ。同じ人間として受け入れてこそ、言葉を身に付けて本当の力になってくれる人も育ってゆくと思う。

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