駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

四省堂に改名しても

2015年10月31日 | 町医者診言

                  

 信頼性が全てと言っていい業界で相次いで不正が発覚している。しかも名の通ったブランド名の元だ。まさかのフォルクスワーゲンに驚ろき、ドイツも駄目かと思っていたら、肝腎要の日本でも相次いで不正誤魔化しが明らかになっている。三省堂などは名前が泣いている。日本式に申し訳ありませんと頭を下げれば済む問題ではない。

 腐っても電力会社の東京電力が好決算で大きな利益を出していると報じられている。一体、どういうことなのだろう。裾野が広く被害者数に負けない受益者数のある会社は密かに救われる構造が存在するらしい。勿論、血のにじむ経営努力があるのだろうが、血が止まらず亡くなった人をあがなうことはできない。たかだか数年で遠い昔にして、痛みや苦しみをセンチメントに落とし解消しようとするのは日本の知恵なのかも知れないが、実務では欠ける部分が出てくる。

 賄賂がはびこり、誤魔化しが日常化していると聞く中国とどれほどの差があるのだろうか。不正誤魔化しの数や率は我が国の方が格段に低いのだろうが、是正のスピードでは負けているような気がする。今に崩れ長期低落と観測する向きも多い中国が、十数年後には復元し大きな力を持つようになり、何時までも安陪式を憶えているという可能性もありそうだ。

 優れた草の根の技術、丁寧で誠実な対応などなど、日本に良い所は数多いのだけれども、目先小手先でまやかし抜本的な改革を避けてしまう悪癖も多い。悪を善で帳消しにするのは難しい。広い角度から問題を直視して、本当に優れた道を選んで行く力を付ける必要がある。町中で患者を診ているだけの者に何が分かるかという批判があると思うが、そうした感覚がより良い道を見つける思慮を妨げているように思う。

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980円の政治

2015年10月30日 | 政治経済

            

 このところ雨がなく好天が続いている。農家の人は一雨欲しいところだろう。尤も九月にたくさん降ったから、森林の水保持能力が十分あれば干ばつということはないはずだ。季節の変わり目で多少風邪が流行ってきたが、過ごしやすい季節で有り難いと言われる患者さんが多い。自分も朝駅まで歩くのがとても楽に感ずる。

 管官房長官がグアムに出掛けた。在沖縄海兵隊の五分の一がグアムに配置換えになるのを視察する為だそうだ。官房長官が海兵隊の移転を視察しても殆ど何の意味もない。米軍は迷惑なくらいだろう。本当の目的は沖縄の負担軽減に心を砕いているというのをアッピールするところにある。これは私の解釈ではなく、読売の報道だ。身内にも見え見えなのだが、それでも、何某かの効果があるらしい。

 戦争法案というレッテルを貼るなと積極的平和主義というレッテルで押し進んで来た人が怒っていた。いずれにしても、そうした目眩ましの喧伝が有効なのが政治というものらしい。三十分立て板に水と話して、中身は小ぶりの海老二匹であとは衣ばかりでも、行列が出来れば勝ちの世界なのだ。980円でお値打ち感を出すスーパーマーケットと同じ仕組みと見える。

 当医院はインフルエンザワクチン3900円でやってますという先生は居ないだろうな。尤も、内科医会の会長が私は3800円にしたよって言っていたからなあ。ちなみに私の所はお釣りが要らないように切りよく4000円にしている。

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いくつになってもある学び

2015年10月29日 | 医療

           

 学会誌や医学雑誌に目を通すと新知見が幾つか目に入ってくる。もうよく分かっているつもりの分野でも、そういうことがあるのかとか成る程といった学びがある。新しいことが見つかれば、それに伴って未知のことが増えるという側面もあるし、日常気が付かない誰も注意してくれない分野は本を読んだり講演を聴いたりして初めて気が付くわけだ。

 何万人もの患者さんを診てきたから、トラブルに対する対応や要注意人物を見分ける能力は身に付いていると思っていたが、最近読んだ心因性の愁訴を解説した本で指摘されている、言わない方が良いことしない方が良いこと、には知らなかったことが数多くある。指摘してくれる人がいないので、自分ではきちんとやっているつもりになっていたのだ。

 鬱の人を励まさない方が良いというのは知っていたが、他にも心因性と言われる愁訴に対する対応では、幾つか避けるべき言動があるのを知った。まあ、そうした適切な対応を患者を甘やかしていると感じたり、不適切な対応で受診されなくなれば、その方が楽という感想を持つ医師も居るだろう。

 数十年前、社会現象にまでなった甘えの構造も関係している分野だと思うが、甘えの構造の咀嚼深化は不十分なまま忘れ去られている?ように感じる。残念ながら、一般内科は精神科と連携がさほど良くなく、相互理解が不十分なせいもあるかもしれない。

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距離の二乗に反比例

2015年10月28日 | 小考

            

 痛みや辛さはというと分かり易いが、もっと一般的に影響の強さは距離の二乗に反比例すると見付けた。何だか物理現象に似ているが、人間の心の動きにも成立する現象だと思う。多くの大人は気付いておられるだろう。

 物理と違って人間の感覚は親密さで距離が修飾される。太平洋を挟むアメリカよりも数百キロの海を隔てただけのロシア中国の方が離れて感じられる人は多いだろう。

 いずれにしても心的距離が人間の感覚行動に大きな影響を与えているのは間違いない。微妙で生々しい問題だが、沖縄が伊豆大島や佐渡の距離にあれば全く違う展開になっているだろう。其処まで近くなくても、殿様が居て参勤交代するような歴史があれば、異なった事態になっているのは間違いなかろう。まあ、不都合な真実を伏せるのは時の権力の常套手段で、たらればと相手にされない。

 こうした心的距離が大きな意味を持つのはある意味自然で、生き延びてゆくのに必要な本能的なものだと思うが、いつも「それでいいのだ」とは思えない。世界は広いし物事はそれ程単純ではないのが事実だからだ。一言では言えないこと、黒白では決着の付かないことを尊重し時には受け入れることが出来ないと間違いが起こる。

 交通事故には誰しも気をつける。冤罪だって、実は他人事ではない。交通事故死が減らせたように、冤罪も減らせるはずだ。関係ない遠い世界の出来事ではあるまい。シリアからシルクロードを歩いては来れないが、高々数百キロの海は舟でも渡って来られる。時には「これでいいのだろうか」とバカボンのパパに言ってもらいたい。

 

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交渉に長けていても

2015年10月27日 | 世の中

          

 在宅医療が推進されている。住み慣れた自宅で療養するのを押し進めるのは大変良い施策と思われる方の多くは在宅医療の経験のない方だろう。在宅医療の経験があってなおかつそう思われた方は、苦労が報われる体験がおありだったのだろうと推察する。

 あの世とは携帯が通じないので肝腎の亡くなられたご本人の感想が分からない、果たして本当に良かったかどうかの統計は存在しない。唯、最も私的な出来事である死を住み慣れた場所で家族と迎えることを生前に望む人は多いだろう。

 では果たしてそうした理由で在宅医療が勧められているのだろうか、それだけではなく医療経済的な側面も大きいのが本当のところだ。それについては専門書をお読み戴きたい。

 在宅医療では家族の介護が欠かせず、その負担はかなり大きなものになる。訪問看護師や医師に頼めばそれで済むものではない。当院の周辺には往診する医師が少なく、特に飛び込みの往診を受ける医師は皆無に近い。先日、父親が末期癌で在宅で療養したいという娘さんが来られた。私が誰でも往診し評判が良い?などと褒めそやし、なんとか往診をお願いしますとしきりに頭を下げられるのだが、よく話を聞けば自分は仕事があるし家庭を持っているので介護はできない、年老いた母も、とても介護が出来るほどの元気はないとのことで、どうも在宅の介護力が不足していると思われた。ヘルパーさん、訪問看護師さん、往診だけでは難しそうな印象を受けた。娘さんは、往診などは週に一二回診察するだけで、介護には大して役に立たないのをご存じないようだ。とにかく往診する医者を見つければ魔法のように在宅療養が何とかなると錯覚されている感じがした。

 口を使う頼み上手も素晴らしい能力だが、在宅医療は口べたでもどんどん手が出る人が居ないと不可能なのだ。上手く頼み込み、あとはお任せしてありますからという人にはご用心。

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