駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ソースをかけないで

2010年09月04日 | 政治経済
 給仕が運んできたカレーに勝手にソースを掛けてしまうのに、岩波の小林勇が呈した苦言だ。似たようなことを政治評論家や政治記者と称する人達がしている。
 政治と金は等しくすべての政治家にある問題で、しかもその評価は簡単にできるものではない。あたかも固有の問題が存在するかのように使われるのはなぜだろうか。
 数を力に仲間の面倒をみるのはけしからんという人は人間と歴史を知らない。その是非と功罪は玄妙なもので、深い考察と十分な言葉を尽くして初めて少しのことが言える。単に人を攻撃するために使えば、自分では良くて相手では悪いのが見え透いて自分に跳ね返ってくるだろう。
 こうしたことを書くと誰かを擁護しているように取る人が居られるだろうが、そうしたつもりはない。甘い夢を見るほど若くはないし、人間の色々な側面を知る年になっている。
 テレビのキー局や大新聞の政治記者となれば、幅広い教養と優れたバランス感覚の持ち主のように思っていたが、井戸端会議や居酒屋談義を出ないのに驚いている。よほどネットで飛び交う意見(熱が入り贔屓の引き倒しも多い)の中に公平で洞察に満ちたものがある。
 もっと冷静な成熟した言説が行われることを強く望んでいる。人を非難しよう貶めようと走り回る人達はきちんとした自分の芯をもっているのだろうかと厳しいことを言いたくなる。気に入らない人を攻撃するという行動規範を失っても自立できる内容をお持ちなのだろうか、私は少しも偉くなく意見する資格もないが、地に塩をと願う。 
 
コメント (2)
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