駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医療の本質を継ぐ

2011年12月31日 | 町医者診言

     

 医療はテクノロジーの進歩と共に格段の進歩を見せているが、医療を支える精神は引き継がれ漸進するものだと思う。医療過疎地域で診療に勤しむ自治医大出身の医師達、「時空を越えて」に書かれている都心のクリニックを主宰された医師、彼ら彼女らの心にあるものは連綿と引き継がれてきたものだと推測する。決して木に竹を接いだり思いつきで突如出てきたものではないだろう。目を見張る科学技術の進歩にたじろがず、人間として立ち為すことが今もこれからも大切だと思う。

 人を取除けてなおあとに価値のあるものは、作品を取除けてなおあとに価値のある人間によって作られるような気がする・・・ 辻まこと

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経費削減に提言

2011年12月30日 | 政治経済

 研修医は医療過疎地域での研修が義務づけられている。彼らから山奥や漁村の診療所(自治医大出身者が殆ど)での情報を聞いて、市中の町医者は恵まれていると感じた。もとより何に仕事のやりがいを見出すかは人によって違うが、収入、子弟の教育環境、生活の利便性からは市中の医師が恵まれていると言える。医師会の会合では医療費抑制や競合施設増による収入微減の不平や不満を言い募る医師も居られるのだが、それは視野が狭いというものだ。自治医大出身者の仕事環境を思い浮かべたい。

 仕合わせは勿論だが、不仕合わせも分かち合うのが、社会に生きる人間の智慧であり心得でしょう。医療費を出来るだけ質を損なわずに抑制するのは赤字大国では当然の選択だ。そして、それは可能だと経済非専門家の医者の私でもわかる。ただちに明日からでも5%の医療費は削減できる。きちんと洗い直せば10%の削減も容易に可能だと思う。

 私の患者一人当たりの平均保険診療点数は百人中七十番前後(市内の開業医)である。専門性や患者層によって、ある程度バイアスがあるので、比較は簡単ではないが、私の診療内容は百人中三十番の医院と比して決して引けは取らない。これは診療側からの医療費削減分析に役立つはずだ。逆に患者側からの医療費削減策の参考を提供すれば。私が診療していて、なぜこんなことで何度も受診するのかあるいはどうして高額な検査をするのかという患者は受診する患者の10%は居る。頭が重いからMRIを撮って貰ったという高齢者。どうしてそんな検査をしたのと聞けば「隣の誰々さんも撮った。異常がないと分かれば安心するでしょ。安心料と思えば安いわ」。と言う。安いと言っても一割あるいは三割の負担で残りには公費が使われている。脳ドックを受診してご覧なさい。懐が痛んで頭が重いのは吹き飛んでしまいますよ。

 こうした一見容易に出来そうな医療費削減を阻んでいるもの(勿論医療費だけでなく殆どの経費削減に共通)、それは困難な公平性担保と個人的欲望制御であろう。更に、この具現を一層困難にしているものは手続きの煩雑性と道徳規範の拡散だと思われる。

 どうすればよいか。野田首相のお考えは如何なものか、お聞きしたい。

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駆け込み危ない

2011年12月29日 | 町医者診言

 駆け込み乗車は止めてくださいは、電車に乗ると必ず耳にする言葉だ。

     

 今日は今年最後の診療日。何人も駆け込み受診があった。最終日は込まないのだが、初診や重い疾患が多い。言いたくないけど、喉までなんで今日まで放置していたのという注意叱責が出かかる。

 一週間前から腹が痛くて便が黒いおっさん、赤血球が二百万で血色素が7g。あんた血が半分に減っているじゃない。39Cの熱が四日前から下がらない。喉が痛くて食事が取れないお嬢さん、鏡で喉を見て御覧、扁桃腺が腫れて白苔が一杯付いているじゃないか。

 この暮れに放置したために悪くなった病気を送り込まる病院は大変だ。当直医は眼を回しているだろう。本当に御苦労さまです。

 民主党離党も選挙資金の関係?で年末駆け込みとの報道がある。何処まで本当かは分からないが、そうとすれば安っぽい。

  年末に離婚、宮崎あおいは熟慮の末と。駆け込みではない残念な結末、そっとしておいてやりたい。

 年末年始、振り返りながら行く手を思う時節、心静かに過ごしたい。

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私の作法

2011年12月28日 | 身辺記

          

 暮れになるといろいろな物を頂く、若い頃は純粋で一時固く辞退していたこともあったが、全て断り切れるものではないし、断ると気分を害される患者さんや家族もおられるので、そのうち受け取るようになった。勿論、戴く物は、常識範囲の物で殆どが福沢諭吉一人以内だ。

 常識を越えた物はお返しするようにしている。常識以下のものは殆どないが、豆菓子をどうぞと戴いて、お茶請けかなと受け取ったのだが、翌日寄った新装開店のラーメン屋の景品だったのが分かった時はさすがに、いい気はしなかった。

 それと初診時には決して受け取らないようにしている。診療した後に何らかの気持ちの表れとしてお受け取りするというのが作法だと思う。

 戴いたからどう戴かなかったからどうということは一切ない。どのような立場の人にも同じように接することはこの仕事の鉄則で、それは出来ていると思う。唯、相性というものはあり、患者さん側が感じるように我々も内心ではやりにくい人やりやすい人がある。これは人間である以上避けられないことだと思う。勿論、そういう患者さんにも診療では出来るだけのことをさせて戴いている。そうしているうちに、やりにくい患者さんもいくらかは打ち解けてくることが多い。その他に、相性以前の常識外れで、どこか他の医院へ行ってくれないかなと秘かに思う患者さんが数名居られる。こういう患者さん達は後味の悪さと気疲れを置いていかれる。

 戴いた物は職員みんなで分けるようにしている。診療は私一人の力で出来ているわけではなし、老夫婦よりも若い従業員の家庭の方が有効に消費活用出来ると思うからだ。

 

 

 

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誇り高き女

2011年12月27日 | 世の中

     

 リンクを張り、いつも読ませていただいているハバネロさんのブログに酒田方言カルタが紹介されていた。患者さんに鶴岡から嫁に来た婆さん(Mさん)が居るので、早速これはどういう意味だねと聞いたところイントネーションが悪いのか、わかんねえと言う。「これ酒田の言葉なんだけど言うと」。鶴岡の言葉は特別丁寧でうちのお殿様は偉い人で、酒田なんぞとはと、どうも酒田の人が聞いたら怒りだしそうな説明が飛び出してきた。故郷を離れて五十年、どうも聖域に踏み込んだようで、「ああ、そうなんですか」。と引き下がったことだ。

 誰も心の奥に大切な誇り高き領域を持っている。遠く故郷を離れ、肉親の不幸に何度も会わねばならなかったMさんに故郷鶴岡は比類なき宝物のようである。

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