駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

年を取ること

2010年02月28日 | 小考
 町を歩いていてあれ親父に似た人が居ると思うとショウウインドウに写っている自分だったりする。顔はどちらかといえば母親似なのだが、歩き方や体つきが親父に似ているので、よく似た人がいると勘違いしてしまう。
 ああ、自分も年を取ったと自覚するのだが、自分と同い年の頃の親を思い出すと、どうしても親の方が年上というか大人だったと感じる。これは私だけの感覚だろうか。父や母も祖父や祖母に対してそんな気持ちを持っていたのだろうか。
 五十年前の百年前の大人を知らないので断言はできないが、何となく周りを見渡すと現代人は年を取ってもどうも成熟していかない人種が多いのではないかと思えてしまう。
 成熟する前に惚けてしまうのも遺憾な話だ。この辺りのことをもう少し考えてみたい。本が書けるほどの内容ある問題で手に余りそうだが、年を取りながら年を取ることを考えてゆきたい。
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よくやった

2010年02月27日 | 町医者診言
 マシーンのように正確、女王のように堂々と完璧。キムヨナは強かった。名は体を表し、金はキム。端倪すべからざる女性と讃えたい。
 真央はよくやった。それ以外の言葉が出ない。涙にも笑顔を忘れず、輝く銀だ。
 安藤美姫も鈴木明子も素晴らしかった。順位を越えて賞賛に値する。胸を張って堂々と帰っておいで。これからも堂々と生きて行ける。たぶんそれが一番大切なこと、それを手にした。
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月に暈、質問責任を思う

2010年02月26日 | 世の中
 昨夜喘息の講演会からの帰り道、空を見上げると月に大きな暈が掛かっていた。怪しげで幻想的な光景に暫し立ち止まっていた。子供の時、初めて月の暈を見て驚き、祖母に急いで報告したのを憶えている。実際的な感覚の持ち主であった祖母は驚きもせず明朝は雨だよと教えてくれたきりであった。確かに今朝は雨で傘を差して出掛けてきた。
 日本国の周りにも暈が掛かっているようだ。果たして、鳩山豊田と御曹司が霧の暈を払うことが出来るかどうか。
 この一年、お呪いのように唱えられた説明責任も暈のようなものだろう。どうもこの説明責任、日本の政界では説明を求めているように見せて、退場や敗北宣言を要求しているらしい。いくら説明しても玉葱の皮を剥くようにいつまでも納得しない。それは当然で、要求しているのは説明ではないのだ。こうした絡繰りを知りながら、追求する側の尻馬に乗り説明責任を果たせと報道し続けるマスコミには嘗ての無冠の帝王の矜持は微塵も感じられない。
 説明責任を追及する者には質問責任と理解能力が求められる。さもなければ説明責任は単に弱みを握って相手を傷つけることを目的とした追求の別名に過ぎなくなってしまう。このことを肝に銘じなければ、記者の資格はなく、付和雷同の有象無象に過ぎまい。
 嘘をつけと責める人は大嘘つきとしたものなのだ。嘘をつかない人は相手が嘘をついているかも知れないと思っても嘘つきと責めることを考えつかない。本当の嘘(意味と価値のある嘘)がつける実力者は人を嘘をつきと咎めない。愚かしいからだ。墓場まで無言、おくびにも出さないだろう。
 町医者は人を貶めるために咎める風潮にうんざりしている。生き馬の目を抜く世界に、叩いて埃の出ない人がどれほどいるか、いじましい埃の出るあなたは何ほどの者かと聞き返したくなる。
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もうすぐ完成

2010年02月25日 | 小考
 絵の第三作目がもうすぐ完成する。だいたい月に三時間二回のペースだから、一枚に三ヶ月くらい掛かってしまう。たぶんあと一、二回で完成できるだろう。そうしたらきちんと額に飾った処をお見せしたい。
 早く何十号という大きいのが書きたいのだが、なかなか先生のお許しが出ない。次は何を書こうか、何を書けと云われるか。僅かに腕を上げたつもりなので、楽しみにしている。
 通っている教室、生徒さんは三対一で女性(中高年中心)の方が多い。絵を描く人は無口の人が多いと思っていたら、そうでもなく筆よりも口の方が動く方(当然女性群)もおられ、困惑する時もある。絵の楽しみは、目を凝らし黙々と描くところにあるからだ。
 自分の才能というか適性は自分ではもう一つはっきりとわからない。描きたい物を描けばよいのか?、多分先生は何枚か描かせてその辺りを見極めているのだろう。
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フィギュア女子の予想

2010年02月24日 | スポーツ
 冬のオリンピックの華、女子フィギュアスケートがスタートする。キムヨナと日本女子しか知らないのだが、安藤美姫と浅田真央には馴染みがあり自然力が入る。判官贔屓というのか安藤美姫も浅田真央と同じように応援している。鈴木選手は一度見ただけで評価が難しいが、上位入賞は無理そうだ、多分7位くらいだろう。
 フィギュアの点の付け方が分からないので美しさとまとまり(完全性)を見て評価しているのだが、美しさで安藤が、たおやかさで浅田はキムヨナに対抗できると思う。強さというか図々しさではキムヨナが一歩先を行くようだ。
 浅田の手の動きと表情が評価されれば、金も夢ではないだろう。安藤もフィギュア(身体の線)の美しさが評価され、吹っ切れた演技が出来ればメダルが取れると思う。相手の失敗を願うのは楽しくないが、キムヨナは完璧さがつまらなく見えれば金に届かないと思う。
 意外に大切なのは服装だ。ちゃんと彼女達のフォギュアを考慮して生かす装いができているかも鍵だと思っている。安藤には黒赤か黒金でシンプルに腰の線を生かす。浅田は下品でないピンクにオフホワイト(淡いグレイ)をあしらい、肩から腕の線を生かすことだ。はっきり言って加熱の応援は応援にならない、かえって邪魔になると思う。彼女達がメダルに届かなかったとすれば、スポーツでも報道陣の分別の無さが災いしたと今から申し上げておこう。
 安藤が銀か銅、浅田は金か銅。真央スマイルで金だと良いが。何だかいつも結局女子の方がつおいのだ、日本の場合は。
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重症感を感知

2010年02月23日 | 診療
 内科学の教科書を読むと、それこそ病気が何百も詳述されている。言及されている疾患まで入れれば千を超えるだろう。医学生はそれを読み、さぞかしいろいろな病気の人が内科外来を訪れるのだろうと恐れ身構える。確かに大学病院ではかなり幅広い疾患の患者が訪れるのだが、町医者では95%はよくある病気(神経症、咽喉頭炎、胃腸炎、高血圧、糖尿病、筋肉痛など)で、しかもしばしば実際の病気よりも患者の不安や心配が先行した針小棒大の訴えで表現される。比較的稀な5%、これも教科書的には決して稀な病気ではなく、心筋梗塞、肺炎、肺癌、胃潰瘍、胃癌、胆嚢炎、髄膜炎・・・といった重要な病気だ。そのため、医学生と逆に町医者はよくある病気を先ず心に浮かべ、やや訴えを過小評価する傾向がある。頻度からアプローチすれば早く正しい診断に至る確率も高いのだが、過小評価から稀な重大疾患を見逃す恐れも出てくる。これを防いでくれるのが第六感?で感じる重症感なのだ。
 同じ朝方の胸痛でも、患者の訴え方に重症感があると慎重に対処することができる。同じ訴えでも其処に重症感があるかどうかを感知する能力は経験を積まないと身に付かない。
 最初から稀な病気まで網羅的に鑑別する傾向のあった医学生も研修医二年目くらいになると、救急外来で訴えばかりで中身のないおばさん達を見慣れて、学生時代と逆に一通りの検査に異常がないとすぐ問題ないと対応する傾向が出てくる。やがてそこで手痛い失敗をして中庸に軌道修正されて、一人前になって行くのが多くの医師が辿る道筋だ。
 重症感とは何か、説明するのは難しいが何かただならぬ事件の予兆(命の危険)を患者がどこかに感じているのが伝わってくるのだ。言葉ではない何か、医者でない方には男と女の機微に多少似ていると言えばわかるだろうか。
 尤も、それが察知できない頓珍漢も居る、他の分野での活躍をお勧めしたい。
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二続き

2010年02月22日 | 町医者診言
 今日は二が続く日だった。
 ご存じだろうか、うら二わ二は二わ二わ二は二わ二わ・・がいます。・・に入る文字は何か?これを耳から聞いて解けたら、有名小学校に入れます。
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梅満開を過ぎて

2010年02月22日 | 身辺記
 梅にも桜のような何分咲きと云うのがあるかどうか知らないが、ご近所の梅が満開のようである。朝の冷気の中に白薄紅紅と三色がくっきりと咲いている。梅一輪、一輪ごとの暖かさと云うが、確かに朝は寒いのだが、日中の日差しは春到来を告げている。
 梅を横目で見ながらでもせっせと歩いているのだが、かつかつと足音がして追い越して行く小父さんが居る。高校生なら元気だなと見送るのだが、大して年が違わない感じの親父だと、おぬしやるなと云うか、あんまり良い気がしない。脚力に自信があったのだが、どうもこの頃足が多少は弱ってきたのだろうか。梅一輪ごとの暖かさなら嬉しいが、能力体力一年ごとの衰えではちと悲しい。といっても加齢に抗するのは容易ではない。
 このごろは患者の名前を想起するのが難しくなってきた。顔と病気はわかるのだが、名前が出ない。「ほら、あの」。とよく親父が言っていたなあ。もう儂も満開は過ぎた、一輪ごとに凋んで行くのかな。
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救急車に乗る

2010年02月22日 | 診療
 あなたは救急車に乗ったことがあるだろうか。ほとんどの人はないだろう。私は何度も乗ったことがある。
 救急車は年に四、五回呼ぶのだが、よほど患者が重症でない限り、診療に差し支えるので同乗は容赦してもらっている。それでも十回に一回くらいは患者が重症のため、同乗せざるを得ない。今日は暇でもう少しで終診だなあと診察室でぼんやりしていたら、急に受付がざわつき仮死状態の爺さんが担ぎ込まれてきた。昼飯を食べようとしていたら、崩れ落ちたとのこと。意識が無く呼吸も微かだ。手首の脈は触知しない。頸動脈の拍動は触れる。ショック状態だ。医院でできることは限られているので、直ぐ百十九番に電話する。
 診察をすると全身に浮腫のある後期高齢者。呼びかけに反応無く呼吸が弱く浅い、四肢冷感はなく心拍動は80くらいで不整はない、麻痺はなさそう。血圧は60/、血糖は145。浮腫んでいて血圧が低いので血管確保が難しい。
 N病院に前立腺癌で通院中とのことで、電話して救急の受け入れをお願いする。「どうぞ」というありがたい返事。そうこうするうち、7,8分で救急車が到着。血圧が70に上がり、呼びかけに微かに応答するようになる。早速、救急車に乗せさあ出発と思いきや、なんだかいろいろ無線連絡が必要らしく交信をしている、直ぐに出発しないのでイライラする。どうもだんだん搬送手続きが煩雑になっていくらしい、貴重な一分を使う。
 一般車だと20分くらいの病院に5、6分で着いた。さすが救急車、といっても信号で徐行急発進の繰り返し、その上一般車を避けるために蛇行するので結構揺れる。同乗医師は患者を診るどころではなく、取っ手に捕まりずり落ちないように座っているだけ、下手に動けば酔ってしまいそうだ。救急隊員は慣れたもので揺れながら血圧を測定器のスイッチを押したりしている。病院に着く頃には血圧は80まで上昇、呼びかけに便が出そうと答えるまで回復してきた。
 今日の救急担当医は二十台後半の研修医(上級医はどこかに待機しているのだろう)、失礼ながら研修医が多少頼りなくてもベテラン看護婦が三人居れば心配ない。あちこちから手が出、患者に声掛けしながら点滴採血心電図と準備が整って行く。「胸の写真も撮ろうか」と云えば、すぐ看護婦が放射線技師に電話しあっという間に技師が装置と共に現れる。私の出る幕はないので、懐かしい病院の動きを感知しながらお礼を言って帰途に付く帰路に就いた。
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あきれるを通り越して

2010年02月20日 | 医療
 モンスターペアレントやモンスターペイシェントが問題になって久しい。我々の場合はモンスターペイシェントへの対応が問題になるわけだが、実際に医師同士でその対策を親しく話合うことはほとんどない(泣き言を言い合うことはある)。個々で困りながら、それぞれに対応しているのが実情だ。医師会での対応といっても、マニュアルや通達では限界があり、結局は個々現場で苦慮しながら臨機応変に対応せざるをえない。
 大きく分けて二つの方策があり、困るなあと思いながら診るか他の医療機関へ転院するように誘導するかのいずれかだ。中には診療を拒否する医師も居るかも知れないが、それなりの覚悟が必要だろう。
 勿論、稀ではあるがモンスタードクターも居る。こちらは困った人だなあと云われつつ誰も首に鈴をつける人が居ない。医者が匙を投げている。
 自分は介護保険に反対だから、介護保険認定業務はやらない、夜間救急は行政の問題なので自分はやらないと我が儘を通して知らんぷりをしている。現行制度に反対だから、自分はやらないというのでは、税金を払う人が居なくなるだろう。我が儘を通せばその分他の医師に負担が掛かるのをどう考えているのだろうか。そう責めれば、大声でみんなで止めればよいのだと幼稚な論理を振り回す。あきれて物が云えないのだが、そこそこ患者さんが来て邸宅に住んでいるようだから、分かっていて断るための論理を振り回しているのだと思う。単純横暴なモンスターペイシェントよりも質が悪いかも知れない。
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