駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

藤井と大谷は特別?

2024年04月12日 | 潜望鏡
               

 庭に突然牡丹の花が咲いた。女王のような貫録の美しさに驚いている。

 大谷は水原一平のギャンブル窃盗事件のショックから僅か十日で立ち直り打撃が好調になってきた。藤井名人は豊島九段の巧妙な差し回しに不利になりながらもバックストレッチで抜き返し逆転勝ちした。一体どこまで強いんだろう。
 先日友人たちと飲食した時にMLBは大谷ばっかり報道して偏っていると不満が出た。将棋界も藤井八冠のおやつ報道など過熱気味で他の棋士の報道が少ない。
 どうも視聴率優先の報道は全体を俯瞰する視野を欠き、偏向は言い過ぎかもしれないが片寄ってしまう。公平公正などと言い出すと難しくなってしまうが、バランスを取って欲しいというのは尤もな苦情意見と聞いた。

 
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晩節を汚す

2024年04月10日 | 潜望鏡
              

 長の付くものは一度やると中々やめられないものらしい。長が付くなら盲腸でもよいという御仁も居られるようだ。しかし長くやり過ぎると道を踏み外して晩節を汚す人が出てくる。見苦しいというか残念な気がする。
 ただマスコミは手の平を返したように溝に落ちて反撃できないとわかると叩きまくるので、すべてが台無しというのもおかしい。功が皆無とゆうことはないはずで、慢心からか独善からか失策失言で全否定するのは行き過ぎ、付和雷同烏合の衆の喝采では根幹の誤りを正すことは出来まい。
 玉塵混淆の情報の中から玉を拾わないと、悪口を言って終わり忘れるという愚かなことになる。雑言に隠れた平静公平な声を聞き逃さない耳を持たないと衆愚政治に陥るのは必定。
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春爛漫

2024年04月08日 | 潜望鏡
              

 桜が満開になった。朝夕少し寒いことがあるが日中は春爛漫と感じさせる。季節のギアが入れ替わった感じがする。
 しかし人間の作る世界は相変わらずギアが入れ替わることもなく、不幸和音が続いている。ガザで三万五千人以上が命を奪われその七割が女性と子供だと言う。どうしてネタニエフのような人物がイスラエルの実権を握っているのか、それはイスラエル人がネタニエフを支持しているからだと思わざるを得ない。殺された女性や子供の親族がどう思うか、憎しみの連鎖が断ち切られることはなくむしろ強化されて続いてゆくだろう。そこへ行くと日本人は稀有な存在と言わざるを得ない。原爆を二発も落とした国を慕い頼っているように見える。
 勿論、色々複雑な背景がありそう単純な問題ではないだろうが、安倍、菅、岸田政権はそう動いている。
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ギャンブル依存症の闇

2024年04月01日 | 潜望鏡
          

 ギャンブル依存症というものをよく理解できない。そうした人を知らないから理解できないのかもしれない。周りに居たかもしれないが、気が付かなかった。
 学生の頃に点一とか点二とか賭けとは言えないほどの額の賭けマージャンを二年ばかりやった。馬券も友人を通して数回買ったことがあるが、競輪や競艇は知らない。海外のカジノで数回ブラックジャックの経験があるが、賭け金総額十万円くらいで損得はトントンだ。大体やる前から掛け金は二万円までと決めていたから大損のしようがない。百万二百万もの金額を賭ける度胸はない。
 一体どういう心理状態で巨額を賭けるのだろう。取り返そうとして深みに嵌まる心境は少しわかる気がするが、儲かるのは胴元と僅か2%の人達だけだ。よく聞くのは掛け金が五倍十倍に増えてもそこで止められないという話だ。私などは二倍になれば喜んで止めてしまうのだが。
 おそらくギャンブル依存症の人は賭けるというスリルに快感を感じる人達なのだろう。日本には今のところカジノがない。ないと言うのが一番のギャンブル依存症の治療と思う。何故大阪にカジノを作ろうとしているのか、タバコで儲からなくなったから税収が減ったからその代わりにという悪知恵を働かせる人達が居るのだ。
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逃げた二月

2024年03月10日 | 潜望鏡
              

 今年はうるう年で一日多かったけれど、二月は逃げた。三月も、もう十日だ。年明けの一月は少しゆっくりしていたように感じたが、だんだん一週間が早くなった。
 何もできなかった岸田の冬が過ぎて、何もない春が来るのだろうか。足元が揺らぐ麻生氏の言う通り存在感が薄く批判が素通りするステルス性能が岸田首相の最大の武器らしい。
 しかしそれでも四月には何かが起きるかもしれない。自壊というものがある。
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