駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

東と西

2012年02月29日 | 世界

    

 東は東、西は西とキップリングは謳った。どうも異文化の相互理解は難しいということのようだが、五千キロも離れればともかく、数百キロでは東西よりも南北の方が違いが大きいようで、東西ドイツは統一出来たが、南北朝鮮の統一は難しそうである。

 尤も、ことはそれほど単純ではなく東西と南北の違いは二言三言で表せるものではない。唯、私には東西や南北は地理的な位置関係だけでなく地域の味わいを喚起する言葉として響いてくる。

 たまたま雑誌「東京人」を手にしたら東京の東に位置する葛飾の特集で、案の定柴又と寅さんが出ていたのだが、中に「将棋のイロハは総て葛飾で学んだ」と渡辺竜王がニッコリする写真が出ていた。彼は葛飾の生まれで、子供の頃の思い出が語られていた。竜王奪取時はなんだか大人子供のようで、全然ファンではなかったのだが、この数年飾らない率直な人柄に惹かれファンになった。牽強付会と受け取られるかもしれないが、渡辺竜王はいかにも東の人で関西にはこういう人物は居ないような気がする。羽生十九世名人も渡辺竜王ほどではないが、東の人の感じがする。

 大山十五世名人は名人位は箱根の山を越えない、つまり関東の人間には名人位は無理だと呟いていたが、そうではなかったようだ。

 関東関西の微妙な違いは味わい深く、どちらにも属さない私は行司役で楽しんでいる。しばしば違いが争いをひきおこすけれども、違いこそ妙味で豊かな文化の源泉と思う。懐の深さ、僅かな余裕で争いは避けられる気もするが、町医者の夢想か

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日本の大転換

2012年02月28日 | 

      

 中沢新一の「日本の大転換」を読んだ。生身の人間が生きてゆけるのは地表たかだか数キロメートルの薄い生態圏に限られているのに、それと隔絶した領域の核分裂を直に持ち込む思想は一神教に由来するという指摘には成る程と思った(牽強附会に思える部分もある)。

 しかし、成る程と思ってもそこからこれは拙いぞと多神教の世界に回帰しようというのは、(人間は一度覚えた便利から不便には戻らないから)、至難の業に思える。尤も、中沢氏は戻るのでなく革命的に転換すると主張されているのだが、やがて百億人に達しようとする人類を支える快適な太陽エネルギー利用法がおいそれと実用化されるとも思えず、贈与交換感覚を呼び戻すのも理論と説得という方法では難しいだろう。社会の前線で働く市井の医者である私は、大多数の人は中沢新一氏の理論と説明を理解しないことを知っている。理解する人は二百人に一人くらいのものだろう。多くても百人に一人だろう。そして、理解した人でも理解によって、行動が変わることは殆どなさそうだ。

 つまり、平均的な人間の行動を抽象的な理論で変えることは難しく、平成の救世主として現れ、橋下を凌ぐオーラを発揮して漸く僅かに国が動く程度だろう。

 実際には、僅かな例外はあるとしても、変わらざるを得なくて(生存基盤を脅かされて)血を流して転換してきたのが人類の歴史だと思う。その点日本人は天才的?で、少ない流血によって明治維新という大変換を成し遂げた。そうした経験?を踏まえて、一神教のもたらした科学は自家薬籠中のものにしたが一神教には縁遠い日本社会なら大転換ができると中沢さんは見通しているのだろうか。

 私も中沢さんの目指す方向は正しいように思うが、現実は切羽詰まって自覚症状が出てから漸く動き出すのが常で、破綻に間に合うかどうか危ういと懸念している。それは沖縄の痛みへの対応を見ればわかる。

 勿論、現場の現実になぎ倒されてばかりでは、医者の名が廃る。僅か一フェムトでも世の中を動かしてやろうという気持ちは持ち続けている

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点取り屋に必要なのは

2012年02月27日 | 小考

      

 サッカーオリンピック予選はマレーシアに4-0で快勝し、目の上のシリアが負けたので自力突破の可能性が大きくなった。関塚監督は下士官の外見だが運の強い男らしい。

 ザックジャパンはアイスランドに3-1とまずまずの出足。アイスランド戦で全得点に絡んだと言われる槙野智章はルックスがあんまし賢そうでないのがいい。なんと言っても点取り屋に必要なのは馬鹿力。

 ザックの眼にどう映ったか。判断し決断し実行できるのが優れた指揮官、監督の采配も見物だ。勿論、結果が全てなのが勝負の世界。

 ところで、賢しらな口先男は閣外で頑張ってもらおう。スポーツ観戦と違い外野席のないのが世の中、眼を凝らしたい。

 院長兼雑用係に月曜の朝は忙しい。なんだか尻切れトンボになった。

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高峰秀子という人

2012年02月26日 | 人物、女

   写真はネットから拝借

 気に入ると立て続けに読むのが糸脈流である。「私の渡世日記」以後をいくつか読んだ。

 僭越ではあるが、私には分かる気がする。晩年の高峰秀子は今は一番仕合わせと呟きながら、穏やかな顔に悲しい目をしている。

 幼少時から肉親の愛を知らず搾取されたことが、彼女の心に虚無を宿らせた。斉藤明美さんが動じない、求めない、・・ないと十一もないを連ねて高峰秀子の流儀を書いておられるが、なぜないかと言えばその心の底に虚無があるからだと診る、植え付けられた虚無が。晩年にはデブ(継母)を許容しておられたようだけれども、相手が大人ならともかく、幼い子供にこんな仕打ちをする人間は許し難いと私は思う。恵まれない人間には許されるなどという強弁には与しない。勿論、それは他人の出過ぎた感想かもしれないが、渡世日記は世に出された。

 その虚無の虚空から掬い上げてくれたのが清廉の松山善三さんだったのだと思う。それにしてもお二人はお似合いの美男美女だ。

 僅か数冊の本を読んだだけでおこがましいけれども・・・ない高峰秀子ともう一人・・・する高峰秀子を行間に微かに垣間見る気もする。どうでしょうか、デコさん。

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ソムリエは医療にも

2012年02月25日 | 医療

      

 S総合病院との懇親会の前に三十分ほど時間があったので、本屋に寄った。F先生がベストセラーのコーナーをうろついている。

 「やあ」。と声を掛けると、にっこりして

 「先生に会うんじゃないかと思っていましたよ」。と言う。

 「あ、そう」。と答えながら「懇親会出るの」。と聞くと

 「今日は風邪気味なんで、失礼しようと思ってます」。と言う。

 少し情報交換の立ち話をした。

 「S病院は呼吸器がもう一つですね」。

 「確かに、T部長辞めちゃったからね。H君はもう一つだよな」。

 「でもSは総合内科がいいんですよ。K病院やN病院よりよほどきっちり調べてくれますね」。

 「先生もそう思っていたのか。俺も手こずってわけのわからんのはSに送ってるんだよ」。

 「じゃ、また」。

 総合内科なとという比較が難しい科でも、ちゃんと分かるドクターには分かっているんだと、驚いた。どうもS病院の総合内科は星三つのようだな。

 優れた医療ソムリエになるには情報交換が欠かせない。

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