駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

武蔵に学ぶ

2008年12月30日 | 小考
 我事に於いて後悔せずと宮本武蔵が書き残したそうだ。
 吉川英治の武蔵は普通の人間にも理解できる心の持ち主だが、実際はどんな人だったのだろう。六十数回の真剣勝負で負けなかったのは事実ようなので、それが何よりも彼を物語っているのだろう。
 この言葉に関してはいろいろな解釈がある。こんな事を言う奴は後悔の塊だったに違いないから後悔などという自己憐憫は自分に無縁だという意味だまで。
 私はたぶんやったことに囚われない悔やまないという文字通りの意味で、しかも肩に力が入っていない平常心で語られた言葉だろうと推測する。真剣勝負などやったことはないが一瞬でも失敗したと後悔すると負けるのだろうというのは、ゲームの体験から理解できる。
 だから武蔵が事が終わったあとで反省しなかったかと言えば否と推測する。失敗から学ばない者に向上はないと思うからである。ただ本当の反省というのは意外に難しい。人はいつも言い訳を用意するからだ。武蔵に言い訳はなかっただろう。
 臨床医の仕事は際限なく広く奥が深い。毎日医院を閉めるときには何かしら気懸かりがある。その多くはどちらが良いか微妙な選択に関する事柄で間違いという程のことではない。しかし、それでも心に留めて考えることが大切なようだ。
 正直に言えば、若い時にはいくつか重大な間違いをした。幸い、今はそうした恐ろしい失敗はなくなった。これは反省して勉強してきた賜物だろう。勿論これから、大失敗が絶対ないとは言えない。いつもこれでよいかと後悔でなく反省を忘れずに仕事をしていきたい。
 決して武蔵のような天才になれない者がこんな事を言うのは笑止千万かもしれないが、武蔵でなくて良かったとも思う。町医者は市井に生きて行くので、天才には向かない仕事なのだ。
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仕事納め

2008年12月29日 | 身辺記
 本日は当院の仕事納めだ。毎年、最終日は患者さんが思いの外少ないので、今年はいつまでやるかなと迷うのだが、職員達がやりましょうというので、29日(月)全日稼働となった。幸い閑古鳥は鳴かず、そこそこの出足で午後も患者さんがぼつぼつ来られた。
 4,5年に一度年末年始の当番医が回ってくるが、今年はそれもないし、重症の患者さんも93歳で12月半ばに亡くなったので、久しぶりに暮れの2日間はのんびり出来そうだ。BGM(歌謡曲以外)を聞きながらストーブ(残念ながら薪ではない)の前で、ワインを嘗めながら、ミステリーを読めれば最高だ。どちらかといえば翻訳物の方が好きで、謎解きも大事だが、人物の造型がちゃんと出来ていないと楽しめない。フロストなど好みだが、それほど沢山出ているわけではないので、大事に読んでいる。
 普段出来ないことをあれもこれもと思うが、実際には出来ないのを悟ったので、詰まるところ、残りは女房の買い物の付き合いと部屋の片づけで終わりそうだ。
 それとブログも書くだろう。とにかく一年はキチンと続けようと思っているので、あと一息だ。
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本当のことを少し

2008年12月29日 | 医療
 所謂風邪には抗生剤は不要であるのは周知の事実にも拘わらず、長年判で押したように抗生剤が投与されてきた(本当に判を押していた医院もある)。
 実際のところ、風邪(風邪症候群)の中には抗生剤が有効ないし必要な細菌感染に依るものが20%程度混じっている。この病態を問診と診察で100%見つけ出すことは非常に難しい。医師の経験と知識によって異なるが、80%前後は見つけ出せよう。そうして抗生剤を必要と判断した症例だけに抗生剤を投与すると数%の抗生剤投与が必要あるいは望ましい患者が見逃されることになる。
 抗生剤投与による即時あるいは直接の副作用は少ないので、この数%の見逃しを避けることを理由?として風邪となればすぐ抗生剤を投与する絨毯爆撃が数年前まで行われてきた。もう一つの理由には抗生剤を投与した方が大きな声では言えないが、売り上げが上がり、それを強く助長する薬剤メーカー(医療機関と共に売り上げが上がる)の宣伝があった。しかしこうした抗生剤の使用法は耐性菌を生み出し、医療費の無駄使いになるとの反省から、小児科医を中心に声が上がり、この数年は最初から抗生剤を使用する医師はかなり減っている。
 当院はこうした動きに十年先駆けて、抗生剤の使用を絞り、よく観察考えて抗生剤を使用してきた。なぜそういうことが可能だったか、それは私が町医者だからだ。近隣で気軽に掛かることができるので、もし熱や痛みが良くならなかったら又おいでと言っておけば、翌日や翌々日に「先生、よくなんないよお」。とやってくる。そこで再診察再考すれば、十分間にあう。中には他医へ行かれた患者さんも少数は居ると思うが。
 良くならない場合、ここは藪だと患者さんが離れていかない自信、あるいは離れてもいいという覚悟がないとこの診療法は難しい。私も開業後数年は80%近くの風邪症候群に抗生剤を投与していた。現在は抗生剤を投与する風邪症候群は20%程度で、売り上げにすれば年に200万円程のマイナスである。実際の風邪の治り具合は変わりないと思う(統計は取っていない)ので廉価に治療できていることになる。
 患者さんがこうしたことに気付いているかといえば、否である。かなり減ったが抗生剤御指定や注射御指定の患者さんがおられる。やんわり、不要だからとお断りしているが不満そうにされる方も多い。中には他医へ回られる方もおられるかもしれない。
 時々患者さんにちょっと賢くなって欲しいと思う。
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寒波襲来

2008年12月27日 | 自然
 昨日からぐっと冷え込んで、朝の通勤時手がかじかむ。シベリアからの寒気団が日本列島を覆ったのだ。20分程なら痛いような寒さも平気だ。たぶん故郷と当地とでは気温が4,5度違うと思う。駅前医院は海に近いだけ山国より暖かい。当地の人はおお寒むなどと震え上がっているが、私には零下2,3度など身が引き締まり気持ちよい。本当の北国の人には零下12,3度のまつがいでないのと言われるかも知れないが。
 寒い朝をカーンとかシーンとかキーンとか冷え込んだと表現するが、透き通って清潔で厳しい感じがあるからだろうか、どこか微かに神聖な気配さえ感ずる。この程度は寒さの内に入らないのだが、それでも連想が働く。
 ナポレオンを敗走させ、ナチスを退けたロシアの冬将軍、湯たんぽ代わりに古女房を貸し出す?北極圏イヌイット達の冬。きっとそこでは太郎を凍らせ次郎を凍らせ、ブリザードが吹き荒れるのだろう。外出は厳禁、すぐそこと迂闊に歩いて行こうとすれば、ホワイトアウトで道に迷い、冷えた身体を温めようと火を熾しそこねれば、死の眠りが待っている。車なら大丈夫と思いきや、エンストが命取りとなる。
 長い厳しい冬を生きている人達は、凍てつく道路に止まった車を見逃さない。おい、大丈夫かと必ず声を掛けてくれる。見知らぬ人にも冷えた身体に暖炉の火と温かいスープが与えられる場面を何度も見たり読んだりしただろう。
 歴史と同時に気候も異国を理解する鍵だ。牛追いの冬もハンマースホイの絵もどこか淡い光と長く厳しい冬を知らずには理解できまい。
 身体には温暖な気候が楽だが、精神には厳しい寒さが時に必要かも知れないと認知の忍び寄る灰白色の脳味噌で考えている。
 
 
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マナーが開く道

2008年12月27日 | 世の中
 社会が円滑に機能するにはマナー(行儀作法)が浸透していることが最も重要だろう。目に余るからと法律に訴えてはギスギスと嫌な音がして楽しくない社会になる。もう既になりかけている。もっと進めば荒んだ寒々とした社会が待っている。 どうすればよいか。
 イギリスに派遣された商社員、一軒家を借りた。隣の芝生があんまり綺麗なので、どうすればそうなるか隣人に尋ねた、「そうだな、毎日水やって毎週草取りをして芝刈りをするだけだよ」。「え、そんなんで」。「そうさな、7,80年も続ければこうなるよ」。
 どうすればよいかは、儂が儂ので侃々諤々となり、まとまるのは容易ではなさそうだ。しかし、実行継続することはもっと難しいだろう。それでもと云いたいが、率先すべき紳士淑女や地の塩と云うべき人々が払底し始めているようで遺憾なあ。
 風邪は人に感染させれば治るという質の悪い俗説がある。感染させるなら小金持ちで偉そうな町医者に限るというわけではないと思うが、あーんと喉を見せてと云うと 途端に私の顔めがけて咳き込む患者さんが居る。ブッシュに負けず身をかわすのだが、一人二人ならともかくそう言う患者さんが毎日十人近くいると避けきれないこともある。若い人はマナーがなっとらん、しょうがないなあと思っていると、稀ではあるが黄色い歯が数本残った清潔とは云えない爺さんが臭い息を吹きかけてくれる。いいかげんにしてれと席を立ちたいところだが、そうも行かず苦笑いをしている。お陰様で新型以外のウイルスには抗体ができているらしくあまり風邪を引かない。
 聴診するので胸を出してというと、服を前に少し持ち上げ手が入る隙間を作る女性が居る。若い人に多いのだが、それでは十分な診察が出来ない。胸のふくらみを見せたくないのかもしれないが、それでは何処から山が始まるのか分からないのでかえって指が触れたりすることになる。看護婦が付いている時はそういう患者の場合、有無を云わさず横からこれでもかとしっかり服を上げてしまう。上げにくい服は脱がしてしまう。看護婦が付けない時はちゃんと服を上げるように頼むのだが、感じの良い反応ばかりではない。何でと言われても、診察しにくいからに決まっているだろう。同業批判になるが、きちんと診察しない医師が増えてきているせいもあるのだ。当院は妥協しないぞ。隗より始めよって言うからな。
 
 
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