駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大晦日に浮かぶ疑問

2012年12月31日 | 町医者診言

 

 

 一体、福島原発事故の被害額は幾らぐらいなのか?。政府は計算しているはずだ。被害額は幾らで一体誰がどれだけ支払うことにしたのかを明らかにして貰わなければ、復興税は払えないとなぜ国民は声を大にしないのだろう。

 放射性物質を扱う人達の健康と人権はどのように管理保護されているかを知りたい。五次六次の下請けで他人事なので興味がないとしたら、原発事故の責任を追求する力も弱まる。

 放射能を無害化することは出来ないのになぜ徐染などという言葉を使うのか、放射性物質を含む表層土の移動集積が実態なのだから移染と言う言葉が適当と思う。移動先は事故原発の周辺が適当なはずだが、どこへ集めているのか知りたい。

 こうした疑問の答えは捜せばある程度分かるかも知れないが、捜さなくても誰にも克明に分かるように繰り返しマスメディアで報道して欲しい。

  新政権が発足して一週間足らずなのにもう衣の下の鎧が見え始めている。有権者には想定内のことだったのだろうか。

 正直に言えば、前期高齢者で開業医で福島から遠い私には今更身を切られる問題ではないけれども、六十年代に学生だった私には座視することのできないことに感じられる。

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脳が麻痺する

2012年12月30日 | 小考

    年末の繁忙期をしのぎ、昨日は惚けて普段見ない地上デジタルテレビを見るともなく見た。決して見ている人を馬鹿にするつもりはないが、こうしたものを見ていたのでは、脳味噌が麻痺して自分で考える力が失なわれるのではとないかと感じた。

  力と資金のある側に擦り寄る幇間精神がそこここに垣間見え、批判精神もない受け狙いの楽屋落ちと誰もが同じ考えのはずという想像力を欠いた無難路線が行き渡っているようだった。

 官邸を見下ろしながら、どうも休日初日に相応しくない感想になった。

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今日は仕事納め

2012年12月29日 | 身辺記

       

 今日が当院の仕事納め、当初は昨日までの予定であったが、4日まで休みたいとの希望に添い、休みを後ろに一日ずらして今日も仕事をすることにした。多分いつもの三分の一程度の患者数で、あちこち掃除をしながら患者を待つことになるだろう。

 今日を含めて後三日、2012年も暮れようとしている。思いがけない、しかも不消化な一年であった。当院にはさざ波程度で大過ない一年であったが、患者さんを通して広く世の中を見渡している町医者には考えることの多い一年であった。

 現世に参加している人間は匙を投げるわけにはゆかない。恐らく今年亡くなった昭和を代表する人達は、これからも平成を生きる我々に、よく見てよく聞いてよく考えるようにと想いを残されたのではないかと僭越ながら忖度している。

 地上デジタルや全国紙だけの情報では世の中の正確な姿は見えて来ない。インターネットや書籍を通してより広い視野から物事を捉えてゆきたいと思う。

 

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医院の受付業務は

2012年12月28日 | 診療

     

  医院受付というと感じの良い応対が必須と思われるだろう。勿論、それは欠かせぬ能力ではあるが、それと同じように高い事務能力が求められる。

 診療の会計は複雑な診療報酬規則によって算定されるので、事務員とコンピュータが共同作業して漸く正確な料金が算出でき、保険診療報酬請求と窓口支払いが可能になる。毎月月末にその月の保険診療報酬請求をするのだが、その請求書(レセプト)を作成するのは簡単な作業ではなく、かなりの事務能力が必要とされる、(コンピュータは命じられたことしか出来ないので、それを使いこなすには保険診療を理解していなければならない)。

 医院の事務員には四則計算が正確に出来ること、分厚い保険診療報酬体系の本を読んで理解することそして大まかではあるが病名と疾患の内容を理解することが求められる。

 だから医院の受付というのは余り正確な仕事内容の呼称ではない。正確には医院受付事務で、どちらかと言えば事務に力点を置いた方が良いように思う。医院の受付でハローワークに求人を出すと、接遇に自信ありと応募される方が居られるのだが、計算読み書きがきちんと出来ないことがある。一度大失敗したことがあり、採用の時はその点をきちんとにチェックするようにしている。

 人間の能力には偏りがあるようで、高い事務能力と感じの良い接遇力とは相容れない傾向があり、両方に優れた人材はさほど多くない。だから互いを補うペアを組み合わせるように配慮している。これは小といえども経営者としての経験智だろう。 

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暮れ正月はどこにも

2012年12月27日 | 医療

 

 今年は大晦日に急病センターの当直が当たってしまい、例年のように東京で正月とは行かなくなった。それに今年は、末期がんの患者さんが暮れ正月は自宅で過ごしたいと在宅治療を希望され当院に往診診療の依頼があった。多発転移で寝たきりなので、在宅での看取りも希望されている。いつもは喜んで診させていただいている。しかし今回は断りはしないが、正直困るなあいう気持ちもある。というのは私にも暮れ正月はあるからだ。

 覚悟して市井の医者になり、毎年六名ほどの患者さんを自宅で看取ってきた。全く後悔していないが、近隣で往診して看取りまでする医師は限られている。皆で神輿を担いでいるわけではなく、こうした時期に頼まれるといい気分はしない。(自分が長く診ている患者さんが悪くなったのであれば、こうした感情は湧かない。)

 在宅医療の重要性が指摘され行政医師会の動きもあるのだが、現場の実態把握が不十分と思う。尤も、きめ細かい指導判断は難しく、結局は国民のまっとうな意識評価が一番の方法なのかもしれん。

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