駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

かいじん21面相は何処に

2011年07月31日 | 小考

  

 NHKスペシャルの未解決事件を見た。第一回はグリコ森永事件を取り上げている。ドラマ化して担当した事件記者の目から見た進行に、実際に事件を担当した人達の証言を連続させる趣向だ。いくつか新事実が明らかになり、面白く見たが凄い秀作というほどではなかった。

 作品の出来はともかく、なぜこの事件が解決できなかったかが明らかになったことは大きな収穫と思う。つまり、駄目な指揮官と硬直した役所組織が犯人を取り逃がしている。もしかいじん21面相が見ていれば同じ感想をもったのではないだろうか。いつも同じ轍を踏んで、誤りが繰り返されるのにはうんざりというか、同時代を生きる者として臍をかむ思いがする。リーダーに相応しくない人が指揮を執っている組織が力を発揮するわけがない。どうしてそういう人が組織の中で昇進してゆくのだろうか。個人への非難もあるが、それよりもそういう人が役職に着きやすい組織の性質構造に問題ありと考える。

   現行犯逮捕ができなかったことの反省分析はともかく、これだけ多くの遺留品があり少なくとも五名以上の犯人がいるのに十六年の歳月をかけて解決できなかったことはむしろ不思議な気がする。いみじくも担当した記者が吐露しているように、この事件を分水嶺に以降事件解決力が低下の一途を辿っていく。グリコ森永事件が躓きの第一歩になってしまった。どうも下降は捜査能力だけでなく、この時期以降日本のさまざまな分野で起きている恐れを感じる。

 もう遅いのかもしれないが、異なる視点から洗いなおせば盲点が消えて新しい犯人像が浮かび上がるのではないかと思う。警察よ衆知を集めるのに躊躇うこと勿れと申し上げたい。 

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外部記憶装置

2011年07月30日 | 小考

 

 本は三千冊?ほど持っていたが、置き場所に困り、引っ越しの時半分近く処分してしまった。これはもう二度と読まないだろう、これは何回も読んだからと、大して時間を掛けず選別したのだが、本を手放して愕然としたことは、記憶も一部失われるということだ。本は外部記憶装置だったのだ。並べてあるのを眺めるだけ、あるいはあそこに在るいう心地だけで、記憶がリフレッシュできていたらしい。

 不思議なことだが、同じ本をもう一度買い求めても、新しい本では同じ文章のはずなのにどうもすっきり記憶が戻ってこない。意識に上がらない記憶というものがあるらしく、手触りとか紙の染みや皺などから、これは以前に読んだ本ではないと判断するらしい。本から得た記憶をリフレッシュするには、この文章は前に読んだことがあるという感触が欠かせないのだが、懐かしい道を辿る感覚が、新しい本では蘇らないことが多い。不思議なことだ

 実は、本だけでなく人間は皆さまざまな外部記憶装置を持っている。わかりやすい例が住処だ。お年寄りが、改築などで住み慣れた家を一時離れ、仮住まいに暫く引っ越すだけでおかしくなってしまうのも、住み慣れた環境という外部記憶装置の喪失が原因だろうと思われる。外部環境の保全は弱った記憶装置の維持には欠かせない所以だ。そして逆に、外部環境を変えて新天地に向かうことはしがらみを断って新しい人生を切り開くのに有効なわけだ。

 そう考えれば人間の意識というものは濃淡はあっても在る部分環境や他者と重なって共有され、我々は大袈裟に言えば人類や地球の一部を担って生きていることになる。これは縁という感覚に繋がるのかもしれない。

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玉葱の問題

2011年07月29日 | 旨い物

 

 自分で料理される方で多少腕に覚えの方は玉葱の重要性にお気づきであろう。生よし、煮てよし、揚げてよし、炒めてよしそして蒸してもなかなかのものだ。まあ、主役になれることは稀だが欠かせぬ脇役として大活躍する。

 煮込み料理では準主役としてクリーンナップの五番を打つ。少なくとも私が監督の場合は五番から外せない。

 煮込み料理に欠かせないのはじっくり炒めて旨味と甘みを引き出して全体をまとめる役回りに使うからだ。これは洋風煮込み料理の密かなコツとしていたのだが、最近、ダンチューで違った考え方を目にした。カレーは洋風、和風、インド風に東南アジア風に分かれるのだが、インド風(南インド)では玉葱を色づくまで炒めると甘みが出過ぎて香辛料の風味の邪魔になるという指摘だ。インド風では香辛料の香りと刺激が命なので、玉葱はさっと炒めてしゃきしゃきした歯触りを残すのが宜しいというわけだ。

 早速試してみたが、どうも私にはもう一つだった。それが香辛料主体のインドカレーに慣れないせいか、香辛料の生かし方が足りないせいかはっきりしない。結局は好みの問題と言うことになるのだろうが、日本人は旨味やこくを好むので、たとえインド風でもベースに僅かでもよく炒めた玉葱を使いたくなる、それ邪道とインド人に言われてしまいそうだが。

 勿論、純粋のインド本場カレーも十回に一回程度なら美味しく頂ける。

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変化する印象

2011年07月29日 | 小考

  

 この時期微妙だが、心に浮かんだので書いてしまう。

 子供の時の印象は鮮やかで強固としたものだが、それも変わり得る。中国は私には子供の頃の愛読書、西遊記と水滸伝の国だった。幽玄広大で、孝恩を知る愉快勇壮な人々の生きる国であったのだが、どうもそれは残念ながら素直な子供心の一面の理解だった気がしてきている。

 我々の先祖は遣いによって中国から多くを学んだ。しかし菅原道真公の申し出により?遣唐使は中断され、以後再開されなかった。この中止の影響については専門家の間で様々な議論があるはずだが不案内だ。唯、私には英断に思える。その後の日本の行く末に与えた影響は計り知れない。

 唐以降の中華意識、科挙制度、宦官纏足の存在、そして巷の阿Q、これは素人の私が挙げる中国ネガティブ面のキーワードだ。子供心に憧れた国を貶めるわけではないが、こうしたキーワードを忘れず、日本政府は中国に対峙しなければなるまい。共産国家の皮膜を被ってはいるが、中国三千年の悪しき伝統も息づいていると見るからだ。百も承知のはずと思うが、日本は外交能力に優れるとは思えない。素人考えも、時には役立つだろう。

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信じ難い愚行と暴挙

2011年07月27日 | 世の中

 

 冗談もほどほどにして欲しい。菅首相が北朝鮮を訪問し拉致問題を進展させて、人気回復を狙っているとの観測がある。外務省を通さずに北朝鮮と接触しているとの報道もある。はっきり申し上げて狂気を感ずる。              

 首相は自分にパーフォーマンスでは回復できない欠陥があることを自覚して頂きたい。多様な意見を集約できるのが信あるリーダー、信なきリーダーの元では多様な意見が錯綜しまとまるものもまとまらない。責任を感じて辞めるのが長たる者の証であり務めではないか。しかし自覚がない。それは病の徴候、このままでは何をやりだすか不安で、空恐ろしい気がしている。

 中国が事故を起こした高速列車を埋めてしまった。信じられない暴挙だ。白昼堂々の証拠隠滅なのだろうか。あっという間に高速鉄道会社の幹部の首が飛んだ。責任押しつけに見える。驚いたことに、事故の原因も明らかではない(二三日で分かるわけがない)内に、もう既に再開通している。しかも満員?らしい。理解を超えた国だ。こちらも空恐ろしい。

 ネットで懐かしい公民権運動の単語を見かけた。ジョーンバエズ(勝利への賛歌)の歌声やマーチンルーサーキングの「私には夢がある・・・」。の演説を思い出す。 ところがこのネットの公民権は我らに与えよではなく、菅直人から剥奪せよという問いかけなのだから恐れ入る。

 埋めた事故車両をまた掘り返している。壊して埋めた傷だらけの車体では十分な分析は不可能だろう。事故対応への批判報道に対する反応らしいが自作自演の猿芝居に見える。

 加えて静かで平和に見える北国ノールウェイでのテロ、あまりにおかしなことが続くので頭が変になりそうだが、こういう時にこそ、平常心を失わってはならんと言い聞かせている。三人に二人の人がおかしいと思うことが止められないはずはないと、手の届く日常を生きて行きたい。

 

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