駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

蜘蛛の巣

2010年07月31日 | 世の中
 毎朝、出掛ける時に庭の木戸を開ける。この数週間殆ど毎日、蜘蛛が庭木と木戸の間に巣を張っている。出来るだけ巣を毀さないようにといっても、30cmは開けないと出られない。そーっと開けても大切な糸が一本切れてしまうようで、真ん中に陣取っていた蜘蛛氏が慌てて庭木に避難するのが見える。半壊となった蜘蛛の巣が翌朝には綺麗に補修されて、痩せた主が巣の真ん中に陣取っている。「あんたねえ、此処は毎朝人が通るので、折角の巣が壊れる、別の所に張りなさい」。とアドバイスするのだが、よく分からないらしい。動物であれば、一二回で学習すると思うが、蜘蛛助では無理らしい。
 巣を張り替えるのは相当な負担だと思うのだが、懲りもせず張り直してある。それとも場所が縄張りになっていて他所へは動けないのだろうか。いっそのこと情け容赦のない女房のように、壊滅させれば諦めて移動するのかも知れない。なまじの情けで半壊に留めるために、補修するのかも知れない。
 まあ余計なお世話かも知れないが、蜘蛛の巣に格好の餌が捉えられているのをついぞ見かけない。サイン入りの芸術的な大きな蜘蛛の巣と、中央に陣取る虎模様の派手な蜘蛛をよく見かけるのだが、網ばかり立派で獲物を見かけない。大体あんたが中央に陣取っていては蜘蛛の巣と昆虫に分かってしまうのではないか、はじっこに身を隠しそっと獲物を待つのが狩りの常道だぞと、アドバイスしたくなる。
 実はさも智慧ありげに、アドバイスする人間よりも蜘蛛はもっと昔から地上に巣を張って生き延びてきたわけで、「あんたねえ蜘蛛に説教するほどの社会が作れているか、社会面を読んでみろ」なぞと言い返すされそうな気もする。「返す言葉がない」。
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栴檀は若木より

2010年07月30日 | 身辺記
 医師会の内科納涼会があった。「ビンが教授だって」。「エー、ビンちゃんが」。とは言ってももう四十六、七で教授適齢だ。しかもかなり額が広くなっている。「見違えちゃいますよ、わかんないかもしれないな」。「そう言えば研修医の頃から、薄かったね」。と一流大学の新任内科教授も、研修医時代の先輩には、何時までも可愛い後輩のようである。そう言えば、頑張っていたな。何処か違ったと、先輩は喧しい。そう言いながらみんな嬉しいのだ。
 結果論か、実際に光るものがあったか、難しいところだが、何か違ったところがあったような気がするから不思議だ。
 同級生で教授になったのを思い浮かべると、なるほどが半分、不思議ではないのが四分の一、後の四分の一はえっと言う感じだ。どうして教授じゃないんだというのが数人居る。教授と言っても様々で超一流どころの教授になった奴は、やっぱり学生の時から違っていた感じがする。同時に教授になりそうだと思ったのが、万年講師止まりだったり町医者をやっていたりで、なんでだと思ったりする。巡り合わせだろうとは思うが、余計なことは聞きにくい。それに、巡り合わせはなんともならないことだ。
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時間効果を

2010年07月29日 | 町医者診言
 「権力は腐敗する」と言われる。しかし、これは「人は死ぬ」と同じ言明で、大切な視点あるいは解釈が抜けていると思う。人は勿論、生きてそれから死ぬわけで、そこが大切というかそれが全てと凡夫は思うのだが、権力も生まれて直ぐ腐敗する訳ではあるまい。
 権力を得た経緯によっては生まれた時から腐敗臭を放つものもあるだろうが、然るべき経緯で生まれた権力が直ちに腐敗するとは考えにくい。ワインと同じように、当たり外れはあるにしても、それなりに成熟してそれから腐敗してゆくはずだ。
 ところがこの数年の日本では時による醸成を待たずして、首相ワインがちょっと口に含んだだけで捨てられてしまう。外れ年でも数年すれば旨くなることもあるし、デキャンティングだけでも、そこそこ飲めるようになるというのに、勿体ないというか贅沢というか、ソムリエと飲み手にも問題があるのではと思えてくる。鳩贔屓だった私はまだ鳩山さんの方がと思い始めているが、菅さんにもう少し時間を与えてもよいかも知れない。
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女の涙

2010年07月28日 | 人物、女
 女の涙にたじたじとしたことがあったかどうか記憶は定かでないが、辻元清美の涙には感ずるものがあった。予め意地悪な掛け声に答えておけば、か弱くもたおやかでもないが彼女も女性、つぶらな?瞳から溢れる涙は雄弁だ。
 曰わく野党では世の中が変えられない。彼女も権力の密の味を知ったのだと穿った批判的な記事も目に付くが、勿論それだけではあるまい。むしろ目が開かれ、視野が広まり、切迫した気持ちからの踏ん切りだと思う。
 大失敗はあったが、時の試練を経て立ち直り、持ち前の歯切れの良さと行動力で際立つ存在となっている。買いかぶりかも知れないが、批判力だけでない優れ者と思う。生きる道を求めて、川を飛び越えるのには賛成したい。

 気のせいか今年の蝉はもう一つ力強さに欠ける。残暑はあっても朝夕涼しくなる秋が早いのではないか。もうすぐ八月、子供に返りそして又我に返る季節でもある。勝れて決断の時なのかも知れない。上手く表現できないが、辻元清美には人としての魅力があると思う。応援したい。
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智慧は足せない?

2010年07月27日 | 町医者診言
 綱引きは一人よりも二人、二人よりも三人が強い。おそらく千人くらいまで、いやもっと上まで人数を増やす効果がありそうだ。しかし智慧はどうだろう。三人寄れば文殊の知恵と言うから三人くらいまでは合成の効果がありそうだ。しかし、それ以上になると怪しい。
 国家間の外交を見ていると、私の不勉強かもしれないが、向こう三軒両隣のお付き合いと殆ど差がない、否むしろ稚拙にさえ見える。有り体に言えば反社会的勢力団体の思考に類似しているように思えることもしばしばだ。
 韓国哨戒船沈没事故など北朝鮮の仕業とされるが、なんだかメイン号事件を思い出してしまう。ほんまか、なんでやと思うのが普通の感覚ではないか。嘘つき大国北朝鮮のことだから、なにがどこまで本当かは分からないが、浅智慧腕力大国のアメリカの喧嘩に巻き込まれるのは避けるべきだと思う。腕力に自信の輩が口実を見付けて腕力を振るいたがるのは、日常経験することだ。
 先頃来日し、異例の厚遇を受けた元死刑囚、改心?したらしいが、手の内を見せず外遊を得、あげく富士山を見学して帰国するなんぞ北仕込みの心得で、何処かの姑さんのやりそうなことだと思えてしまう。
 どうも智慧というのは積み重ねが効かず、外務省などは某国のたかだか数名の交渉の才覚にしてやられているのではないかと危惧する。 シンクタンクが当てにならないとすれば、個別の能力に期待せざるを得ないが、トップが妻の書いた本を読むのが恐いようでは、とても難局を乗り切る頭脳が後ろに控えているとは思えんなあ。
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