今年の師走は暖かいと書いたら昨夜は結構冷え込んだ。天気予報を見てから書けばよかった。まあしかし、冬は寒い方が冬らしくていい。北国では暖はもてなしと聞く。暖かい汁物が身体が温まり一層美味しく感じられる。
最近は携帯無しでは生活できなくなった。後期高齢者でもお持ちの方が増えた。五十歳否六十歳以下では必需品で四十歳以下ではそれこそ財布並みに大切なものになっているのではないか。後期高齢者の私でも忘れると取りに帰るくらいだ。人間の記憶というのはまだらで望洋としており重大なことや感激したことは鮮明に憶えていても、携帯電話の普及していない三十年前の日常生活がどんなだったか意外に憶えていない。携帯電話は便利で生活を大きく変えたが、一体何がどのようにとなるととても一言では表現できない。ラジオ、テレビ、パソコン、携帯と電子通信が世界を変えた。世界をというより人間を変えたと言った方がよいかもしれない。その拡散力は恐るべきもので、知恵よりも愚かさの拡散の方が大きいように感じられる。
電子通信による人間と人間社会の変化方面には優れた学者が居ない?ようで研究も不十分なのではないか。
2001年宇宙の旅で放り上げられていたのはちょっと大きめではあるが携帯電話だったと思う。
G7外相会議の写真を見ると8人写っているうち4人が女性だ。これは閣僚に5人女性を入れて、どうだ沢山入閣させただろうとアッピールした岸田首相が歴史と世界の常識を知らないことを明白に示している。批判されると「女性ならでは」は多様性の大切さを強調したなどと説明するが、それは後付けの回答にすぎない。
内閣改造は支持率と選挙対策のためにやられたように見えてしまう。米国資産家の日本の政治家は選挙対策しか考えていないという批判は当たっている。もう一つ、党内基盤強化党内不満軽減という側面もある。国民不在と言いたくなるが肝心の国民は大人しく利益誘導に弱く、政策に無関心の人も多いようだ。
岸田首相は凡庸に見えても、悪や狡には見えにくい。しかも批判に鈍感でいきり立ったりしない。財界や官僚を敵に回すことはしない。「女性ならでは」への批判を大合唱にしない。凡庸の天才なのかもしれない。古びた志位、凡愚の泉、悪の馬場、才走る玉木では太刀打ちできないのではないか。しかし国民の一人としてそれでよいだろうかと申し上げたくなる。