駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

今までは、は何の保証にもならない

2017年11月30日 | 小考

       

 「無事此れ名馬」、まことにその通りだと思う。しかしながら、「医者知らず、これからも健康」となると、これは大違い。

 雪のように白い肌、白雪姫は七難を隠すどころか痺れるように魅力的で、私の経験では若い女性の千人に一人くらいそうした女性が居られる、と怪しげな話が始まりそうだが、残念ながら?違う。

 先日肌が透き通るように白い女性患者さんが足が浮腫むと受診された。色白と言っても六十八歳には不自然で、はっきり言えば病的で美しいわけではない。眼瞼結膜も蒼白で、血色素を至急で検査すると4.3gで正常人の三分の一しかない。大出血で三分の一になればショックに陥り放置すれば死に至る血の薄さなのだが、何か月もかけて(恐らく一年近く)ゆっくり進行したために、この頃足が浮腫んで息が切れる程度で済んでいたのだ。

 詳しく聞けば一か月以上前から浮腫み始めていたとのこと。言ってはいけないとされてはいるが、つい「どうしてもっと早く来なかったの」と聞いてしまう。今まで健康で医者なんぞに掛かったことはないからと言われる。これはしばしば取り返しのつかない病態で聞かされる台詞で、「そうでしたか」と答えながら心の中では、今まで健康はこれからもということではないんだけどなと思ったりする。

 貧血は鉄欠乏のパターンで、それ自体の治療は難しいものではないのだが、問題はその原因なのだ。六十八歳では生理もなく、九分九厘消化管出血で、しかも質の悪いもののことが多い。二か月早く受診されていればと言いたくないが、病気の治療開始は早い方がよい。

 病気とも言えない病気で神経質に医者に掛かり過剰な検査を希望して医療資源を浪費する人と、健康を過信して医者嫌いで躓く人と、世の中はというか人間はというか、どうもバランスが悪い。

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仕事辞めなきゃよかった

2017年11月29日 | 世の中

  

 今朝は快晴でしかも比較的暖かく、まだ十一月だと思わせる陽気だった。昨夜は気の早い防災関係の忘年会があり、N先生に出てよと言われさほど気は進まなかったが出席した。名ばかりの会員で大したお手伝いもしておらず、二十歳以上年下の人が殆どで、皆さんにご挨拶はしていただくもののどうも話が噛み合わず、これはそろそろ引退だなあと感じたことだ。

 自営業というのは定められた定年がなく、はてさていつ辞めようかなと頭を巡らす年齢になった。患者さんを参考にと観察している。サラリーマンは六十歳が区切りだったようだが、形を変えて六十五まで働かれる人が多く、六十五歳が区切りの人は六十七、八まで延長される人が多いようだ。自営業の人は七十歳を区切りと考えておられる人が多いようだが、何だかなんだと仕事量は減らしてながら七十五歳くらいまで頑張られる人も多い。そうはいっても八十歳までで、八十歳を過ぎてバリバリ?働いておられる人は片手で足りる。三名くらいのものだ。

 自営業の場合は暦年齢よりも実年齢というか、年齢に比して若く見えて活動的な人は長く働かれる傾向がある。勿論、後継者や景気の良しあしなどいろいろな要素があるようだ。あまり表には出ないが女房の顔色というのもあると思われる。

 Mさんはタクシーの運ちゃんで、髪も黒っぽく細身のせいか数歳若く見えていたのだが、以前から決めておられたらしく六十五歳できっぱりと辞められた。辞めると老ける人が多いので、何か趣味がありますかと気がかりでお聞きしたのだが、別にないということだった。案の定、毎日小一時間散歩するだけですと言う日が待っていた。三年経ってごま塩になった頭を傾げながら、「辞めなきゃよかった、毎日女房と喧嘩ばかりです」と苦笑された。ちょっと返す言葉がなく、「あわわ」と言葉にならない言葉を返したのだが、潮時は見極めるのは難しいと改めて感じさせらた。

 ちなみにタクシーの運転手と開業医は七十過ぎても、十分やれる仕事の部類だと思う。

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静観することも時に必要

2017年11月28日 | 町医者診言

    

 横綱日馬富士暴行事件報道が溢れかえっている。敵役?の貴乃花親方が居るせいか、誰にも分かりやすい先輩が後輩をぶん殴る事件で詳細がいまだ不明のせいか、視聴率が稼げると報道は過熱している。個性的で記者が取っ付きにくい貴乃花親方は当初悪者扱いだったが、ややニュアンスが変わってきているがどうしたわけだろう。

 確かに貴乃花は個性的で分かりにくい人のようだ。しかし記者と親しく口を利かないからと悪く書く傾向があるのはスポーツ芸能記者の悪弊と申し上げたい。警察の取り調べが進んでいるわけだから、それが終わるまで静観するのが良いと思う。相撲協会がそれでは沽券にかかわると独自の調査見解を急ぐこともない。急いては事を仕損じる。興味本位の追及は解明を遅らせ、解決をこじらすだけと思う。

 それよりももっと重要なことがある。いつまで森友かと日本人特有?のうやむやをここまで粘って、会計検査院の法外値引き根拠不明の結論が出たわけだから、国会で落とし前を付ける必要がある。安倍首相や夫人の関与を証明することは不可能だろう。身代わりと言っては語弊があるが、担当だった官僚に不当値引きと記録保全不備責任を取ってもらわねばなるまい。そうして今後、記録は十年残す決まりを作ればよいと思う。野党は首相や首相夫人の依怙贔屓を責めるのはこの辺りでやめたらどうかと思う。証明困難だからだ。灰色は灰色のままにして、外交経済教育などの問題で論戦を戦わしてほしい。金持も力もない野党、権力者の向う脛を蹴り上げたくなるのは分かるが、ここは知恵比べ合理性と先見性で戦っていただきたい。

 ミーハーなことを言うが、ちょいとイケメンでも声に力の足りない前原氏と違い、枝野長妻コンビはイケメンにはほど遠いが声に力があるので、タッパと声でまやかす安倍首相と互角で戦えると思う。

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保湿剤の流用問題

2017年11月27日 | 小考

 

 保湿剤を化粧品代わりに使うなら、保険適応を外すという報道があった。寒くなると痒くなる。若い人には分からないかもしれないが、乾燥肌で脛に掻き傷の私には身につまされる問題だ。

 私の医院でも保湿剤は大量に処方しているので、えっそんな使い方があったんだと驚いている。美容液代わりに持って行っている人は居ないような気がするが、新聞を見て美容液に使えるのだと気が付く人が居るかもしれない。これからは所望される症例の使用状況を確認をしなければならない?。

 一番の使用者は高齢寝たきり準寝たきりの患者さん達で、身体のあちこちを掻きむしってしまうので、どうしても大量に処方せざるを得ない。これは目の当たりにしており、美容目的ではなく適切な使用がされている。

 どこの主婦か知らないが、作用効果としては似ているので流用出来ることに気付いたらしい。日本が世界に誇る国民皆保険の副作用と言えそうだ。医療側にも多少は診断的な問題はあるかもしれないが、乾燥肌で痒いのはよくある事実なので、殆どの医療機関ではきちんと確認して処方していると思う。もう一つの問題点は美容液というか美容業界にありそうだ。美容液でなく保湿液と銘打って高価な香料などは抜いて、お安く販売すれば流用を防げるのではないかと思う。もし保湿剤量の濃度などに医学的な規制があるとすれば、多少緩和して医療外使用を認めればよいことだと思う。

 それにしても美容健康志向は過熱気味で異常ではないか。コマーシャルは過剰と思うが、乗せられる人が多いらしい。ご使用の美容液の成分にはコマーシャル料金もかなり含まれていますよと申し上げたくなる。 

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正確に事実を伝えるのがニュース

2017年11月26日 | 町医者診言

              

 日本の失業率は3%未満と極めて低い。私がよく知る業種の看護師などはどの医院も血眼になって探しても中々見つからない状態で、法外な斡旋料(年間の賃金の2-30%)を取る紹介業者が雨後の竹の子のように増え、看護師を囲い込んでしまっている。職を探す看護師側には、自分に代わりどんどん条件の良い就職先を探してくれ、いざ就職が決まればお祝い金を貰える業者が便利で都合が良いということらしい。これが市場原理というものにしても、昔は白衣の天使と言われた職種の人も現金になってきたものだと言いたくなる。

 事ほどさように、失業率が低いのは働ける人が減っているからというのが一番の理由で、アベノミクスの恩恵とばかりは言えない。要するに人口減少を反映しているわけで、少子化対策は大きな経済対策でもあるわけだ。

 教育無償化を憲法にがどういう理由か消えつつある。無償化、只が本当に望ましいかどうか(費用を下げるのは間違いなく望ましいと思う)よく考える必要がある。というのが生活保護の患者さんを三十名ほど診ている私の感想でもある。生活保護の人も様々で十把一絡げの議論は出来ないが、医療費が全く只というのがよいかどうか大いに疑問だ。

 どうも最近のニュースは意図的なところが出てきており、事実と意見考察が混じってしまっている。最近では私は黙って座ればピタリと当たる占いに負けず、見出しを見れば何新聞、ニュース源を当てることが出来るようになった。

 メディアリテラシーの必要性が言われるようになって十年は経つと思うが、日本でのこうした重要な判断力養成の取り組み取り込みは相当遅れている。是非、安倍さんには声を大にしてメディアリテラシーの重要性を説いて頂きたい。

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