駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

仕事は重石

2009年11月30日 | 町医者診言
 物言わぬは腹ふくるる技とばかりにブログでいろいろ書いているが、評論を生業としているわけではなく、町医者で毎日診療している。そこが面白いというか多少意味のあることだろうと考えている。
 本業があることで情報量や分析力では敵わない評論家の言説に対抗できる。仕事(私の場合は診察)は錘となって、なるほどと思わせる考え方にそうかなと対抗できる平衡感覚と力を生み出すように思う。
 つまり、できもしないことや対案のない批判をされてもなあと云えるわけだ。
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「おだいじに」と言われる

2009年11月28日 | 診療
 やはり顔に疲れが出ていたのだろう。昨日は数名の患者さんに「先生、大変ね」とか「お大事に」。と言われてしまった。一日の患者数が百名を超えることは年に数回あるが、今の時期には異例のことだ。多少インフルエンザと感冒が流行してはいるが、実はこの忙しさは人為的なものだ。
 というのは新型インフルエンザワクチンが10ml容器即ち20人分で届けられたのだ。今まで季節性のワクチンは1ml容器だったから2名ずつ予約を入れていたのだが、10ml容器だと20人を同じ日に集中的に接種しなければならない(開けるとその日の内に使い切らねばならない)。事務が適応患者に電話を掛けまくり20名揃えたは良いが既に予約が入っている季節性インフルエンザワクチン接種予定者をキャンセルするわけには行かず、四十名ほどのワクチン接種者が押し寄せたわけだ。
 10ml容器は一度に20名を集めなければならないので、確かに大変だが、数週間前から予め入荷日が分かっていればさほど困らない。明日入荷ですと突然持ち込まれるのだから堪らない。まだかとせっつかれているし、ゆっくりしていては新型の流行が終わってしまう。早く接種してあげようと、せかせかと電話して集めたわけだ。
 容器の大小は医療の質には直接関わらないので問題とする報道は少なかったが、配送日時と割当数の秘密主義と相俟って現場が混乱したことを明らかにしておきたい。
 さて、優先順位の割り当てが天地神明に誓って公正だったかは、そのつもりですくらいが正直な答えだ。喘息など明らかなものは迷わないのだが、重症度を勘案する場合はちょっと迷った。同じような病態の時は希望が強い患者さんや長く通院している患者さんの方を選んだかもしれない。どこだったかくじ引きという凄い医院もあったようだが、それはちょっとという気がする。責任の取りようもない判断だが、医療行為の主体者として決定作業は放棄しない方針だ。
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パーフォーマンスとは

2009年11月27日 | 世の中
 たった一時間でする判定なんて、所詮事業仕分けはパーフォーマンスだからなどとわけ知り顔のマスコミが多い。
 予算を組むまでに残された時間と洗い直す分野の数から割り出された時間が一時間なのだと理解している。一時間は長くはないがさほど短くはないと思う。
 今まで査定に掛けていた時間は一時間以下だったと聞く。一体、何時間掛ければ記者の満足する判定が導かれるのか、根拠と実行法を示して教えていただきたい。
 パーフォーマンスという言葉の意味がよくわからない。どうもこの場合は受けを狙った興行という意味で使っているようだ。ということは既に貶める意図が込められているように受け取れる。事業仕分けの効能が限定的としても、それを現時点で行う価値は別途判断される筋合いのものだ。
 新聞には社説がある。記事には取捨選択がある。それで十分な意見表明はできる。記事の見出しと内容は客観的な事実で埋めて欲しいと思う。
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鳩の試練

2009年11月26日 | 町医者診言
 母の愛は深すぎて、時に見境いが付かなくなる。
 まあ、現段階では事実はまだ霧の中、どこまでどれが真実か不明なのだが、鳩山首相が母親から何億円という庶民感覚ではとんでもない金額を借りて?いたのが事実なら、しかも本人が何もご存じないとしたら、これは三重の意味で問題である。
 銀の匙をくわえて生まれることが、還暦を過ぎてなお世間知らずということになるのか。
 秘書がと責任転嫁しないのなら、人を見る目のなさを晒すわけで、いずれにしろ任に能わずということになるのか。
 綸言汗の如しと前首相を非難してきたのだが、鳩の言葉はブーメランのごとく自らへの刃となるのか。
 果たしてこの個人の危機を克服し、まとまりのない群雄割拠の閣僚を統率できるか、鳩の試練は今ここにある。まさに鼎の軽重を問われているわけだが、それは個人の危機に留まらない。花を買い来て妻と親しむわけにはいかんのだ。
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申し訳ないが冬は

2009年11月25日 | 診療
 Sさんは87歳の認知症でほぼ寝たきり(ベットに腰掛けることはできる)のお婆さん。どうやら自立している夫君と二人暮らしである。近くに住む娘さんが、毎日顔を出してあれこれ世話を焼いておられる。
 Sさんは自分の名前も苗字は覚束無い。嫁入り前の旧姓を答えられる。不思議な沈黙に何だか変だと気付くらしいのだが、残念ながら正解が出てこない。年齢は四十代と答えられることが多く、娘さんに「私より若いじゃん」。と言われている。
 月に一度往診に行くのだが、診察が終わるといつも「私はもういいから」と言われる。「そんなことないよ」。と答えれば、泣き顔で「もういいよ」。と言いながら手を横に振られる。「はい、はい」と肩をなぜてやることくらいしかできないのだが、「もういいよ」という意味は痛いほどよく分かる。
 なんだか認知症のお婆さんが最高学府の智慧を上回っているような気がする。
 
 娘さん、高齢のご両親の世話でお忙しいのに、ちょっと申し訳ないのですがということがある。往診時間は7,8分で、どのお宅も手を洗う洗面器だけのことが多いのだが、時々お茶、ジュース、果物が出てくることがある。ありがたくいただくことにしているのだが、Sさんのところはいつもアイスコーヒーなのだ。夏は美味しく頂くのですが、十一月ともなると冷えるのです。私はともかく看護婦はちょっと困っているのではと思う。そんなことも云えないし、黙って頂いております、ぞくぞく。
 
コメント (2)
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