駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

桜が教える

2012年03月31日 | 人生

   

 ようやく春が来た。昨日一昨日と春らしい陽気で桜がぽつぽつ咲き始めた。後一週間もすれば満開だろう。私には入学式を思い出す季節、一年で一番年月の流れを感じる時季だ。

 桜ほど日本人の心に時空を超えた感慨を呼び起こす花はないだろう。爺さん婆さんは勿論、何代もさかのぼる先祖が見たに違いない花。果ては古の奈良の都の桜にまで連なっていく。

 いささか年を取ったせいだろうか、今年は選抜野球やプロ野球開幕が遠く感じられる。消費税増税閣議決定騒ぎも隣の国のできごとのように感じられる。

 日本人は判官贔屓と言われるけれども、それにはまず自分の安全を確保してからという前提があるようだ。贔屓と言っても気持ちだけで実際に助け舟を出す人は少ないように見える。当然と言われる方も多そうだが、心は外に表れるものに釣りあってこそ本物だろう。

 寄らば大樹と言っても、大樹が怪しいことに気付かねばなるまい。消費税は誰のために原発は誰のために、果たして自分は何をすれば良いのだろうと咲き始めた桜を見ながら考えている。

 

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まず見出しを変えよう

2012年03月30日 | 小考

   

 新聞週刊誌の編集者や記者は記事の見出しに知恵を絞っているだろう。彼等は如何に魅力的に興味を引くように、見出しを書くかに神経を尖らせているはずだ。確かに少ない字数に人の眼を捉える言葉を巧みに組み合わせる技術に感心する。

 しかし、今は両刃の刃の悪い面が出てきたと警告したい。それは過ぎたるは及ばざるがごとしで、過大、極端、単純化の表現は読者を誤らせてしまう。

 見出しだけで中身を読まない人も多いだろうし、見出しの予断に捕らわれて中身を読む人も多いだろう。こうした見出しの弊害は、消費税と原発という目下の重大な政治的問題の単純化に直截に表れている。上げろ上げるなあるいは止めろ止めるなといった単純な見出しと論調は、問題の本質的な理解を妨げる。集団的思考停止と視野狭窄ほど怖いものはない。巻き添えはまっぴらごめんだ。

 原子力発電が人間にはきちんと制御できない技術であるということ、使用済み核燃料は燃え滓のように見えても放射性物質であり続けること、そして万一重大事故が起これば人が住めない広大な土地(最悪では地球規模)が出来ることをまずきちんと理解してから議論を始めなければならない。

 例えば、ちょっと飛躍するがなぜ放射性物質を含んだがれきを拡散させようとするのか、このような踏み絵もどきの情緒的な方策でよいものだろうか。全国に散らばらせるよりも、いみじくも死の街と表現された何世代も人の住むことのできない土地に集めた方が距離も近いし賢明のように思う。

 危険で人類に完全な制御は不能な原子力発電であることをきちんと理解した上でどうするかを考えるように導くのがジャーナリストの仕事だと思う。怖い直ぐ止めろと言うヒステリーも、平和とか清潔なとかいう修辞で臭いものに蓋をしてゴリ押しする厚顔無知も禍根を残す。

 消費税も同じ轍、上げろ上げるなと言っても未来永劫上げるななどと誰も言っていない。今消費税を上げることが財政改善に繋がるのかどうかを見極めなければ、その意味合いをきちんと理解したうえでなければ、どうするか決めることはできない。勿論、明確な答えを出すのは至難の業だろうが、いろんな立場の専門家に何十時間も議論してもらい、それを繰り返し報道したらいい。問題が難しいからと言って単純化して好き嫌いの権力闘争にすり替える様な報道は判断を誤らせる。

 原発や消費税と言った難題は決して一言では片付かないことを、最低限ジャーナリストは伝える義務があると思う。

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MR(医療情報担当者)の人気者?

2012年03月29日 | 医療

    

 MRは医療情報担当者と呼ばれる人達で製薬メーカーの自社製品を臨床医に売り込むのが仕事である。まあ、売り込むセールスマンではない医療情報提供者なのだということでMR(Medecal Representative)という呼称が使われるようになったのだが、今も実感はセールスマンである。三十年前は自社の製品の薬理作用など殆ど説明せず、医師を接待することで(ゴルフ、麻雀や飲み食い・・・)で、売り上げを伸ばすセールスマンそのものの営業マンが多かった。今はそうした接待は激減ないし消失し、口上は変わってきたが、自社製品を売り込もうという姿勢に変わりはない。

 最近は製薬メーカ主催ないし後援で、有名教授や専門医師による最新診断や治療の講演会が数多い。足付き、顎付きで勉強もできる有難い会で、私は出席率が高い、市内の開業医のベストファイブに入っている。こうした講演会に何人臨床医を集めることができたかは、製薬メーカー各支店の重要な実績となるので、各社何とかして多くの臨床医を集めようと躍起になる。運悪く日程が重なると、MRは血眼になって出席者を確保しようとする。雨天などで競争相手の講演会に受講者を取られると、五十人分の立食にわずか十五人などと言うみじめなことになる。

 私は雨が降っても行くし、よく質問をして会を盛り上げる?ので、確実貴重な出席者らしく、最敬礼でしきりに誘われる。前日や当日にタクシー券を持って現れ、駄目を押されることも多い。そうしたことが理由で行くわけではないが、人間は丁重な扱いを嬉しく思う動物のようである。

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申し訳ないでは済まない

2012年03月28日 | 世の中

     

 AIJの浅川和彦氏がどういう人か知らないが、謝れば済むことではないということが分かっていないのには呆れる。あるいは分かっていて、そういう風に振る舞うのが得策と計算しているのだろうか。どのように展開するかまだはっきりしないが、ジャーナリズムの追及が甘く感じる。大企業の失策や犯罪には上層部ほど厳しい罪と責任を課すのが当然と思う。部下が自殺してうやむやだけは避けなければならない。

 福島原発の人災も粘り強く追及し責任を取っていただく必要がある。七十五日毎に蒸し返し、記憶新たに上ほど厳しい責任を取らせねば、故郷を奪われた人は浮かばれない。

 そうしないと、必ず同じ間違いが繰り返される。給与に比例した責任を取らせることが、企業失策企業犯罪を防ぐ一つの方策なのは明らかだ。

 多くの国民はそう思っているのだから(間違いないと思う?)、意を体して奮闘するジャーナリストの健在を願う。手垢のついたジャーナリストに勝るインターネットの声も力にしたい。

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光雅は光る雅か

2012年03月27日 | 人物、男

 絵のある自伝 カバー画像

 安野光雅さんを何十年前から不思議な絵で次いで日曜喫茶室の声で知っていた。感じのよい絵、ワンテンポずれた面白い人程度の認識だったのだが、高峰秀子さんがお気に入りの男の松竹梅に入れているので、これは何かあるなと著書を買って読んでみた。

 「絵のある自伝」は何とも正直でほんわかしているのだが、背後に気骨を感じさせる本だ。この本でなぜ光雅という似つかわしくないが身を助けた?名前を持っているのかが分かった。否、今では名に相応しい人になられたと申し上げよう。

 楽しい?本面白い語り口は絵を裏切らず、絵を一層味わい深いものにしてくれた。そして改めて、当たり前といわれそうだが安野光雅さんは絵が一番だと思ったことだ。何にしろ自分を表現する世界を持っているのは素晴らしい。まあ、ちょっぴり羨ましくもある。

 手ごろな値段で気に入った安野さんの風景画を手に入れて医院に飾りたいと思う。

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