駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

アイオワかカンサス

2009年03月31日 | 趣味
 地図を見るのが好きだ、趣味のひとつと言えるかも知れない。地図を見ながら色々考えるのが楽しい。
 アメリカなら何処に住んでみたいか。マンハッタンニューヨークも魅力あるが、なぜかアイオワかカンサスに住んでみたい。アイオワはかすったことはあるがカンサスは未踏。何でそんな辺鄙な所という人も多いだろう。私の年代のおじさんあばさんのアメリカのイメージはニューヨーク(ボストン、シカゴ、アトランタ、ニューオーリンズ)フロリダ、グランドキャニオン、カルフォルニア(ロス、サンフランシスコ)くらいでできあがっている(この頃はイチローのお陰でシアトルも入ってきたかな)。すっぽりと真ん中が抜け落ちている。
 しかるにアメリカ通??の私はカンサス、コロラド、ネブラスカ、アイオワがアメリカの肝の菱形と見ている。まず音の響きからして、おおらか(おおまか)でよい。意味はよく知らないが、ひょっとしてコロラドは赤い土地と言うような意味だったかと記憶する、ヨーロッパとは異なるクルードな西欧文明の良さとインディアンが愛した広い大地と空の広がりがある。その菱形の中に文明があるだって草原の間違いじゃないのと笑われそうだが、簡明で退屈も文明。
 で、お前はそんなところに住み着いてどうするんだ。別にどうもしない。住んでみなければ味わえない味を噛みしめるのだ。細部に宿る神は時に大いなる大地に休むだろう。ひょっとして、天啓があり、なにか作品が生まれるかも知れない。
 余談だが、カンサスをキーワードにブログ釣りをしたら大物(元おぼこ今***)の楽しいカンサス便りを釣り上げることができた。
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サービスの加減

2009年03月30日 | 世の中
 医療はサービス業に分類されている。この場合のサービスは奉仕とは少し意味合いが違うらしい。まあしかし、医業には奉仕の精神と奉仕の部分があるのは確かで受付は身体の不自由な方や理解の悪い方には手を差し伸べて対応している。
 受付はいつもは穏やかなのだが、時折憮然としていることもある。というのは、親切が仇というか、親切に食らいつく方がおられるからだ。医療には申請すると、さまざまな公的サービスが受けられるようになるものがある。こんなこともありますよと説明して役所に連絡してみたらと勧めると、「なるほど、それは有り難い。・・・あんた電話してよ」。となる患者さんや患者家族がおられる。勿論、いろいろなハンディのある方なら喜んで代わりに連絡するのだが、単に面倒だから頼んでしまおうというおばさんにはチョットオと閉口する時もあるらしい。
 上記はまあ、どこでもよくあること?なので、首を傾げながら密かにため息をついて?お手伝いしているようだ。
 似たようなことだが、医療の料金体系には目に見えにくい行為の対価のものがあり、AさんとBさんがどうして同じ料金なのだろうかと得心が行かないことも時々ある。
 数ヶ月前から喉の違和感が取れないおばさんが受診された。あちらの耳鼻科こちらの内科に受診したが異常ないと帰されたという。住専や政治の闇と同じように家庭の闇というか、色々話を聞くと実は娘の別れ話で心を痛めている。3歳と5歳の孫が居る。どうもDVや浮気ではない様子。夫婦間のことはわからないと思うのだが、子供が中学を出るまでは仮面夫婦で良いから一緒に居ろと、かき口説いているらしい。「娘が我が儘で」と泣きそう。まあそれだけが原因かどうかははっきりしないが、話をしただけで眉間の皺が減ったので、症状と何か関係があるのは明らかだ。この程度の、話を少し時間を掛けて聞いた、ことで追加料金をなどと世知辛いことは思わないが、自己管理が出来ており、あっさり二言三言で帰られる患者さんと同じ料金なのは妙な気もする。どうも心尽くしというか計量できない労働の評価は難しい。サービス(奉仕)は無償でも根底は弱者に向けてのものなので、そこいらを察していただければと願う。
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桜二分咲き

2009年03月28日 | 自然
 近くの桜が咲き始めた。この季節になるとあちこちに桜があるのに気付く、枯れ木の期間が長いので気にも留めないでいたのが、枯れ木に花が咲くという言葉通りに突然華やぐので、なんだここにもと驚かされる。
 昨年も桜について書いたが、どうも桜には心が揺れる。原風景は小学校の校庭の桜か。ああと、懐かしい光景が瞬時に脳裏を過ぎる。薄桃色の花びらのあの淡さとはらはらと散りゆく潔さ、花は桜木と日本人の心深く植えられた花だ。
 そうした民族的な素養を基調にしながら、見た場所時そして一緒に見た人を思い起こさせる力で桜に勝る花はなかろう。私が桜を見て懐かしい人達を思い出すように、私(じいちゃん)と見た桜だと思い出すだろう掌の中の小さな手の感触もある。
 米国の首都ワシントンポトマック河畔にも桜が植えられているという。団子ならぬチェリー入りアイスクリームを嘗めながら、観桜のそぞろ歩きがされているのだろうか。勝手な想像だが日本のような感興はなさそうに思う。
 写真の桜も一週間もすれば満開となるだろう。四月になったら正真正銘、日本の鄙の桜をお目に掛けたい。カメラマンの腕がもう一つなのはご勘弁を。
 
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過剰診断の問題

2009年03月27日 | 医療
 おそらく全ての精度管理に当てはまるのだが、95%の精度を99%に高めようとすると数%の努力費用では済まない。何らか新しい方法が開発されれば別だが、倍以上のコストが掛かる、場合によっては達成不可能のこともある。新しい方法が開発されても、その方法で99%を99.5%に高めようとすれば、僅かなコストの負担では済まない。
 似たようなことが病気の診断にも起きている。血液検査で分かる癌などと過剰な期待を与える報道があるが、実際に血液で分かる早期癌はほとんどない。前立腺癌は例外的に血液検査で早期癌を見つけることが可能である。そのために泌尿器科学会ではPSAという血液検査による前立腺癌の検診を推奨している。
 奇妙なことに厚労省はこのPSAによる前立腺癌検診に積極的でない。まだこの検診で前立腺癌死が減ったという科学的なデータが十分でないというのがその言い分なのだが。自治体によっては既に実施して実績を上げているところもあり、勘ぐれば、厚労省の懐具合いが関係しているように取れる。
 問題はこのPSA検診で10%程度、見つからなくても生命予後に関係のない微少早期癌まで見つかってしまうことだ。前立腺癌というのは実は高齢男性の数%に認められる非常に多い癌で、その多くは無症状で前立腺癌を持ったまま他の病気で天命を全うされている。
 しかしながら、どんなに小さくても癌がありそうということになればいろいろな検査を受けることになる。検査にはリスクと費用が付きまとうので、泌尿器科医と健康保険は頭を抱えることになる。それに第一、灰色の疑い例を虱潰し出来るほど泌尿器科医数は多くない。
 どうすればよいか。どうすればよいと思いますか。実はこれは氷山の一角、医療には患者さん達に冷静論理的に考えて頂きたいことが山ほどある。これからも、時々氷山をお見せしましょう。
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光のどけき春に

2009年03月26日 | 自然
 雨上がりの今朝は空気は澄んでいたのだが肌寒く、足早に出勤した。道すがら春を確認した。もう先の曲がり角ではなく目の前に春が来ている。なぜわかったか、それは光だ。光の強さか色合いか、光の変化に春の記憶が呼び起こされた。勿論、風にも微かに春を感じたのだが、鼻がさほど利かず、目の不自由な人ならきっと感じるだろう春の香り混じりの肌触りは私には定かでなかった。
 普段はあまり意識しない光の変化に気付いて、なぜ可視光線が今の波長範囲になったのかと疑問が湧く。なんでもそうなるようになっていたからだと言われると鼻白むが、恐らく原始の時代には紫外線や赤外線よりも可視光線の波長が生存に有利だったのだろう?。
 人間には分からないが今年は太陽活動が活発になる周期に入っているのに黒点がほとんど現れず、微かに太陽が沈滞しているのが観測されている。百年に一度でなく四百年に一度の天変地異の到来だと言う人もいる。針小棒大というか十分な科学的根拠のないことで騒ぐのは愚かしいと思うが、物理的な現象と人間社会は別だといっても、全く無関係とは思えず、余りよい気はしない。
 芽を付けた桜の枝越しに差す光に春を感じ、あそこに行きたい、あれも食いたいと希望?を膨らませながら、平成は平らかに成るとも限らないなと静心を些か乱される。
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