駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

花に小嵐

2019年03月31日 | 小考

     

 

 桜(ソメイヨシノ)が咲いた。赤みが淡く白に近い。昨年より数日遅れたが、入学式まで散らずに持つだろうか。昔は入学式の校庭に咲いていたものだ。桜は風と冷気を呼び、美しいけれどもどこか儚く、心穏やかにさせない。これは日本人的なあるいは私の個人的な感覚かも知れない。ポトマック河畔では又違った印象があるのだろう。

 明日新しい元号が発表になる。平成を敗北失敗などと総括する学者や社長がいる一方、良い時代だったと感じる人も多いようだ。過ぎたことを水に流すのが得意な日本人は、年末年始や元号で気分を変える。しばらくは新しい元号に様々な印象意見が飛び交うだろう。閣議では花丸の評価がされるのだろうか。アスパラガスを取り過ぎないようにと申し上げたい、みんなで戴くものだ。

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平成の幕が下りる

2019年03月30日 | 人生

       

 

 年が明けて、まるで平成に駆け込むように馴染んだ人達が亡くなってゆく。先一昨日はショーケンこと萩原健一、昨日は声優白石冬美・・たまたまでそう感じるだけかもしれないが、一つの時代の幕が下りる気配を感じる。

 よく知らなかったが萩原健一は波乱万丈の人生を送ったようだ。何度も逮捕離婚をしているようで、これは遠慮したいが、なんだかものすごく女性にモテたようで、それは羨ましい気もする。

 有名人がそれで亡くなるといつもその病気が有名になる。GISTは非常に稀のように報道されているが、当院では二名ほど経験しており腹部腫瘤ではいつも鑑別に浮かび、さほど稀な疾患の感じは持っていない。これは自分が経験しているからの感覚で、かなりの医師はGISTを経験しておらず、ご存じない先生も居るだろう。しばらくGISTではないかと消化器科を受診される患者さんが増えるだろう。

 白石冬美さんはご自宅でひっそりと体調を崩され亡くなったようだ。上野千鶴子先生は孤独死なんて怖くないと豪語?されているようだが、死は何よりも私的なことで、自然死について他人が口を挟むことはない。唯、何百枚も死亡診断書を書いた者として、確実に必ずと申し上げる。

 死は私的なことでも、死後は別、旅立った鳥は様々な波紋を残してゆく。

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忙しすぐ戻れない

2019年03月29日 | 小考

     

 

 医師の時間外労働が問題になっている。これを世間並みに短くするのは難しい感じがする。一つには伝統というか、俺達は毎日十五時間働いていた、修業時代は家には週三日帰れば十分、そうやって一人前になったんだという副院長院長が揃っていることだ。それが良いかどうかは議論があるところだろうが、医療界にそうした過去がある。二つには診療や研究は効率化がほとんど不可能な領域で、八時出勤十八時帰宅では優れた成果は得られない。

 さて、それで昔過労死が多かったかと言えばそうでもなかったのではないかと思う。上に長時間働いても過労は避けさせるような世間知というか工夫があった気がする。下に誤解を招くかもしれないが過労死をしない訓練というか強さというか狡さがあったように思う。そのままでは問題はあるだろうが、欠かせないものは何とか引き継ぐ必要がある。

 世の中は変わってゆくから旧弊を引き継ぐことはないが、何でも同じ安全均一でひとまとめにすると、科学技術で中韓の後塵を浴びることになる。そんな馬鹿なという人は現実認識が不足している。平成の安逸に浸れるのも、八時十八時でなく頑張った人達の力が大きい。平成の付けを払わせられる年号を人気取り(に見えてしまう)で自ら発表する言葉でまやかすその場しのぎの人とその人の足を引っ張ることしか能のないような人達では、次の年号の世は凌げまい。優れた人と優れた考えを見出し許容する、人を生かす世を目指して蟷螂の斧を振るいたい。

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メイ首相の切り札

2019年03月28日 | 世界

    

 

 イギリスのメイ首相がEU離脱後辞任すると表明した。えっ、そんな切り札が英国でも通用するのかと不思議な気がした。自己犠牲を最後の切り札とするのは日本特有の感覚伝統かと思っていた。平手政秀や佐倉惣五郎などのような人物がイギリス史にも存在するのだろうか。

 しかし、白鳥の歌という表現があるから命の終わりというか引き際が特別という感覚は万国共通の普遍的なものかもしれない。BREXITを詳しくフォロウしているわけではないが、瓢箪から駒であっても離脱判定は国民投票の結果なのでこれを反故にすることはできない。再投票となればエンドレスになってしまう。少なくとも五年、出来れば十年は置かないと再投票は難しいと思う。

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分かっていても出来ない時もある

2019年03月27日 | 診療

             

 

 時々紹介した総合病院から薬の使い方についてご指導を頂く、まるで当方が理解していないような書き方にはなんとも嫌な感じがして飯が不味くなる。

 例えば最新の睡眠薬の使い方を知らないわけではないのだが、個人の医者は時に患者の訴えに負けてしまう立場あることを分かって貰えない。デパスやハルシオンの使用量はこの十数年で十分の一に減らしたのだが、まだゼロには出来ていない。どうしても欲しいという患者には駄目と云えばいいじゃないかと総合病院の医師は言われるだろう。総合病院では患者はまず反論せず、分かっても分からなくてもハイと言って帰ってくることが多いのだが、個人の医院では甘えるというのかごねるというのか中々引き下がらない方も居て、根負けしてしまうことがある。甘えの構造というか、ものが言いやすい関係性が出来ているので絶対駄目とは言いにくいことがあるのだ。実際問題として、依存性が出来て好ましくなくても直ぐ大問題が起きるわけではないので、じゃあ一寸だけとなってしまう。まあそれが、人類のある一面の歴史でもあると思うのだが、開業医は不勉強でなどとご指導戴くとやれやれと不愉快になることもある。まあそれでも、高額な検査機器や深い専門的な知識はなく、難病重病は総合病院頼りになるので要らぬ反論はせず、御高診有り難うございましたとお礼を書いている。

 ブログにこうした愚痴のようなことを書くのは情けない気もするが、花を買った啄木の気持ちも分かる。

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