ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

豊かさ

2017年09月05日 | ノンジャンル
不自由のない暮らしをしているものが、貧困に
あえぐものに施しをする。

美談にも聞こえるが、どこかしら、分け与えるという
上から下の位置関係が見えて、スッキリしない。

それはそれで良いのだが、全財産を捨てて
とまではいかないだろうし、なんでそこまでという
本心が見すかされる。

ホームレスに対する厳しい目、蔑みの目も
しかりである。
負け組、落伍者、怠け者・・・
そのホームレスの事情も知らず、おおよそ、
そういった一瞥を与えて通り過ぎるのみだろう。

そもそも人間は、そうした状況に対処するために
社会というものを作ったのではないのか。

ホームレスを演じる役者に、自分が帰って
食べようと持っていたピザを与えた婦人がいた。
その役者は、ホームレスの本当の問題と、
その解決を、婦人の行動に見たのである。

寝ているホームレスの手元に100ドル紙幣を
置いて、その人がどうするかをモニタリングする
意地悪な動画があった。

彼は、食べ物や、寒さをしのぐブランケットなど、
路上生活をするのに最低限必要なものを買い、
元の場所に戻ると、お金に困って途方に暮れる人が
そこにいた。

これも演出だが、何も知らない彼はその困っている
人のために、買い物をした店に戻り、全てを返品して、
その人に100ドル紙幣を渡したのである。

人の苦しみを分かつというのは、こういう事である。
50ドルずつ分けあうという事も良かろう。

だが、こういう豊穣たる心に触れる時、刹那的な
感動ではなく、その姿が自身の生き方に寄り添う
ように残る。

まだまだ人間も、捨てたものではない。