ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

核の傘

2017年09月06日 | ノンジャンル
戦後70年を越えてなお、核兵器の問題に囚われて
いようとは、むしろ驚きでもある。

人というものの抱える闇は、よほど深いのであろう。

イマジンという曲が発表されて46年。
世界がその曲を今なお絶賛しながら、その曲から
遠ざかっているのは滑稽ですらある。

彼を殺害した犯人の動機は、
「有名になりたい」だった。
この狂気と現代の喧騒には、大した差はない。

彼のメロディーを聴く者はあっても、彼の思いを
受け止める者はどれほどいるのか。

話がそれた。

核兵器というものは、しばしば抑制力として
肯定されてきたが、ひとたび武器として使えば
それは連鎖し、人類の精神の崩壊となる。

互いに爆弾を抱え、そのスイッチを手にしたまま
対面しているようなものである。

爆弾を持たない者が、持つ者の隣でその爆弾に
守られているという錯覚が、いわゆる核の傘である。

核の傘? 
キノコ雲の笠の下は、阿鼻叫喚の地獄絵図である。

ひとたびスイッチを押せば、対面する側はもちろん、
自身も、その隣にいるものもすべて滅びる。

世界唯一の被爆国である日本は、その兵器を永久に
放棄した。
それは、その悲惨を知るが故の、「持たない」
矜持である。

それがまさにその兵器を持とうとするなら、
もはやまた狂気の時代に逆行し、
平和が、戦いの異名となるだろう。

地獄を知ったが故に、平和を希求するなら、
持たない者としての矜持と覚悟で、
持てる者に対して、
「そんな使えないものは捨ててしまえ」と
言い続けていく事である。

レノンは、
「夢想家と言われようと、
  そう願うのは私一人ではないはずだ」と
歌っている。

人は、一人の願いと行動によって、
夢想を実現してきたのである。