達磨ではなく、坪内逍遥の「当世書生気質」に
出てくる言葉である。
何度倒れても立ち上がる、「明日のジョー」的な
不屈の根性というイメージだが、その意味は
真逆である。
つまり、「負けてもいいんだよ」という意味である。
帝国大学の政治科に学び、軍部あるいは政府への
エリートコースにあった彼は、当時の富国強兵、
軍国主義の体制に抗い、文学への道に進んだ。
今でこそ明治の文豪と称される彼だが、当時は
小説家など売文屋と呼ばれ、社会的にも蔑視され
差別されていた。
そして、彼が妻に娶ったのは、貧しい
売春婦であった。
七転八起とは、何が何でも勝って名誉と栄光を
獲得しようという当時の風潮に対し、人生50年、
その最後の時に、良いことも悪いことも振り返って、
良いことが少し多ければそれでいいではないか
ということである。
勝つこともあれば、負けることもある。
名誉を得ることもあれば、恥辱を蒙ることもある。
過ちを犯すこともあれば、人や社会に寄与する
こともある。
最後に振り返って、15の内、8つ良ければ、
大満足ではないかということである。
そこには、人というものに対する柔らかさ、
優しさがあふれている。
現代の勝ち組、負け組、自己責任という、いわゆる
二極化は、まるで過去に戻ったかのような対立を
生み出している。
勝ち続けることもなければ、負け続ける
こともない。
七転八起で、自身も他者も、共に歩んでいこうと
いうのが、彼の生き様において、当世の私たちが
学ぶべきことなのである。
出てくる言葉である。
何度倒れても立ち上がる、「明日のジョー」的な
不屈の根性というイメージだが、その意味は
真逆である。
つまり、「負けてもいいんだよ」という意味である。
帝国大学の政治科に学び、軍部あるいは政府への
エリートコースにあった彼は、当時の富国強兵、
軍国主義の体制に抗い、文学への道に進んだ。
今でこそ明治の文豪と称される彼だが、当時は
小説家など売文屋と呼ばれ、社会的にも蔑視され
差別されていた。
そして、彼が妻に娶ったのは、貧しい
売春婦であった。
七転八起とは、何が何でも勝って名誉と栄光を
獲得しようという当時の風潮に対し、人生50年、
その最後の時に、良いことも悪いことも振り返って、
良いことが少し多ければそれでいいではないか
ということである。
勝つこともあれば、負けることもある。
名誉を得ることもあれば、恥辱を蒙ることもある。
過ちを犯すこともあれば、人や社会に寄与する
こともある。
最後に振り返って、15の内、8つ良ければ、
大満足ではないかということである。
そこには、人というものに対する柔らかさ、
優しさがあふれている。
現代の勝ち組、負け組、自己責任という、いわゆる
二極化は、まるで過去に戻ったかのような対立を
生み出している。
勝ち続けることもなければ、負け続ける
こともない。
七転八起で、自身も他者も、共に歩んでいこうと
いうのが、彼の生き様において、当世の私たちが
学ぶべきことなのである。