ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

先生

2017年09月15日 | ノンジャンル
日本で医師や教育者、政治家などに敬称として
使われる「先生」は、中国では○○さんと同じで、
特に敬称ではない。

自身よりも年配の方に○○先生と呼ばれると
恐縮するのだが、日本での意味とは異なる。

まあ、あえて敬称とするなら、「老師」
となるだろうが、これもイメージとしては、
仙人のような風貌が頭に浮かぶ。

先生のいわれには様々な説や意味があるが、
お酒を飲んで酔っても、先に醒めるという
説がある。

これはいわゆる、真理の発見などのような覚醒を
意味しているのだろうが、飲むことを前提に
しているので、節酒となるだろう。

つまり、節酒は先生、断酒は老師となる。
因みに、老師とは、先生の先生でもある。

であれば、節酒の限界に覚醒し、断酒を実行する
ものは、老師という事になる。

一気に年寄りになった気分だが、自称、
○○老師という事でいこう。

日本人的な感覚で言えば、○○先生と呼ばれる
面映ゆさよりも、○○老師という自戒的な
響きの方が良いかもしれない。

元の意味からかけ離れた、ゆがんだイメージが
定着してしまったのが、「尊師」である。

いずれにせよ、「師」という字がつくなら、
その人に「私」があってはならない。

他者の苦悩に寄り添い、それを自身の苦悩とする
生き方に、「師」という字がふさわしいのである。